スッキリ晴れるかと期待していたが、 風は強く冷たいし、にわか雨も降ったりしてもう一つの空模様。もくれんの花が満開である。花がランに似ているので、昔は“木蘭(もくらん)“と呼ばれていたこともあったみたいだが、今日ではランよりもハスの花に似ているとして“木蓮(もくれん)”と呼ばれている。
花言葉は「自然への愛」「恩恵」
自然体を基本としているが、4年前からサントリーのDHA&EPA+セサミンEは愛用している。定期的に届けられる時一緒に『美感遊創』という10ページ余りの小誌も入っている。今回の第90号には福島県福島市の郊外にある約5ヘクタールの花見山公園(個人所有)を無料で開放されている2代目園主阿部一郎さん(90歳)への取材が掲載されていた。
もともと松や栗だけの雑木林であったが、父親がこの山に花を植えようと言ったので、一緒に少しずつ開墾して、桜やもみじなど多くの花木を全体像を描きながら、将来の姿を楽しみに一鍬一鍬いれていったとのこと。いつしか、花を見せてほしいという多くの声が集まりだし、昭和34年(1959)に花見山公園として無料で一般公開されました。
記者の質問に答えての花山さんの言葉がなかなか味わい深い。
「植物は大事に育てるのが一般的な感覚でしょう。しかし、きれいな花を咲かせるためには、生育の度合いに応じて枝に少し傷を入れるなど、刺激を与えることもあります。
人間も、苦労から立ち上がった人には味があります。深さがあります。植物も試練にあうことで成長し、太く厚く、たくさんの花をつけるのです。」
「花木農業はいわば生き物との共同生活ですから、ことばはなくても心が通じ合うのでしょう。 1年のうちで、4月の上旬を過ぎた頃に私たちの作業は一段落しますが、虫や病気がつかないように配慮するのは毎日のこと。
肥料を与えたり、除草したりで花の管理は年中忙しいけれど、育てた花がきれいに咲くことが一番うれしい。花に生かされ、感謝して生きることが私の人生になっているわけです。」
「人間ですから精神的な苦痛を感じる日もあります。そういう中で山に登り、花に浸るうちにおのずと癒されていく。花は心の波風を鎮め、大きな灯りを私ら人間社会に与えてくれていると感じております。(中略)この花たちと一緒に生きることが私の道楽。歳を重ねても花山作りの夢は果てず、夢があるからこそ楽しみがある。それが本当の道楽だと思うのです。」
「花が咲くのはわずか1週間足らずでしょう。1年の大半は自然に耐えながら生きて、そして無心に咲いて人を喜ばせる。無欲の美しさに人生のあり方を教えられます。自然の営みとはまさに、読まざるお経のようなものかもしれません。」
花言葉は「自然への愛」「恩恵」
自然体を基本としているが、4年前からサントリーのDHA&EPA+セサミンEは愛用している。定期的に届けられる時一緒に『美感遊創』という10ページ余りの小誌も入っている。今回の第90号には福島県福島市の郊外にある約5ヘクタールの花見山公園(個人所有)を無料で開放されている2代目園主阿部一郎さん(90歳)への取材が掲載されていた。
もともと松や栗だけの雑木林であったが、父親がこの山に花を植えようと言ったので、一緒に少しずつ開墾して、桜やもみじなど多くの花木を全体像を描きながら、将来の姿を楽しみに一鍬一鍬いれていったとのこと。いつしか、花を見せてほしいという多くの声が集まりだし、昭和34年(1959)に花見山公園として無料で一般公開されました。
記者の質問に答えての花山さんの言葉がなかなか味わい深い。
「植物は大事に育てるのが一般的な感覚でしょう。しかし、きれいな花を咲かせるためには、生育の度合いに応じて枝に少し傷を入れるなど、刺激を与えることもあります。
人間も、苦労から立ち上がった人には味があります。深さがあります。植物も試練にあうことで成長し、太く厚く、たくさんの花をつけるのです。」
「花木農業はいわば生き物との共同生活ですから、ことばはなくても心が通じ合うのでしょう。 1年のうちで、4月の上旬を過ぎた頃に私たちの作業は一段落しますが、虫や病気がつかないように配慮するのは毎日のこと。
肥料を与えたり、除草したりで花の管理は年中忙しいけれど、育てた花がきれいに咲くことが一番うれしい。花に生かされ、感謝して生きることが私の人生になっているわけです。」
「人間ですから精神的な苦痛を感じる日もあります。そういう中で山に登り、花に浸るうちにおのずと癒されていく。花は心の波風を鎮め、大きな灯りを私ら人間社会に与えてくれていると感じております。(中略)この花たちと一緒に生きることが私の道楽。歳を重ねても花山作りの夢は果てず、夢があるからこそ楽しみがある。それが本当の道楽だと思うのです。」
「花が咲くのはわずか1週間足らずでしょう。1年の大半は自然に耐えながら生きて、そして無心に咲いて人を喜ばせる。無欲の美しさに人生のあり方を教えられます。自然の営みとはまさに、読まざるお経のようなものかもしれません。」