ジムへの途中にある久保池沿いの小道にある梅の木の蕾がふくらんできていると思いながら通っていたが、ポツポツと花が開き始めた。満開の梅花もいいが、咲き始めの今もまたいい。必ず頭の中に出てくるのが松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪(1654年~)がよんだ句
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ
である。「日本の歳時記」(小学館)で「梅」を見ると【春】にこの句が掲載されているが、、実際はこの句は冬によまれているらしい。この句がよまれる前には詞書があり、そこには「寒梅」という冬の季語が用いられている。そのため、正確にはこの句の季語は「寒梅」と考えられる。というのだ。
この句の解釈には2つあるそうだ。
1つは、「寒さの中、ほのかな暖かさにじんわりと心がふるえる様子」から「梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。」という思いを詠んでいるというもの。
もう1つは、「梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっている。」と「聞こえ始めた春の足音に心躍らせる様子」を詠んでいる。というもの。
私は、前者の解釈と同じ思いで、一輪のウメの花を見た。週末から来週にかけては「10年に一度」とか「最強」という冠のついた寒波が来るとどの気象予報士も注意を促している。「一輪ほどのあたたかさ」である。
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ
である。「日本の歳時記」(小学館)で「梅」を見ると【春】にこの句が掲載されているが、、実際はこの句は冬によまれているらしい。この句がよまれる前には詞書があり、そこには「寒梅」という冬の季語が用いられている。そのため、正確にはこの句の季語は「寒梅」と考えられる。というのだ。
この句の解釈には2つあるそうだ。
1つは、「寒さの中、ほのかな暖かさにじんわりと心がふるえる様子」から「梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。」という思いを詠んでいるというもの。
もう1つは、「梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっている。」と「聞こえ始めた春の足音に心躍らせる様子」を詠んでいる。というもの。
私は、前者の解釈と同じ思いで、一輪のウメの花を見た。週末から来週にかけては「10年に一度」とか「最強」という冠のついた寒波が来るとどの気象予報士も注意を促している。「一輪ほどのあたたかさ」である。