素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

菜種梅雨・チューリップ・桜が今日の主人公

2010年03月30日 | 日記
 近所の人が集まると、最近のころころ変わる天気の話になる。今年は何てひどい年だ。灯油を買いに走った。片付けかけた冬物を出した。などの愚痴が多い中、物知りの人が一言「みんなは忘れてしまっているが、昔から“菜種梅雨”という言葉があるぐらい、この時期は天気が不安定で、今年だけが異常じゃないんですよ。」例によって「そうなんだ」と思い、調べてみた。

菜種梅雨
おもに3月下旬から4月上旬にかけての、連続した降雨を「菜種梅雨」(なたねつゆ)という。菜の花が咲くころに降るためこの名前がある。梅雨のように何日も降り続いたり、集中豪雨をみたりすることは少ないが、やはり、曇りや雨の日が多く、すっきりしない天気が何日も続くことが多い。

 冬の間、本州付近を支配していた大陸高気圧の張り出しや、移動性高気圧の通り道が北に偏り、一方で、その北方高気圧の張り出しの南縁辺に沿って、冷湿な北東気流が吹いたり、本州南岸沿いに前線が停滞しやすくなったりするために生ずる。そのときには南岸に小低気圧が頻繁に発生しやすくなるのもまた特色である。そのため、西-東日本太平洋沿岸部にかけていう場合が多く、北日本にはこの現象はみられない。近年は、暖冬傾向および、温暖化の影響もあり、菜種梅雨が冬に繰り上がるきらいがあり、気候の変動が懸念される面もある。

例としては、1990年(平成2年)2月は月の後半を中心に曇雨天続きで、東京での同・月間日照時間は僅か81時間しかならず、大暖冬を象徴するかのようだった。また、1985年(昭和60年)には3月は月全体を通して関東以西の太平洋側地方では冷たい雨の連続で、東京では同年月での快晴日数は0(梅雨期である6、7月を除いては初のワースト記録)、日本気象協会発行の天気図日記では「暗い3月」と評される程であった。その他、1988年(昭和63年)、1991年(平成3年)、1992年(平成4年)、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)と3月が比較的長いこと曇雨天が持続した影響で、月間日照時間は北日本除いてかなり少なかったため、20世紀末にかけての3月は、「菜の花の上にお日様無し」、「行楽受難・鬼門の月」、「花見には 傘など雨具が 必需品」、「卒業式、終業式はいつも雨」などと不名誉なレッテルが貼られたこともあった。その他、2002年(平成14年)、2006年(平成18年)には2月おわりから3月初めにかけて、南岸前線が停滞したり、朝晩中心に雨の降りやすいすっきりしない空が続いて、お天気キャスターの一部では「菜種梅雨の走り?」と評されたりもした。

 誰かが「人間は忘れる動物だから、生きていけるのですよ」と言っていたが、まさにその通り。昔のことはすっかり忘れている。この悪天候は仕方がないんだとあきらめの境地に入る。


  天候の話が一段落すると、28日に花博記念公園のチューリップ約700本がなぎ倒され、満開間近の赤やピンク、白などの花が茎の途中から折られていた事件のことが話題になった。つい最近行ったばかりなので「何で?」という憤りで一杯になった。奥まった小高い丘の斜面に植えられているので、行きずりにちょっといたずらでするというレベルではない。と話したが、今日の夕方のニュースで、同じ花壇でまたなぎ倒された。と報道されていた。偏執的な匂いがして気持ちが暗くなる。

 そのニュースを聞きながら、夕飯の準備をしていたのだが、ふと窓から外を見ると夕日が美しかった。思わず、「ちょっと行ってくる」と言って屋上にあがり、久しぶりに夕日の写真を撮った。

 

 夜、往復はがきを印刷する仕事をたのまれたので、久しぶりに根をつめて夕食後仕事をした。10時30分に出来上がったので、急いで観ようと思っていた『歴史は眠らない』にチャンネルを合わせた。 


  歴史は眠らない▽平安の美と伝統▽CWニコル
NHK教育
放送日時: 3月30日(火) 22:25-22:50


[詳細] 歴史は眠らない(新番組)◇「サクラと日本人」と題し、桜を入り口に日本的な情緒とその変遷を4回にわたり伝える。1回目は「サクラの美の誕生」。桜は、古くから日本人の営みと深く結び付いてきた。「花と言えば桜」といわれるようになったのは平安時代。嵯峨天皇によって花宴が始まり、宮中紫宸殿の左近の桜が植えられたのもこの時代。そして桜の美を確立したのが「古今和歌集」の登場だ。四季の移り変わりに美を感じる日本的情緒を、文学として初めて表した「古今和歌集」は、桜を特別なものとして取り上げた。桜が散る姿に人の世のはかなさをなぞらえた歌が多く収められ、日本人の桜への思いを決定づけたのだ。平安時代の「花と言えば桜」になっていく過程をたどり、日本人が桜に込めた思いを探る。出演は作家のC・W・ニコル氏。

 ニコル氏が、1000年以上も桜への感性を持ち続けていることが驚異である。と話していたが、その通りだと思う。奈良を中心にして出かけるたびに、歴史の重みというものを強く感じている。古典の見方が自分の中で変化してきているのがわかる。

 そして、番組の最後の方で、桜を最も愛した歌人として平安末期の西行が登場して、あの有名な歌『願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ』が紹介された時、それって今日ではないか?と閃いた。今日は旧暦で2月15日、満月。番組はそっちのけになり、カレンダーを確認し、娘のお古の国語要覧で調べると、西行は歌の願い通り2月16日に73歳で没した。とあった。

 「ちょっと行ってくるわ」と言って、デジカメを持って外に出て、西行の歌に合いそうな光景を撮ってみた。

 「ちょっと行ってくるわ」の多い一日であった。  

コメント
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