素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

二人芝居『夢謡話浮世根問』を観にウィングフィールドへ

2011年05月15日 | 日記
 木曜日の夕刊で[流山児祥×北村想 二人芝居『夢謡話浮世根問』。大阪公演は、5月14日(土)~16日(月)、3ステージのみ! お見逃しなく。公演情報は http://www.wing-f.co.jp/#ukiyo で。懐かしい“昭和”歌謡に乗せて、還暦を過ぎた男と、還暦ま近の男が、身体をさらす渾身の二人芝居。40年来の付き合いのおっさん二人だからこそ醸し出せる、独特の空気感。濃密な空間=ウイングフィールドで、ぜひ体感してください。]という内容の記事を見て心が動いた。

 ウィングフィールドは周防町ウィングスの6階にあり、“冒険心が飛翔する~100人の劇空間~”というキャッチコピー通りのビルの一室につくられた穴倉みたいな小さな劇場であった。

    『うたはゆめ うきよのねどい』と読む。“根問い”元の意味は「根元まで掘り下げて問いただすこと。どこまでも問いただすこと」だが、落語では、ちょと抜けたクマやハチ公が訳知り顔なご隠居や大店の主人に「ちょっと聞きてぇことがあるんだが・・・」と始まり「ほう、それはじゃな・・・」と受け「て、なんだい・・・」と世事万般を根堀り葉堀り尋ねていく演題をさす。それが『浮世根問』。

 この二人芝居も、流山児祥演じる元機動隊員で、今は暴力団に雇われているヒットマンが“落語のハチ公”北村想演じる演じる怪しげな貧乏弁護士が“落語のご隠居”。タマ(命)をとりにいく標的を聞くために弁護士事務所に入ってきたところから二人の“浮世根問”が始まる。

 “昭和”歌謡を綴りながら笑いと哀愁と憤りが渾然一体となった物(歌?)語が展開されていく。流山児さんが“あいさつ”の中でこう書いている。

 『・・・3分の2台本、3分の1即興という前代未聞のスリリングな現場です。“仕掛け花火をみたあとに かくて哀しき帰り道”。たった二人の“歌謡曲で綴る昭和の”ミステリー劇。“昭和”も“歌謡曲”も“革命”も全然知らない世代?から、少しわかる世代、全部わかる世代?がごちゃごちゃになって観てくれて「なんじゃこりゃ?」と言ってもらえたらいいなあ、と思っています。1時間20分余(日によって違います)ごゆっくりお楽しみください。・・・』  桟敷席にぎっしりといっても80名余り。世代は20前後から70前後まで幅広かった。当然アラカン世代が中心だが、思っていたより若い人が多かった。当然、歌も世相も 全部わかる私にとっては記憶の底に沈んでいたものがかきまわされ、意識の世界に浮かびあがってきた。そして、《生きてきたんだ》という思いと《生きていくぞ》という思いを胸に劇場を後にした。

 歌は世につれ 世は歌につれ 仕掛け花火をみたあとに かくて哀しき帰り道 されど見つめるまだ見ぬあした
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