素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

〈第4回淀川三川ふれあい交流〉に行って来ました

2009年10月17日 | 日記
 淀川河川公園背割堤地区をメイン会場にした淀川三川ふれあい交流のちらしを東寝屋川公園の事務所で偶然見かけたので天気予報では午後くずれるとあったがでかけることにした。

 背割堤は桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川となる所で、桜で名所としても知られている。ウォーキングがてらにちょうど良い程度であまり期待せずにいたが、思いのほかおもしろかった。

 淀川をはさんだ京都、大阪の各自治体展示、特産品・うまいもん市ではいろいろな情報をしることができたし、各団体のテントブースでは自然素材を使ったクラフト体験が無料ででき、竹細工・木の実を使った飾り物・ペットボトルを利用した風車などを作ってみた。ハーブティの試飲、腐葉土やシクラメンの小鉢、花の種の無料配布などもありお得気分にもなれた。
 
特設ステージでは、吹奏楽、三川合流地域の歴史の話、落語、アフリカの太鼓とダンスなどもあり楽しめた。心配した天気のほうも昼過ぎに少しパラついた程度ですみラッキーであった。

 ジャズ、ラテン音楽もあったが、枚方の市民の森でひらかれている枚方山草会の『山野草展示会』にもまわりたかったので、15時過ぎに出た。

 『山野草展示会』も趣きがありよかった。ちょうど10月29日から始まる菊花展の準備もされていて、今はまだつぼみだが2週間後には菊薫る秋を楽しめるやろなと思った。

 この時期、各公園で花と緑のフェスタが目白押しである。散策もかねて気楽にのぞいてこようと考えている。

 
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アルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』読み終える

2009年10月16日 | 日記
 3冊並行読みの1冊『怒らないこと』を読み終えた。全ページ「怒る」ことへの全面否定で貫かれている。法話をもとにまとめられているので、角度を少しずつ変えながら繰り返し『怒ってよい理由はない』『怒りは理不尽である』『怒る人は弱い人である』『怒りが幸福を壊す』ということが説かれている。

 「怒りを我慢する」とか「怒らない方法を探す」のではなく、「ただ怒らないことです。」と言い切られるとそのむずかしさに唸ってしまう。

 読みながら時実利彦氏をふと思い出した。時実氏は脳生理学者で、今の脳科学の先駆的役割りを果たした人だと思う。40年ほど前に岩波新書で「脳の話」「人間であること」を通じて脳の働きについてわかりやすく啓蒙してくれた。大学の時に講演も聴きに行ったが、とても感銘をうけた。

 「人間であること」の中で、“フランスのある詩人の「人間のまなざしが、相手を殺すことができるならば、街という街は、死骸でいっぱいになるだろう」ということばを、お互いにもういちど心に刻みつけたいものである。”と前頭連合野があまりにも発達してしまった人間の宿命についてふれている。

 仏教において「怒らないこと」を中心命題におくのも、人間を深く見つめた結果のことだと思う。

 教育現場においてもこのことは常につきまとう悩ましい課題である。アルボムッレ・スマナサーラ長老も「人が何をしようとも、慈しみ、赦すという行為が大切である。」と説く一方で「怒らないこと」と「甘やかすこと」とは違うとも説いている。生徒の行為に対してどうすべきかという時に出てくる迷いである。

 結論からいえば、こうすべきという正解はないように思う。矛盾する心をかかえながら生きていく中で培っていく自分の感性にたよるしかない。時実氏が本の中で紹介しているフランスの哲学者モンテーニュのことばを忘れないでおきたい。

世人は常に自己の正面をみる。私は目を内部にかえす。そこに据えてじっと離さない。各人は自己の前を見る。私は自分の内部を見る。私は、ただ私だけが相手なのだ。私は絶えず私を考察し、私を検査し、私を吟味する。・・・・

 

 
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すっかり秋めいてきました

2009年10月15日 | 日記
 今日の毎日朝刊の(1)面に、般若寺の「コスモス花あかり」の写真が掲載されていた。すっかり秋らしくなり空気もさわやかで動きやすくなってきた。今日から4日間ジムは休館日である。〔超回復〕効果を狙って、ちょっと詰めたトレーニングを2日間したり、「ドラぶら奈良・柳生」の整理やら、第九の練習(60%の参加度を感じるようになってきた)など久々時間に追われる生活をした。

 昨日、YNさんと話しをする機会があった。ブログの短歌のことが話題になり、投稿されるんですか?ときかれたが、私自身は素養もなく真似事みたいなものやからブログにとどめてちょっとした楽しみにしておくという主旨の話しをした。YNさんは朝日新聞をとっていて、「朝日歌壇」で“公田耕一”と“郷隼人”の両人がおもしろいですよと教えていただいた。公田さんはホームレス歌人。郷さんは殺人事件でアメリカの刑務所に服役している囚われの歌人としてたびたび入選していて朝日歌壇ではかなり存在感があるとのこと。

 早速、検索して調べてみた。初登場は昨年の12月8日とのこと。

・(柔らかい時計)を持ちて 炊き出しの カレーの列に 二時間並ぶ

 以降、毎週のようにホームレス生活を詠った作品が掲載されたようだ。

・鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか(12月22日)
・水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し(1月5日)
・パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる(1月5日)
・日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る(1月19日)

 そして、1月26日に載った歌は佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の3人が同時に採った秀作である。

・親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす

 『蟹工船』がブームとなるなんて、ほんの数年前は考えも出来なかった。後3ヶ月足らずで今年も終わろうとしているが事態は好転していない。短歌も時代を映しているということを感じた。

 郷隼人さんは鹿児島県生まれで若くして渡米したが、1984年(昭和59)に殺人事件を起こして終身刑を言い渡され、今はカリフォルニアの刑務所に服役しているとのこと。1996年(平成8)に朝日歌壇に初入選して以来アメリカの刑務所から投稿を続け、再々歌が紹介されてきた。

・あの山の向こうに太平洋が在る夕陽のかなたに日本が在る(H11年5月)
・新年の抱負は何かと問わるれば出所し日本へ帰えりたしと告げん(H12年2月)
・夕暮れに秋刀魚の旨そうな風が吹く今夜の獄食(ディナー)はホットドッグ二本(H16年11月)
・ぬばたまの夜に服役の日数をかぞえてみれば八千七百(H21年3月)

 そして、今年の3月30日の歌壇で公田さんの詠んだ
・温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜(すす)る
に対する返歌ともいえる歌を郷さんが出していた
・囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉思いつつ飲むHOTMEALを


 二人について何かを述べることは私にはできないが、自分自身短歌の真似事をやってみて思ったことは、歌の素にあるのは感情(うれしい、悲しい、いとおしい、さびしい、など)ではあるが、それらを自分の中で見つめなおすという作業が必要である。そこのところが人間の人間たる所以かなと思う。万葉の昔から綿々と続いてきた和歌の世界は日本人のメンタリティをとらえるうえで欠かすことができないもののような気がしている。

 すべてを「かわいい」「むかつく」「きしょい」で片付ける世界は深みがない。

 毎日新聞しか知らない“井の中の蛙”に新しい世界を見せてくれたYNさんに感謝。とりとめのない話をしつつ、そこに何か新しい発見や視点の変化を感じたとき「自分は良き人に恵まれて幸せ者」と思う。
 
 

   
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デジブック 『ぶらドラ奈良・柳生』

2009年10月11日 | 日記
デジブック 『ぶらドラ奈良・柳生』

 昨日(10日)は、奈良公園内にある鹿苑で、恒例の「シカの角切り」が始まり、遷都1300年と相まって大変な賑わいとニュースで報道されていた。

 大賑わいの奈良公園からほんの少し離れてみるとそこにはひっそりと歴史をきざんできた味わい深い所がある。秋の一日のんびりと車で巡ってきた。

 般若寺:コスモス寺と銘打つだけあって、カメラでベストショットを狙っている人が多かった。白鳳秘仏公開中の宝蔵堂に行くと古びた銅鑼がかけてあり、「御用のある人は鳴らしてください」の掛札。「?」とたたいてみるといきなり引き戸があいたのには驚きとおかしみがあった。まさに人動ドアであった。特別拝観料を払うと「暗いですから」と小さな懐中電灯を渡されたのにも得もいわれぬ味があった。

コスモスを ゆったり見るのは 久しぶりと 日々の仕事に いそしむあなた

 植村牧場:般若寺は観光バスが入れないほどの古い町並みの中にある。その前にある牧場。今時は臭いとか環境問題でのクレームを多く見聞きするが、明治17年創業のこの牧場、町の中に溶け込んでいる感じがした。
 小さい時、伊勢に出かけると必ず昼は「山口屋」で伊勢うどんを食べた。そこにソフトクリームがあったのだが、当時はけっこう高級品だったので食べさせてもらえなっかた。4年に1度ぐらいのオリンピック並みの機会である。しかも、一人1個ではない。「いつかは」という思いがいまだに継続しているのかどこに行っても必ず食べる。スッキリとした甘さであった。

 奈良奥山ドライブウェイ:好きな道である。普通は若草山との往復コースを選ぶ人が多いが、春日山原始林を走るコースに魅力を感じる。
 若草山の頂上への散策路は、台風18号の風雨でひきちぎられた小枝や葉が落ちていた。倒れている木もあり、自然の力を感じた。その中で樹齢何百年と立ち続ける木の生命力に畏敬の念を持つ。

台風の 爪あと残る 森の中 よくぞ残った 古木にタッチ

 鶯の滝:春日山原生林の道は、一方通行で未舗装である。車の窓をあけるとひんやりとした空気と木のかおりが心地よい。コースの中間地点に赤い橋がある。左折するとさらに細い側道がぐねぐねと続く、今回初めて寄り道をした。道の終点に車を置き5分ほど下ると「鶯の滝」がある。その昔、水滴が氷をたたき、まるで鶯が鳴いているように聞こえたところからその名がついたといわれている。西行法師の和歌にも歌われているらしい。もみじの木が多くあった。

もみじ葉の 赤より今の 緑が好きと 木漏れ日うけて ほほえむあなた

 新薬師寺:ドライブウェイの出口から右折し高畑の町の細い道を進むと長い歴史を蔵する新薬師寺がある。19歳の時、名古屋から奈良を訪れた時、有名な「薬師寺」の前に「新」の字がついた寺をたまたま見つけ、予備知識もなく気楽な気持ちで立ち寄ったら、本堂に入って『十二神将』の迫力に圧倒され、それ以来奈良で一番好きな寺となった。「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味である。国宝級の多くの像がケースにも入れられず、そのままポンと置かれている。生に仏像の気を感じることができる唯一のところだと思う。

仏像の 1つ1つの 表情が わが心に 宿る情念

 円成寺(えんじょうじ):20歳の時、大学の友人達とJR奈良駅から柳生まで歩いた。予定では日帰りで名古屋に帰るつもりでいたが、思いのほか時間がかかり、峠の茶屋までは余裕があったが、それ以後は柳生を目指しひたすら歩いた。そのため途中にある円成寺は素通りした。それ以来行けてなかったので、今回は是非行きたかった。思っていたよりも落ち着きと品格のある良い寺であった。蓮の時期にまた行きたいと思った。

寺建てる ふさわしき場所 定めたる いにしえ人の 深き智恵見る

 柳生の里:なぜ友人達と、柳生街道を歩いたのか。NHK大河ドラマ「春の坂道」だったかなぐらいの記憶であった。旧柳生藩家老屋敷に展示されている当時の台本を見ると昭和46年放映とあり、そうだったんだと確信した。今は当時の観光客で賑わった名残りはあるがひっそりとした里という感じ。その象徴的なのが十兵衛杉。寛永3年、独眼竜柳生十兵衛三厳が諸国漫遊に旅立つ際、先祖の墓に参り、この杉を植えたと伝えられ樹齢350年を超える老杉で、柳生下町の丘の麓にそびえていたが、昭和58年の落雷で枯れてしまった。葉はないが、枝と幹だけは今も倒れずすくっと立っている。

伝説の 剣豪の名を 受けし杉 枯れてもなお 気高く立てり

銭司聖天:笠置を抜ける国道163号線は年末年始と盆に志摩の田舎に帰る時、いつも使う道路である。大阪に住むようになり35年になった。その間いつも「銭司聖天」の横を通りながら一度も寄ることが出来ずにいた。どんなところか興味を持ち続けていたので、今回立ち寄った。想像以上におもしろい寺であった。
 志摩からの帰り、ここを過ぎるとあと少しだとホットする地点。家に着くとたくさんの荷物を降ろしてというのをずい分長く繰り返してきたものだと境内を歩きながらふと思った。

ふるさとの 荷物をとけば なつかしい 志摩の香りが 我にとびこむ

 この日の夕陽は格別美しく感じられた。心がHOTになった一日。
 










 
  



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今、3冊の本を並行読み中

2009年10月09日 | 日記
 道南の旅にもお供してくれたが、今常に3冊の本を持ち歩き並行して読んでいる。精神科医の名越康文さんのおすすめの本8冊というのをたまたま立ち寄った図書室の雑誌コーナーで見つけ、うち6冊を取り寄せた。名越さんは、私が大好きだったNHKの『ルソンの壺』という番組の司会をやっていて、最後に1分ほどのコメントをいれるのだがおもしろい人やなと思っていた。ちょうど「しがみつかない生き方」を読み終えたところだったので読むことにした。

「ためらいの倫理学」内田樹 著 角川文庫
 内田さんのデビュー作。単行本で出版されたものに新たに4編のテクストを追加して文庫化したもの。

「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ著 サンガ新書
 スリランカ上座仏教(テーラワーダ教)の長老の法話。

「14歳の子を持つ親たちへ」内田樹 名越康文 共著 新潮新書
 内田さんと名越さんの対談。本のタイトルにとらわれる必要はない。安易なハウツーではなく、人間というものを考える糸口が見える。

 いずれも、半分ほど読みすすめているが、いい刺激をうける。残り3冊も控えているので時間をみつけては、その時の気分にまかせて精力的に読んでいる。
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