素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大相撲・春日野部屋の朝稽古を見学に

2010年03月11日 | 日記
 3月14日より、大相撲春場所が府立体育館で始まる。7年前から星田会館に春日野部屋が宿舎を設け、この時期になるとのぼりが立ち、買出しをする力士の姿が目に入る。初春の光景として地元にも定着してきた。相撲の朝稽古は早朝から始まるので、仕事をしている時は見ることができなかった。今朝、7時過ぎから歩いて15分ほどの所にある星田会館へ出かけた。

 春日野部屋のホームページより、部屋の歴史を見ると

 両国国技館のある東京都墨田区両国に部屋を構える春日野部屋は、大正時代に「はず押し」一本の押し相撲に徹して、幕内取組数201のうち167勝を誇る大横綱・栃木山が起こしました。

 栃木山は引退後、春日野の名前で大日本相撲選士権に出場して、現役力士を退けて見事優勝した事でも知られています。

 
 偉大な初代春日野親方の跡を継いだのが「栃若時代」で知られる横綱・栃錦でした。その相撲は師匠ゆずりの強い押しに加え、鋭い立ち合いからの突っ込み、切れ味のある出し投げ、二枚蹴り、引き落としと技の連続は相手に応戦のいとまを与えませんでした。

  また引退後に検査役、理事を歴任した後、理事長に選出。「土俵の充実」を目標に掲げ、相撲協会に多くの功績を残しました。

 
 「栃若時代」が土俵の中心になりつつある頃入門してきたのが、小兵ながら「ジョッパリ」の負けじ魂で知られた名人横綱・栃ノ海、三代目春日野親方です。初優勝した昭和37年5月場所では身長177cm、体重105kgという体格でした。

 春日野部屋継承後も、巡業部長の要職を6年間務めました。

 
 そして三代目の春日野親方が今年平成十五年三月に定年を迎え、新たに春日野を襲名したのが元関脇の栃乃和歌です。学生時代に数々の実績を残した後に春日野部屋に入門して、順調な出世を果たしました。大関を狙う場所前に怪我をする不運もありましたが、安定した実力で76場所もの間、幕内で活躍しました。

 大正十四年五月、初代春日野親方が五名の弟子でスタートさせた春日野部屋には、二人の横綱をはじめ多くの関取衆を輩出し続けてきました。現在は新しく部屋を継承した四代目春日野親方の下、伝統ある春日野部屋の繁栄を持続させるべく、部屋一丸となって相撲道に万邁進する毎日です。

 早朝から、熱心なファンや家族連れが稽古を見守っていた。私語厳禁で、体と体がぶつかる音と激しい息遣いしか聞こえない。本場所を間近にひかえた緊張感が伝わってくる。

 私が2年生の時転校していった鵜方小学校では、秋に校内相撲大会があり、本格的な土俵もあり、土俵の周りに人垣をつくり大層盛り上がった。中肉中背ではあるが足腰が強く、強烈な左からの上手投げを得意とするSくんが抜群で、体は大きいが足腰の弱かった私は、決勝戦で見事にブン投げられて、彼の引き立て役だった。

 中学3年生の時、昼休みに突然、5人の生徒の名前が放送され、すぐに体育館に来い。との指示。何か悪いことしたかと考えながら行くと、ちょっとした名物教師だった谷口賢平先生が赤ら顔で仁王立ちで待っていた。よくわからないが、とにかく覚悟を決めて前に立つといきなり相撲のまわしを箱から取り出して「つけてみぃ」?????の5人に「今日から、お前らは相撲部や、2週間後の志摩大会に出場する。」有無を言わさずの命令。聞けば毎年体の大きい順に5人選んで、即席の相撲部を作っているとのこと。町の相撲好きのおじさんも臨時のコーチとして放課後日参して基本から特訓された。

 志摩大会といっても、出場は3校だけで、大王町立波切中学校が抜群に強かったので、志摩郡代表を決めるためのセレモニーみたいな大会だった。相撲は両まわしをがっちり取り合うと身動きが取れなくなって、かなりの力の差がない限り持久戦になる。中学校でも校内相撲大会があったが、小学校と違ってまわしをつけておこなう。そうなると体の大きいほうが有利になる。一度がっぷり四つになってしまって膠着状態になったことがある。腕がなまってくる中で、気持ちが萎えたほうが負けになる。

 したがって、いかに相手にまわしを取らせないかということが勝負のポイントである。その点では、波切中学校はよく鍛えられていた。私の対戦相手は中肉中背。手を伸ばせばすぐにまわしが取れそうな気がしたが、上手にハズにあてがわれて押し込まれ、俵に足がかかった時にやっとまわしにさわれただけで、アッという間に寄り切られてしまった。全員勝負をさせてもらえなかった。それでももう1校には勝ったので団体で準優勝。集会で表彰されたが、何とも恥ずかしかったことを覚えている。

 本場所が近いので、9時過ぎには稽古が終わる。整理体操の後、壁に貼ってある“五訓”を唱和して最後を締めていた。一つの曲がり角にきている大相撲。時代の波の中で活路が見出せるかどうか注目したい。
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