「週刊朝日」が5月から休刊するという報に時代の流れを強く感じた。デジタル化が加速する中で、紙文化の衰退が著しい。中でも出版業界が大きな岐路に立たされていることは紛れもない事実だ。
「週刊朝日」は父が定期購入していた。私が世の中の動きに関心を持ち始めた小学校高学年の頃から、家に置いてある「週刊朝日」を読み、大人の社会を覗いた気分になっていた。家を離れてからは、帰省する度にまとめ読みをするのが楽しみの一つでもあった。それと対をなす形で喫茶店などで読んでいたのが「週刊新潮」谷内六郎さんの表紙の絵の純朴さとは裏腹に、中味は新聞社系の週刊誌ではあまり取り上げない、人間界のドロドロとしたものが掲載されていた。2つの雑誌でバランスを取っていたように思う。
最近は、週刊誌を置いている店もなくなり、もっぱら新聞広告の各週刊誌の見出しだけを読んでいる。あえて手にして読もうという気持ちになれない。
ともあれ、1922年に「旬刊朝日」という名前で新聞社発行の雑誌として創刊、直後に現在の誌名に変更して100年余り日本の激動を報じてきた。1923年9月1日に関東大震災が発生した際には、大阪で印刷して同9日に通常通り発行、全国に被害状況を伝えた。という話はジャーナリズム魂を強く感じるものだった。
「販売部数・広告費が縮小するなか、ウェブニュースや書籍部門に注力する」などとしているが、「日本最古の総合週刊誌」とされる同誌が100年を超える歴史に事実上、幕を下ろす。という決断をしたことは出版不況の深刻さを物語っている。
「週刊朝日」は父が定期購入していた。私が世の中の動きに関心を持ち始めた小学校高学年の頃から、家に置いてある「週刊朝日」を読み、大人の社会を覗いた気分になっていた。家を離れてからは、帰省する度にまとめ読みをするのが楽しみの一つでもあった。それと対をなす形で喫茶店などで読んでいたのが「週刊新潮」谷内六郎さんの表紙の絵の純朴さとは裏腹に、中味は新聞社系の週刊誌ではあまり取り上げない、人間界のドロドロとしたものが掲載されていた。2つの雑誌でバランスを取っていたように思う。
最近は、週刊誌を置いている店もなくなり、もっぱら新聞広告の各週刊誌の見出しだけを読んでいる。あえて手にして読もうという気持ちになれない。
ともあれ、1922年に「旬刊朝日」という名前で新聞社発行の雑誌として創刊、直後に現在の誌名に変更して100年余り日本の激動を報じてきた。1923年9月1日に関東大震災が発生した際には、大阪で印刷して同9日に通常通り発行、全国に被害状況を伝えた。という話はジャーナリズム魂を強く感じるものだった。
「販売部数・広告費が縮小するなか、ウェブニュースや書籍部門に注力する」などとしているが、「日本最古の総合週刊誌」とされる同誌が100年を超える歴史に事実上、幕を下ろす。という決断をしたことは出版不況の深刻さを物語っている。