素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

年度末

2010年03月09日 | 日記
 《年度》を辞書で引いてみると《事業・会計などの便宜上、特に設けた一年の期間》とある。普通、3月が年度末と思っていたが、今日TVで必ずしも4月~3月とは限らないという話をしていた。

 たとえば、“生糸年度”は6月~5月・“酒造年度”は7月~6月・“砂糖年度”は10月~9月というように、それぞれの事業でまちまちである。ただ、“会計年度”は1886年に法律で4月~3月と決められている。Wikipediaによれば

意義
 ある公共機関の経営状況・収支状況を把握するためには、一定の期間を定めてその期間内の収入・支出を算出する必要がある。このために設定された期間が会計年度である。会計年度は、予算を執行するための一定期間ということもできる。会計年度が存在しない場合、予算の執行に期限がないので、決算を立てることが不可能となり、予算・決算を行うことが無意味となってしまう。会計年度は、会計上非常に重要な要素である。

特に公共機関においては、その会計年度における支出(歳出)は、当該会計年度の収入(歳入)をもって支弁するという会計年度独立の原則が採用されている。この原則は、絶対王政期のヨーロッパにおいて、王の恣意による徴税・浪費が行われないよう導入されたことに由来しており、現代に至っている。ただし実務上、すべての予算を一会計年度内に執行することには非効率・非実際的な面もあるため、例外制度、例えば日本では繰越制度や債務負担行為、継続費などといった制度が設けられている。

期間
 企業会計においては、期間の日数、期間の始期及び終期は各事業者が決定するが、期間は1年間とされることが一般的である。公共機関についても、期間は1年間とされるのが通例であり、日本では、後述の財政法及び地方自治法の規定により毎年4月1日から翌年の3月31日までの期間とされている。

 会計年度は1年間とするのが通例であるが、特殊な事情により変則的な期間が採用されることもある。例えば、日本では戦争時に設置する臨時軍事費特別会計が戦争開始から終結までの期間を一会計年度としており、日清戦争のときは1年10ヶ月、日露戦争のときは3年4ヶ月、第一次世界大戦のときは10年8ヶ月の長期間に及んだ。また、アメリカ合衆国では特殊な歳出について2年間を一会計年度とする例外規定が設けられている。

始期と終期
 公共機関における会計年度の始期と終期は、国によって異なる。暦年と同一の1月-12月制を採用している国は、韓国・フランス・ドイツ・オランダ・ベルギー・スイス・ロシア・タイ王国・中華人民共和国・南米諸国などがある。日本と同じく4月-3月制を採用しているのは、イギリス・インド・パキスタン・デンマーク・カナダなどである。7月-6月制を採用している国には、ノルウェー・スウェーデン・ギリシア・フィリピン・オーストラリアなどがある。また、10月-9月制を採用しているのは、アメリカ合衆国・ミャンマー・ハイチなどである。

日本の公共機関
日本の公共機関における会計年度は4月 - 3月制である(財政法第11条、地方自治法第208条)。明治維新直後は当初は10月 - 9月制(明治2年9月 - )であったが、以後暦年制(明治5年11月 - )を取ったり、7月 - 6月制(明治7年12月 - )に変更したりして混乱を生じたが、中央政府では明治17年10月(太政官達89号)から、道府県(後に都も)は明治23年5月から、市町村は明治22年4月から4月 - 3月制を導入し(それ以前は7月 - 6月制だった)、以後変更は行われていない。4月 - 3月制の導入は、当時の主要税目だった地租徴収に最も好都合であったためとされている。

 その後、会計年度の始期・終期を変更しようとする議論が数回提起されているが、いずれも見送られている。1972年(昭和47年)には当時の田中角栄首相が会計年度の暦年制移行をうったえたが、結局、旧大蔵省などの反対により暦年制への移行は実施されなかった。

 日本の学校も、会計年度にあわせて1年の区切りが設定されているように思う。枚方市の中学校は12日が卒業式である。「もう1年経ったんやな」と思う。卒業式までの1週間は緊迫していたなあと思い返される。公立後期入試の出願と式への生活指導とが並行するので大変である。この時期は後期に出願する生徒、私立専願や公立前期で進学先が決定している生徒などいろいろな立場の人がいるということをふまえて、学年やクラスの意識をまとめていく必要がある。

 卒業の時を迎えるとごまかしはきかない。やはり、3年間の総決算というべきものが見える。卒業式のたびに喜怒哀楽さまざまな味をかみしめてきた。その味を忘れることなく歩んでいくことが大切であると思っている。去年の場合は、自分にとっても最後の卒業式だったので格別の味であった。いろいろなことを想定して臨んだが、すべて杞憂に終わったということがはっきりした卒業生退場の時、引率のため生徒の前に立った瞬間、泣けてきた。生徒の前で涙を流すことはなかったが、最後に素直に感情に身を委ねることができたのは幸せだったと思う。

 
コメント
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