素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

豪雨被害

2013年10月18日 | 日記
 今度は伊豆大島での豪雨被害。雨雲の動きを見ていると長時間、ピンポイントで狙ったように大島の周辺が雨量強を示す赤であった。降り始めからの降水量が800ミリというのは半端でない。こんなに予報精度も情報伝達能力も発達していながら最後の雨を食い止めるということに対しては無力である。いつも災害の報道に接するたびに悔しさ、憤り、むなしさの入り混じった思いに襲われる。

 寺田寅彦さんが書いた「天災と国防」(岩波新書)にある言葉がよみがえる。

・・・日本はその地理的の位地が極めて特殊である為に国際的にも特殊な関係が生じ色々な仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的地球物理学的にも亦極めて特殊な環境の支配を受けて居る為に、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命の下に置かれて居ることを一日も忘れてはならない筈である。

 地震津浪台風の如き西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは云われないまでも、頻繁に我国のように激甚な災禍を及ぼすことは甚だ稀であると云ってもよい。我国のようにこう云う災禍の頻繁であるということは一面から見れば我国の国民性の上に良い影響を及ぼして居ることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有の色々な国民性の優れた諸相が作り上げられたことも事実である。

 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進む程天然の暴威による災害がその激烈の度を増すという事実である。

 人類が未だ草昧の時代を脱しなかった頃、頑丈な岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、大抵の地震や暴風でも平気であったろうし、これ等の天変によって破壊さるべき何等の造営物をも持ち合せなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘立小屋のようなものであって見れば、地震には却て絶対安全であり、又仮に風に飛ばされてしまっても復旧は甚だ容易である。兎に角こういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。

 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして重力に逆らい風圧水力に抗するような色々の造営物を作った。そうして天晴れ自然の暴威を封じ込めたつもりになって居ると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然が暴れ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を亡ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると云っても不当ではない筈である。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものは誰あろう文明人そのものなのである。・・・・・


 これが書かれたのは昭和9年、80年近くを経た今の状態を見ると寺田さんの指摘は的を射ている。福島の汚染水の問題でも地下水の力が想像以上に強くコントロールできないところにも一因がある。軽々しく「完全にコントロールできている」と言ってはいけないのである。その傲慢さのつけは必ず払わなければいけない時がくる。冷静に謙虚に最善の手を打ち続ける必要がある。

 日本各地で起こっている災害は警告ととらえるべきである。今、人類が獲得した「原子力」とういうものは「天然に反抗する人間の細工」の極め付けであることを忘れてはいけない。
コメント
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