東京オリンピックが終わり、2025年は大阪万博、冬季オリンピックに札幌が名乗りをあげている。この流れ1964年の東京オリンピックからの流れの二番煎じだと思っていたが、実は「三番」煎じだということを知った。
「仏教の大東亜戦争」の中に次のような記述があった。
『対米開戦の前年である1940(昭和15)年は、皇紀2600年の節目の年であった。皇紀とは、1872(明治5)年に維新政府が、記紀神話に基づいて神武天皇が即位した年を紀元前660年として定めたもの。政府はその5年前に「紀元2600年祝典準備委員会」を発足させ、様々な祝賀行事を予定していた。
この皇紀2600年を、日本政府は国威発揚の好機ととらえた。その目玉は同年に予定されていた第12回夏季オリンピック東京大会と、第5回冬季オリンピック札幌大会、そして日本万国博覧会のトリプル開催であった。だが、日中戦争が長期化し、物資が不足。
国家総動員体制を国民に強いるなかで、両オリンピックと万博を開くことは現実的ではなくなり、開催権を返上していた。』
戦前昭和、戦後昭和、令和と80年余り同じ発想でやって来たのかと興ざめた。戦後昭和の成功体験よもう一度と夢見てのことだろうが、東京五輪は新型コロナウイルスによる世界規模のパンデミックに加え不祥事の連発と汚職事件で語るのが憚れるものになりつつある。大阪万博も安全保障環境の大きな変化によって予算の肥大化が案じられている。戦後昭和と令和の違いがくっきりと見える3大イベントとなりそうだ。
「三番」煎じならばもう出がらし?
「仏教の大東亜戦争」の中に次のような記述があった。
『対米開戦の前年である1940(昭和15)年は、皇紀2600年の節目の年であった。皇紀とは、1872(明治5)年に維新政府が、記紀神話に基づいて神武天皇が即位した年を紀元前660年として定めたもの。政府はその5年前に「紀元2600年祝典準備委員会」を発足させ、様々な祝賀行事を予定していた。
この皇紀2600年を、日本政府は国威発揚の好機ととらえた。その目玉は同年に予定されていた第12回夏季オリンピック東京大会と、第5回冬季オリンピック札幌大会、そして日本万国博覧会のトリプル開催であった。だが、日中戦争が長期化し、物資が不足。
国家総動員体制を国民に強いるなかで、両オリンピックと万博を開くことは現実的ではなくなり、開催権を返上していた。』
戦前昭和、戦後昭和、令和と80年余り同じ発想でやって来たのかと興ざめた。戦後昭和の成功体験よもう一度と夢見てのことだろうが、東京五輪は新型コロナウイルスによる世界規模のパンデミックに加え不祥事の連発と汚職事件で語るのが憚れるものになりつつある。大阪万博も安全保障環境の大きな変化によって予算の肥大化が案じられている。戦後昭和と令和の違いがくっきりと見える3大イベントとなりそうだ。
「三番」煎じならばもう出がらし?