幾度となく“なまこ”はスライスしてきたが、いつでもまな板の上に横たわっている姿を見ると、「最初に食べた人は誰だろう?」と思ってしまう。無人島に漂着して生きるために追い詰められた人か、逆に美食の限りを尽くし普通のものには飽きた人か、はたまた運悪く勝負に負けた罰ゲームとして食べさせられた人かなどなど・・・グロテスクである。
小学校低学年の頃、当時伊勢に住んでいた祖母(母方)の家に行った時、歩いて10分ほどの母の知人の家に届け物を持って行くように言われていたので、一人で出かけた。「生ものなのでなるべく早く食べるようにと言ってました。」と伝言を伝えて手渡した。「よく届けてくれた。早速、昼にいただこう、一緒に食べていきなさい。」と歓待された。
応接間で、家族の人たちに混じってお菓子などを食べていたら、台所から悲鳴。何事かと皆が駆けつけると流しに、3匹のなまこ。魚の類だと思ってビニール袋から取り出し、包んである新聞紙をあけたのでビックリ仰天した始末。スライスして上品に盛り付けられた“なまこ”は見たことあるが、実物は初めて見たらしい。志摩の人間にとってはなまこの姿は珍しくもなく、母としては新鮮で、高級な手土産として奮発したものだった。
他の人もさわることもできず、ギャーギャーと騒ぐので、なぜか私は悪いことをしたみたいに肩身が狭くなった思いがした。近くの魚屋に調理してもらったのだが、誰も食べることができず、「よく食べるね!」と変なほめられ方をしながら私が食べるはめになった。
以前、女房の同僚の人がお歳暮で“なまこ”を贈られるのだが、どうすることもできないので我家に回ってくるという恩恵を受けていたこともあった。まぐろ、鯨、いるかなどで国際的にも問題になっているが、食文化というものは長い歴史の中で形成されてきたものでそう簡単には理解、解決できるものではない。
私は、漁師町浜島の出である父と60歳まで現役の海女であった祖母の影響もあって魚文化になじんできた。肉料理を食べたのは高校を卒業して下宿生活を始めてからである。割と好き嫌いもなく雑食系であるが、今までで1つだけ食べられないものがあった。大学の時下宿で出された“豚足”である。爪のついた足が6本ほど並んでいるのを見た瞬間、食欲はゼロになってしまった。理性ではコントロールできないレベルで、まったく手をつけることができなかった。
旅をする楽しみの1つに、食文化との出会いがある。それぞれの家、地域、地方、国と本当に豊かに育くまれてきたことを実感している。摩擦ではなく共存の道ができたらいいのにというのが素朴な望みである。

応接間で、家族の人たちに混じってお菓子などを食べていたら、台所から悲鳴。何事かと皆が駆けつけると流しに、3匹のなまこ。魚の類だと思ってビニール袋から取り出し、包んである新聞紙をあけたのでビックリ仰天した始末。スライスして上品に盛り付けられた“なまこ”は見たことあるが、実物は初めて見たらしい。志摩の人間にとってはなまこの姿は珍しくもなく、母としては新鮮で、高級な手土産として奮発したものだった。
他の人もさわることもできず、ギャーギャーと騒ぐので、なぜか私は悪いことをしたみたいに肩身が狭くなった思いがした。近くの魚屋に調理してもらったのだが、誰も食べることができず、「よく食べるね!」と変なほめられ方をしながら私が食べるはめになった。
以前、女房の同僚の人がお歳暮で“なまこ”を贈られるのだが、どうすることもできないので我家に回ってくるという恩恵を受けていたこともあった。まぐろ、鯨、いるかなどで国際的にも問題になっているが、食文化というものは長い歴史の中で形成されてきたものでそう簡単には理解、解決できるものではない。
私は、漁師町浜島の出である父と60歳まで現役の海女であった祖母の影響もあって魚文化になじんできた。肉料理を食べたのは高校を卒業して下宿生活を始めてからである。割と好き嫌いもなく雑食系であるが、今までで1つだけ食べられないものがあった。大学の時下宿で出された“豚足”である。爪のついた足が6本ほど並んでいるのを見た瞬間、食欲はゼロになってしまった。理性ではコントロールできないレベルで、まったく手をつけることができなかった。
旅をする楽しみの1つに、食文化との出会いがある。それぞれの家、地域、地方、国と本当に豊かに育くまれてきたことを実感している。摩擦ではなく共存の道ができたらいいのにというのが素朴な望みである。