素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

残暑の中、10月スタート。瑞穂、鶏頭に思う

2013年10月01日 | 日記
 休耕田が増えたとはいえ、この時期になると「瑞穂の国だな」と感じる風景が広がる。弥生の時代からの日本の原風景である。
  小学校の頃、稲が実をつけ始めると毎年繰り返し繰り返し『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という言葉を、誰に?という記憶はないが、朝礼や道徳の時間を始め近所の説教好きのおじさんなど多方面から呪文のように聞かされたおかげで脳の奥深く刻み込まれこの時期になると湧き出てくるのである。「謙虚に生きる」ということ、この歳になってから大切なことであろう。これも早期教育?

 我が家では鶏頭の花が存在感をアピールしている。独特の形状に自然の造形美の不思議を感じる花の1つである。
   「日本の歳時記」にも独特な形と燃えるような深紅が好まれ、俳句にもよく詠まれるとある。
 秋風の吹きのこしてや鶏頭花(蕪村) 鶏頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)

 また、金子兜太監修「365日で味わう 美しい日本の季語」ではこう書かれている。「熱帯アジア原産で、中国から渡来したヒユ科の一年草です。・・(中略)・・花の汁は染料になるので、古くは「韓藍(からあい)」とも呼ばれ、『万葉集』にも詠まれています。・・(後略)」

 万葉の頃からというのは意外であったので中西進編「万葉集事典」(講談社文庫)で調べた。

からあゐ≫⇒ 鶏頭。けいとう。渡来種。韓(から)の藍色をとる草の意。一年草。庭園や畑に植える。春、直蒔き。秋、鶏のとさかに似た赤色、白色、黄色などの花が咲く。際(きわ)やかで恋情が表面に出ることにたとえた歌も。うつし染の原料。

 万葉集には四首あるとあった。

わが屋戸に韓藍蒔き生(おほ)し枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとそ思ふ         巻三(384)山部赤人
秋さらば移しもせむとわが蒔きし韓藍の花を誰か抓み採(つ)みけむ    巻七(1362)
恋ふる日のけ長くあればみ苑(その)生(ふ)の韓藍の花の色に出でにけり    巻十(2278)
 (恋しい日々が長く続いたので、あの御苑の韓藍の花のように、色に出てしまったことだ)
隠(こも)りには恋ひて死ぬとも御苑生(みそのふ)の韓藍の花の色に出でめやも    巻十一(2784)
 (じっと心に堪えて恋い死にしようとも、御苑生の韓藍の花のように、色に出ることがどうしてあろう)

今も昔も人の心は大きく変わっていないということか。
季節外れの残暑はいつまで続く?
コメント
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