うっとうしい天気が続いているが外に出ることが制約される分、本を読む時間が多くなる。“晴耕雨読”とはよく言ったものである。『最後の授業』のTVは、録画されたものを何度も見て講義の内容をメモで自分なりにまとめたりもしたが、編集でカットされた部分はどうすることもできなかった。そういう意味でこの本は途切れ途切れであったものを補完してくれた上に、ていねいな脚注もつけられており理解を深めるのにも手助けをしてくれた。たくさんの示唆ある話があるのだが、今の私にとって一番心に残ったのは“パーソナル・コミュニケーション”と“マス・コミュニケーション”に関わる部分である。
“マス・コミュニケーション”とは不特定の多数に向けて同時に繰り返し行われる行為。つまり、ビデオに撮って何度も何度も放送することができるコミュニケーション。“パーソナル・コミュニケーション”とは特定の他者に向けての一度限りの交流。そして精神科医である北山さんのフィールドは“パーソナル・コミュニケーション”にあると自己定義している。
北山さんの場合、バンドの解散記念に自家出版というかたちで、自分たちのライブを聴きに来てくれていた友達のためにつくった300枚のレコードが270万枚売れるということになったことで、聴衆の顔が見えていたパーソナル・コミュニケーションの世界から不特定多数のために繰り返し歌うマスコミの世界に巻き込まれてしまった。その体験が精神分析という道を選び、二者間内交流にこだわり続けて来た源となっているように思う。
相田みつをさんの場合、親子4人食べるために習字の先生を始めたが、その生き方に疑問を感じ、熟考した結果
①習字の先生をやめる。
②書家でなくてもいい。
③詩人や歌人でなくてもいい。
④かねや世間的な名声、肩書きは一生なくてもいい。
⑤その代わり、すっ裸の人間として、どこまでも自分の本心、本音を書いてゆく。人間としての精神の自由だけはだれにも渡さずに固く 守りながら
そこから生まれたのが私たちがよく目にする文字と言葉である。その言葉はパーソナルというよりは自分自身への語りである。しかし、今や彼の言葉はマス・コミュニケーションの世界でもてはやされるようになっている。北山さんが感じたギャップと同じようなものを晩年の相田さんも持っていたのではないかと想像する。この前の展覧会で強く感じたのである。
私の場合、教育現場で授業をしたり、学級を持ったり、クラブ活動にかかわってきたわけだが、それらはすべてパーソナル・コミュニケーションの世界である。実践を知らない第三者に発表しなければならない時、心に生ずる違和感も同じではないかと思う。私が授業プリントをつくったり、学級、学年、クラブ通信を書くときは目の前にいる生徒に対して書いているのである。そこが研究者と実践家の違いだと思ってきた。したがって、その生徒たちと別れた瞬間にそれらも何の意味もないものになるのである。そして、新たに出逢った生徒に向位けて語り始めるのである。
現実は、そう簡単に割り切れるものではないが、常に“マス”と“パーソナル”については意識しておかなければいけないと思う。
“マス・コミュニケーション”とは不特定の多数に向けて同時に繰り返し行われる行為。つまり、ビデオに撮って何度も何度も放送することができるコミュニケーション。“パーソナル・コミュニケーション”とは特定の他者に向けての一度限りの交流。そして精神科医である北山さんのフィールドは“パーソナル・コミュニケーション”にあると自己定義している。
北山さんの場合、バンドの解散記念に自家出版というかたちで、自分たちのライブを聴きに来てくれていた友達のためにつくった300枚のレコードが270万枚売れるということになったことで、聴衆の顔が見えていたパーソナル・コミュニケーションの世界から不特定多数のために繰り返し歌うマスコミの世界に巻き込まれてしまった。その体験が精神分析という道を選び、二者間内交流にこだわり続けて来た源となっているように思う。
相田みつをさんの場合、親子4人食べるために習字の先生を始めたが、その生き方に疑問を感じ、熟考した結果
①習字の先生をやめる。
②書家でなくてもいい。
③詩人や歌人でなくてもいい。
④かねや世間的な名声、肩書きは一生なくてもいい。
⑤その代わり、すっ裸の人間として、どこまでも自分の本心、本音を書いてゆく。人間としての精神の自由だけはだれにも渡さずに固く 守りながら
そこから生まれたのが私たちがよく目にする文字と言葉である。その言葉はパーソナルというよりは自分自身への語りである。しかし、今や彼の言葉はマス・コミュニケーションの世界でもてはやされるようになっている。北山さんが感じたギャップと同じようなものを晩年の相田さんも持っていたのではないかと想像する。この前の展覧会で強く感じたのである。
私の場合、教育現場で授業をしたり、学級を持ったり、クラブ活動にかかわってきたわけだが、それらはすべてパーソナル・コミュニケーションの世界である。実践を知らない第三者に発表しなければならない時、心に生ずる違和感も同じではないかと思う。私が授業プリントをつくったり、学級、学年、クラブ通信を書くときは目の前にいる生徒に対して書いているのである。そこが研究者と実践家の違いだと思ってきた。したがって、その生徒たちと別れた瞬間にそれらも何の意味もないものになるのである。そして、新たに出逢った生徒に向位けて語り始めるのである。
現実は、そう簡単に割り切れるものではないが、常に“マス”と“パーソナル”については意識しておかなければいけないと思う。