昨日、TSUTAYAで『新潮45・⑤』の支払いのためレジ待ちをしていた時、前方に目に飛び込んできたのが『137億年の物語・宇宙が始まってから今日までの全歴史』というタイトルであった。「次のお待ちの方どうぞ」と店員に声をかけられたが後ろの人に「先にどうぞ」と譲り、吸い寄せられるようにその本の売り場に寄って行った。
帯には「理系と文系が出会った初めての歴史書・テレビ東京系全国ネット新番組 レギュラー番組化!(『137億年の物語』4月14日~
毎週日曜18時30分~19時)とあった。最近テレビとは疎遠になり、極々限られた番組しか見ていないので見逃していた。
20歳の頃足立原貫さんの主宰する「人と土の大学」に参加した時、東大教授の山崎さんの講義で、地上に落ちているリンゴの実の原子、分子のミクロの世界からドンドン上空に上がって宇宙というマクロの世界までを段階的にスライドで見せてもらった。その時、私が営んでいる日常とはいかに小さく狭いものだということを感じ新鮮な驚きがあった。そのことが直接役に立ったわけではないがずい分楽天的に考えることができるようになったことは確かである。「Every Little Thing」という感覚。
空間的なマクロの感覚を感じたのがその時ならば、時間的なマクロの感覚を感じたのは就職してからであった。文化祭のクラス展示で「恐竜」というテーマでしようと決まり、展示内容のアイデアを出すためにさまざまな資料集めをしていた時、一人の生徒が図書館から地球の誕生から現代までの歩みをイラストなどを使い視覚的につかめるように工夫された本を借りてきた。それを見た時、初めて人類の歴史の短さを感じた。地学の授業で知識としては学んでいたが長さを実感したのはその時である。まして自分の人生なんてまさに刹那である。と感じ入ったのである。この時間の意識を展示で表現したいと工夫したことも今はなつかしい思い出である。
日常のことに振り回されていると、たまにはマクロの観点から物事を考えたくなることがある。
今までの私の中には46億年までのものさししかなかった。宇宙まで広がった137億年に目が留まったのはごく自然なこと。しかし、『新潮45・⑤』がすぐに購入できていたりレジが空いていたらこの本との出会いはなかったかもしれない。そう考えるとまた人との出会い同様に本との出会いも不思議なものがある。
帯には「理系と文系が出会った初めての歴史書・テレビ東京系全国ネット新番組 レギュラー番組化!(『137億年の物語』4月14日~
毎週日曜18時30分~19時)とあった。最近テレビとは疎遠になり、極々限られた番組しか見ていないので見逃していた。
20歳の頃足立原貫さんの主宰する「人と土の大学」に参加した時、東大教授の山崎さんの講義で、地上に落ちているリンゴの実の原子、分子のミクロの世界からドンドン上空に上がって宇宙というマクロの世界までを段階的にスライドで見せてもらった。その時、私が営んでいる日常とはいかに小さく狭いものだということを感じ新鮮な驚きがあった。そのことが直接役に立ったわけではないがずい分楽天的に考えることができるようになったことは確かである。「Every Little Thing」という感覚。
空間的なマクロの感覚を感じたのがその時ならば、時間的なマクロの感覚を感じたのは就職してからであった。文化祭のクラス展示で「恐竜」というテーマでしようと決まり、展示内容のアイデアを出すためにさまざまな資料集めをしていた時、一人の生徒が図書館から地球の誕生から現代までの歩みをイラストなどを使い視覚的につかめるように工夫された本を借りてきた。それを見た時、初めて人類の歴史の短さを感じた。地学の授業で知識としては学んでいたが長さを実感したのはその時である。まして自分の人生なんてまさに刹那である。と感じ入ったのである。この時間の意識を展示で表現したいと工夫したことも今はなつかしい思い出である。


今までの私の中には46億年までのものさししかなかった。宇宙まで広がった137億年に目が留まったのはごく自然なこと。しかし、『新潮45・⑤』がすぐに購入できていたりレジが空いていたらこの本との出会いはなかったかもしれない。そう考えるとまた人との出会い同様に本との出会いも不思議なものがある。