素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

寝屋川ハーフマラソンと京都マラソンの参加案内が同時に届く

2013年02月18日 | 日記
 3月3日(日)にある寝屋川ハーフマラソンのゼッケンナンバーはC7524、3月10日(日)の京都マラソン2013はJ19600である。大会要項が手元に届くと気が引き締まる。昨日の24km走の後はあまりダメージを感じなかったが、今日の午後からは身体を動かすのが億劫になってきた。今日の雨は良い休養となった。

 ユニット畳は工場での生産が遅れていて到着が先になるという連絡が入ったので週末の金土と志摩の実家に帰ることにした。連絡をとるとここ最近の寒暖の差の大きさに少し体調を崩しているとのこと。明日は雪の可能性もあるという確かに気分的にうんざりとし、免疫力も落ちるというものだ。油断大敵、用心しなければ。

 袋に入れてある新聞の切り抜きを整理する。少し時間をおいてからもう一度読み直し、残すか残さないかを決めることにしている。先週では14日夕刊の文芸評論家の斎藤美奈子さんの『甘い社会が見過ごす暴力~安倍政権一掃は可能か』が出色であった。

 桜宮高校の男子バスケット部や女子柔道の五輪代表選手による告発によってスポーツ界の旧弊な体質が問題になっているが、斎藤さんは夫婦間・恋人間の暴力を禁じたDV防止法(2001年施行)親などの保護者から18歳未満の子どもへの暴力を禁じた児童虐待防止法(2000年施行)、法制化はされていないが、厚生労働省が昨年1月に発表したパワーハラスメントの定義などが社会に深く根ざしていないと斎藤さんは考える。

 DVや児童虐待やパワハラが長く見過ごされてきたのは、痴話ゲンカ、しつけ、指導などの名目で家庭や職場の暴力の実態がごまかされてきたからで、私たちは暴力にきわめて甘い社会で暮らしてきたと断じている。

 学校の体罰やスポーツ界の暴力も根は同じで、日本社会に巣くう病巣の一部ととらえぬ限り、解決は難しいと斎藤さんは指摘する。

 「教育再生」を重要課題に掲げる安倍晋三内閣においてもこの点に気づいていないと手厳しい。そのことを今までの経過、発言という事実を通して述べている。

 『文部科学省が体罰の一部を事実上容認する通知を出したのは2007年2月。第一次安倍内閣のときだった。「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」と題されたこの通知は、体罰を禁じた学校教育法11条の解釈を見直す形で「放課後等に教室に残留させる」「教室内に起立させる」「清掃活動を課す」などは体罰に当たらないとした。
 教育関係者をはじめ多方面から疑問の声があがる通知だったが、当時の伊吹文明文科相は「″毅然とした態度”をとった教師や学校が″児童の人権”という観点で非難されたら困るだろう。そのやりにくさを払拭するのが目的だ」(大意)と述べた。条件付きで、政府が一部の体罰にお墨付きを与えた格好である。
 それから、6年。安倍首相は「いじめ・体罰対策に全力で取り組む」と約束した。が、「学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、体罰に関する考え方をより具体的に示す」という発想の仕方がすでに誤っている。6年前と意識は同じ。体罰はなべて暴力で「よい体罰と悪い体罰」があるわけじゃないからだ。
 谷川弥一文科副大臣は昨年12月「いじめ問題では学校に怖い人、武道家がいる方がいい。一番いいのはボクシング。空手・プロレスも。いなかったら警察のOB」と発言した。このような認識が体罰をはびこらせる。脅しの奨励である上、格闘技への誤解も甚だしい。』


 そして、体罰をふくむ暴力は人権意識と密接に関連するものであると指摘した上で、現内閣の抱える矛盾を指摘して締めくくっている。

 『ところが、自民党の改憲草案では「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とする18条の条文が削除された。07年の文科省の通知は、児童生徒に「必要な規律を重んずる」ことを課した改正後の教育基本法に沿った措置だった。
 人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としか言いようがない。』


 鋭い視点だと思う。

 ストーカーによる理不尽な凶行や老人介護施設における虐待の問題も頻発している。おもえばオギャーと生まれてからあの世に旅立つまで虐待、体罰、DV,パワハラ、戦争と暴力と隣り合わせで生きていかなければいけない。いやひょっとして地獄に堕ちるならあの世でも・・・と思ったりする。この難問、逃げずに考え続けるしかない。
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新20kmコースにプラス4kmを2時間9分41秒で

2013年02月17日 | 日記
 明日、明後日と雨の予報なので今日長めの距離を走っておくことにした。家から寝屋川公園の周回コースをまわって帰ってくる新20kmコースに公園の周回(4km)を1つ増やして24kmにした。

 アシックスランニングクラブコーチの島田佳久さんは「マラソンは30km以降の後半にペースが上がるような意識を持った練習をして、レース当日も同じことを行なう」ということが大切だと繰り返し話されている。前半突っ込みすぎて後半大幅に失速するランナーが特に男性に多いと戒めている。

 私も典型的なそのタイプである。体力のあるうちにできるだけ距離をかせいでおこうという気持ちが強く働くのである。そのため給水などの時も止まることをしなかったが、何回か経験してきた結果走りながらの給水はよくないように思えてきた。きちっと止まってしっかり補給するほうが後半のバテは防げる。車の長距離運転と同じで、同じ姿勢で長時間運転すれば偏った部位に疲労が蓄積してくる。少し休憩を入れるだけでずい分回復し、結果として長時間耐えることができる。そんな簡単なことに気づくのに長くかかった。

 それは、「立ち止まったら、二度と動けなくなる」というマラソンを経験した人からの話を聞き、『止まることへの恐れ』を持ってしまったことも関係している。ロードワークをしていれば信号待ち、踏切待ちなどがあるので止まらざるを得ない状況がある。それらを何度も経験していると止まっても大丈夫ということがだんだんと体を通してわかってくる。

 それらのことを試してみたくて、24kmという距離に伸ばしてみた。前半はゆっくりめ(時速9km前後)で入り、寝屋川公園の周回コースも1周(4km)26分ぐらいでキープする。ということを念頭に置いて走った。

 結果としては後半いつもより余裕を持ちながらペースアップできたように思う。24kmを2時間9分41秒は自分としては思ったより早かった。寝屋川公園もランニングをする人の数が増えてきたように思う。走り始めた2年前はほとんど見かけなかったが最近はいつ走っても数名のランナーに出会う。これも寝屋川ハーフマラソン効果かもしれない。
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時折小雪の舞う一日

2013年02月16日 | 日記
 「目まぐるしく天気が変わるのが春の兆しなんです」と予報士の方は言うけれど身体にはこたえるみたいで、風邪などでダウンしている人が多い。9時ごろは青空で太陽もでていたので空気は冷たいが布団を干した。洗車をしていたら白いフワフワしたものが飛んできた。最初は綿ぼこりだと思い、次に木の種子かなと思った。いずれにしてもこんな時飛ぶのは変だなと考えていたら「雪やで」近所の子どもが騒いだ。風で飛ばされてきたみたいで西の空を見ると雪雲らしきものが迫ってきていた。急いで布団を取り入れたら本格的にちらつき始めた。間一髪であった。今日は夕方までこれの繰り返し。

 こういう時はジムにかぎる。土日はあまり行かないのだが、家にいても光熱費がかかるだけである。考えることは皆同じ、結構にぎわっていた。昔の井戸端会議は今ではジムのストレッチや有酸素運動の時に交わされる談義である。

 隕石の落下の話が一番である。星田地区にも弘仁年間(810~824)に妙見山と光林寺と星ノ森の3か所に隕石が落下したという言い伝えがあり、平安時代に盛んになった北辰信仰、北斗信仰を祀ることになったといわれている。話には聞いているが大きな隕石の落下を見る確率は極めて低く今回のように映画ではなくリアルに映像で見ると人知を超えた力をあらためて思う。核関連施設に影響がなくて安堵した。

 次に話題で多かったのはグアム島の無差別殺傷事件である。私は行ったことがないが、グアムは手軽に行ける観光地で行かれた方も多く、雰囲気とそぐわない悲惨な事件に衝撃を受けていた。被害者の方々のことを思うと憤りでいっぱいになる。世界各地でこのような無差別殺傷事件が増えているようにも思う。「知への信頼」「言葉への信頼」が失われた時「暴力」に走る。そういう意味では言葉も、情報もあふれているように思える現代社会だが、満たされない空疎なものが蔓延してきているのかなと考えてしまう。

 いろいろな話をしながら、今日は初めて90分間マシーンで走った。15kmである。時速9kmが今の私にとっては無理なく長い距離を走る速さだとわかった。一度、外でも確かめてみたい。前半早すぎて後半失速するパターンを改善することが京都マラソンの課題にしている。あと22日である。
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「十人十色」の読み間違い?

2013年02月15日 | 日記
 ジムでは1月~3月の寒い時期、出るのが億劫になって欠席する人を減らす取り組みとしてポイント制を導入している。出席ポイント20とかストレッチ、有酸素運動、筋トレ、スタジオレッスン参加、プールなどにそれぞれ回数、時間によってポイントが設定されている。私の場合普通で1回100~140ポイントぐらいもらえる。獲得ポイントの合計によって3月にある抽選の権利が1~4回となる。

 期間中に、いくつかのボーナスポイントも設定される。その1つがクイズである。月1回簡単なクイズが掲示されて答えをポイントカードと一緒に書いておくのである。1月は形とヒントから県名を当てる問題。新潟県が答。2月は5つの四字熟語の中で漢字に誤りのあるものを選ぶというもの。問題はこうである。

 ①温故知新 ②十人従色 ➂異口同音 ④栄枯盛衰 ⑤君子豹変 

答は明白であるが、誤答のつくり方に少々?となった。

ひょっとして問題を作った人は「じゅうにんといろ」を「じゅうにんじゅういろ」と読み間違えているのでは?ということである。

 どうでもいいことなのだが『余禄』のせいでとみに漢字の記憶に自信がなくなってきていて「じゅうにんといろ」は思い違いだったのかと家に帰ってから辞書で調べた次第。思い違いでなかったことを確認してヤレヤレであった。

 じゃ自分が問題を作るとすればどうするだろうとつれづれなるまま考えてみた。

②なら住人十色 、十人多色  ①なら温古知新 ➂なら異句同音、異口同恩 ④なら栄古盛衰、栄光盛衰、⑤なら君師豹変、君子豹恋、君子憑変・・・なんてことをしていたら、以前に自習課題の空いたスペースや朝学の気分転換、ゲーム大会などで当時流行っていた「ウォーリィーを探せ」をもじった「誤ォー字ィーを探せ」を思い出した。コピー、複写機能があればこその問題である。

青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐臭 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
鼻息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青色吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息汁息 青息吐息 桃色吐息 青息吐息 
青息吐息 青鬼吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
青鳥吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 青息吐息 
 この問題づくりにはまった時期もあったなとちょっとなつかしく感じた。

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窓開けて小春日和に障子貼り

2013年02月14日 | 日記
 日替わりで天気が目まぐるしく変わるのは春が近づいてきた証拠。週間天気予報にも晴、曇り、雨マークがにぎやかである。雪だるまがないのはありがたい。今日は小春日和。かねてから気になっていた障子の貼り替えをする。劣化していてうっかりさわっただけで破けてしまう始末、これ以上穴ができてしまうとさすがに見苦しい。新しい障子紙は部屋の改装の部材を購入する時に一緒に買っておいた。部屋のほうも畳待ちなので絶好の日和を逃す手はない。明日は雨模様という予報。

 障子紙の売り場に行って驚いた。以前と違って、いろいろな種類のものが並んでいた。強さや省エネ、UVカットなどさすがに今のニーズを反映して進化している。「4倍強い」「UV90%以上カット」「省エネ効果」「たるみにくい」という宣伝文句に加えて最後の一押しになったのが「八重桜」というデザイン。大河ドラマで好感度アップの名前である。 古い障子紙をはがしてきれいにする作業は根気がいる。小さい頃障子の貼り替えの時は指先で穴をあけるのが楽しみであったとかめんどうな桟というものをよく作ったものだと感心したり障子文化は光を大切にするものだとか紙の文化もあなどれないなどととりとめのないことが次々と浮かんでくる。これもまた楽しいことである。真新しい障子は気持ちまで明るくしてくれる。
 

 午後はジムで、久々に60分間走で11kmに到達。ランニングマシーンの規則的な単調さは心の張りがないと60分間粘ることはできない。午前中にひと仕事きちっと終えたことも関係大である。
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