若い時から本にしろ映画にしろ世間で名作と言われているものには疎かった。加えて、外国人の名前と顔が頭に入らないという傾向にあるので外国の作品はさらに疎遠であった。基本的には今も変わっていない。唯一の例外がオードリ・ヘプバーンである。出会いは大学生の時に時間つぶしのために入った映画館で上映されていた『ローマの休日』であった。何の予備知識もなく、たまたま開始時刻がちょうどよかったという理由で選んだのだが、すっかりとりこになった。
息子が大学に入学した時下宿をしたので、これ幸いと息子の部屋を仕事部屋に使った。どこかからかは忘れたがオードリのでかいカレンダーをもらったのでおでドアに貼り付けた。戻って来た息子は「何これ?やめてほしいな」とあきれ顔で言ったが、はがさずに10年余りそのままである。
息子が小学校4年か5年の時、『ローマの休日』がテレビ放映された。「なつかしいなあ」と思いながら楽しみにしていた。しかし、番組枠に合わせる為にカットして編集されていたのである。しかも、最初の部分、記者のジョーの新聞社で解雇寸前になっていることや編集長との賭けのシーンがすべてカットされていたのである。たまたま近くにいた息子にそのことを憤ってしゃべった。この最初の打算的な部分があるからラストシーンが生きるのに、これじゃ台無しや、みたいな内容のことを言ったと思うが、小学生の息子にとっては何のことやらさっぱりわからなかったと思う。ただ、思い入れの強さだけは感じとったのではないかと思う。
その年の誕生日に息子が中古のビデオ屋で買ったと『ローマの休日』のビデオをプレゼントしてくれた。後にも先にも息子からのプレゼントはこのビデオだけである。全編観ることができなかった無念さが子ども心に伝わったのかと意外なプレゼントにホロリとした記憶がある。
そのオードリ・ヘプバーン主演の映画がBSシネマで三夜連続放映された。16日が「シャレード」17日が「パリで一緒に」今夜が「おしゃれ泥棒」すこしコミカルな小悪魔的な役を演じた時の魅力を堪能させてもらった。1960年代につくられたものだが色あせていない。
息子が大学に入学した時下宿をしたので、これ幸いと息子の部屋を仕事部屋に使った。どこかからかは忘れたがオードリのでかいカレンダーをもらったのでおでドアに貼り付けた。戻って来た息子は「何これ?やめてほしいな」とあきれ顔で言ったが、はがさずに10年余りそのままである。
息子が小学校4年か5年の時、『ローマの休日』がテレビ放映された。「なつかしいなあ」と思いながら楽しみにしていた。しかし、番組枠に合わせる為にカットして編集されていたのである。しかも、最初の部分、記者のジョーの新聞社で解雇寸前になっていることや編集長との賭けのシーンがすべてカットされていたのである。たまたま近くにいた息子にそのことを憤ってしゃべった。この最初の打算的な部分があるからラストシーンが生きるのに、これじゃ台無しや、みたいな内容のことを言ったと思うが、小学生の息子にとっては何のことやらさっぱりわからなかったと思う。ただ、思い入れの強さだけは感じとったのではないかと思う。
その年の誕生日に息子が中古のビデオ屋で買ったと『ローマの休日』のビデオをプレゼントしてくれた。後にも先にも息子からのプレゼントはこのビデオだけである。全編観ることができなかった無念さが子ども心に伝わったのかと意外なプレゼントにホロリとした記憶がある。
そのオードリ・ヘプバーン主演の映画がBSシネマで三夜連続放映された。16日が「シャレード」17日が「パリで一緒に」今夜が「おしゃれ泥棒」すこしコミカルな小悪魔的な役を演じた時の魅力を堪能させてもらった。1960年代につくられたものだが色あせていない。