素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

デジブック 『京都・愛宕山』

2010年03月12日 | 日記
デジブック 『京都・愛宕山』


 山頂は京都市に所在するが、約1.5km西に市境があり、山体は亀岡市にまたがる。標高924m。

 京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として京都の住民の信仰を集めている。亀岡市側の登山口にも「元愛宕」と呼ばれる愛宕神社がある。

 本能寺の変の直前に明智光秀が愛宕神社を参詣し愛宕百韻を詠んだことでも知られる。亀岡市から愛宕山への登山道は光秀が通ったことから「明智越え」と呼ばれている


 
「敵は本能寺にあり!」
明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻める(本能寺の変)数日前の天正10年(1582年)5月下旬、愛宕山に参詣し愛宕五坊の一つである西坊威徳院で連歌を興行した。発句を光秀が詠み、脇句を威徳院の行祐法印、第三句を連歌師の里村紹巴がつけた。全九名で100韻を詠み(愛宕百韻)、書き留めた懐紙を神前に捧げた。

その光秀の詠んだ発句『ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)』は有名であり、古来政治的な解釈がなされている。

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