素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

教員公募制度

2013年10月07日 | 日記
 先日の新聞の一面に、『世界体操・床「シライ」成功 17歳白井 最年少V』の下に『大阪市 全校で教員公募・15年度にも小中異動で選考』を見た時、心の中にモヤッと感が湧いてきた。うまく言葉で表現できずスッキリしないままの状態が続いている。今、深刻な事態になっている中国の大気汚染の映像を見ると今の自分の胸の内と同じだなと思ってしまう。

 こういう時の一番の解消法はジョギング、散策。残念ながら今それができない。次が睡眠。しっかり眠れば思考は少しだけ整理できる。

 新聞によれば、大阪市教委は必要とする教員像や得意分野を校長が示して募る教員公募制度を全校で導入する方針を固めたという。来春は「英語教育」「習熟度別授業」などの特色がある100校(小学56・中学42・小中一貫2)で試験実施して2015年度には全429小中学校で実施するという。狙いは校長の人事権を広げ、教員のやる気を引き出すとしている。

 私は個々の学校で、学校長のリーダーシップのもと、地域や生徒たちの実態をしっかり把握して教職員とともに知恵を出し合って学校経営をしていくことが大切であり、それが地域に根ざしている公立校の役割りであると思っている。その点から言えば教員公募制度は以前から有ってもいいなと考えていたものではある。

 しかし、実施には多くの壁があるのであきらめつつ現役を終わった。まとまらないが思うことだけ列挙。

1つは、学校長の独立性の保障である。教育行政側の意にそわない学校運営を目指す学校長をも包み込む度量があるか?ということ。世界でも冠たる中央集権的な教育システムをつくり上げている日本である。私を含め多くの人が140年間に培われてきた学校観、教育観に知らず知らず縛られていることは否定できない。学校長を中心にした個々の特徴ある学校を容認する風土ができているかと問うとはなはだ疑問である。

2つめは、近年、中央集権化の回帰現象が強くなっていることを思うと果たして真のリーダーシップを持つ学校長が育っているのか?という疑問。自分の小さな経験からの話ではあるが、学校や生徒を見ている学校長が以前は多かった。良くも悪くも独立自尊の心がなければ教員公募はできないだろう。

3つめは、公立の壁。私立と違っていつまでも同じ学校に居ることはできない。学校長が1つの学校を創るとなると10年は必要である。公募で選出された教師を含め区切りを迎えるまで移動を待つことができるのか?裏返せばどの学校でも同じようことになれば人事の停滞ということが起こってくる。そこにはそこで問題が出てくる。公立のあるべき姿をしっかり考えないと混乱のみに終わるのではないか。

4つめは、教師のやる気は公募することで出るのか?ということ。やる気の源泉はもっと広く、深いように思う。これも自分の小さな経験からの話であるが、一期一会の精神とその場所を自分の居心地の良い所にしたいと思えばやる気は出る。

などなどである。

 台風が接近してきている。まさかの展開である。早く抜けてくれることを祈るばかり。

 
コメント
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