素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『137億年の物語・宇宙が始まってから今日までの全歴史』

2013年04月25日 | 日記
 昨日、TSUTAYAで『新潮45・⑤』の支払いのためレジ待ちをしていた時、前方に目に飛び込んできたのが『137億年の物語・宇宙が始まってから今日までの全歴史』というタイトルであった。「次のお待ちの方どうぞ」と店員に声をかけられたが後ろの人に「先にどうぞ」と譲り、吸い寄せられるようにその本の売り場に寄って行った。

 帯には「理系と文系が出会った初めての歴史書・テレビ東京系全国ネット新番組 レギュラー番組化!(『137億年の物語』4月14日~
毎週日曜18時30分~19時)とあった。最近テレビとは疎遠になり、極々限られた番組しか見ていないので見逃していた。

 20歳の頃足立原貫さんの主宰する「人と土の大学」に参加した時、東大教授の山崎さんの講義で、地上に落ちているリンゴの実の原子、分子のミクロの世界からドンドン上空に上がって宇宙というマクロの世界までを段階的にスライドで見せてもらった。その時、私が営んでいる日常とはいかに小さく狭いものだということを感じ新鮮な驚きがあった。そのことが直接役に立ったわけではないがずい分楽天的に考えることができるようになったことは確かである。「Every Little Thing」という感覚。

 空間的なマクロの感覚を感じたのがその時ならば、時間的なマクロの感覚を感じたのは就職してからであった。文化祭のクラス展示で「恐竜」というテーマでしようと決まり、展示内容のアイデアを出すためにさまざまな資料集めをしていた時、一人の生徒が図書館から地球の誕生から現代までの歩みをイラストなどを使い視覚的につかめるように工夫された本を借りてきた。それを見た時、初めて人類の歴史の短さを感じた。地学の授業で知識としては学んでいたが長さを実感したのはその時である。まして自分の人生なんてまさに刹那である。と感じ入ったのである。この時間の意識を展示で表現したいと工夫したことも今はなつかしい思い出である。
  日常のことに振り回されていると、たまにはマクロの観点から物事を考えたくなることがある。

 今までの私の中には46億年までのものさししかなかった。宇宙まで広がった137億年に目が留まったのはごく自然なこと。しかし、『新潮45・⑤』がすぐに購入できていたりレジが空いていたらこの本との出会いはなかったかもしれない。そう考えるとまた人との出会い同様に本との出会いも不思議なものがある。
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『新潮45・⑤』やっと手に入る。

2013年04月24日 | 日記
 今週初め、新聞の『新潮45・⑤』の広告を見て、珍しく読みたいという思いにかられた。「経済学者の集団発狂」(内田節)「私しか書けない・歌舞伎座への誘い」(岩下尚文)「シリーズ‟悪”を考える・『諸悪の根源』という病理」(内田樹)「皇位継承のあるべき姿」(山折哲雄)特集「アレルギー日本」というラインナップに直感的に惹きつけられた。

 その日の午後いつも行くTSUTAYAへ行ったが売り切れであった。その後用事のついでに交野の本屋に数軒立ち寄ったがすべて売り切れ。少々愚痴ると「この前出たばっかりなのにね。何かあったのでしょうかね」とはパートのおばさんの答。

 枚方市に用があったついでに東香里のTSUTAYAえ立ち寄ると2冊だけあった。早速買い求めた。夜はテレビもつけずに読んだ。最近には珍しいことだ。控えめにではあるが笑ったり、相づちをうったりと反応するので妻はいぶかっていた。

 まだ三分の一ほどしか目を通していないが面白い。ランキングすると

①内山節さんの「経済学者の集団発狂」

 アベノミクスで突如様相を変えた市場、AP電のオバマ大統領に関する偽情報だけで激しく揺れ動く市場など経済に疎い私には不可解に思えることが大局的な観点から語られていて何となく今の様相をとらえることができた。

②藤田紘一郎さんの「潔癖社会のなれの果て」

 寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学の専門である氏からのバランスを欠く「清潔志向」に邁進する日本の現状への憂いは共感すること大であった。以前にも触れたフンコロガシが生き残れる環境は残すべきだという思いや私がひそかに試していること(公言すると顔をしかめられること大なので)とも相通じるものがあった。

➂歌代幸子さんの「調布の小学生はなぜ給食で死んだのか」

 学校をめぐる事件ではセンセーショナルな取り扱いや一方的な悪玉論によるステレオタイプの記事が多い中、客観性と多面性を持ったルポである。このレベルぐらいの報道がなされるようになれば問題の解決への道がもっと拓けるであろうと思った。

④パオラ・マッツァリーノさんの「怒らない、叱らない、注意しない」

 道徳の教科化にからんで出てくる論に対して、面白い切り口で批判している。思わず「そうなんだよな」と言ってしまう。 


内田さんの「『諸悪の根源』という病理」は読みかけ、この「‟悪”を考える」は新シリーズで偶然にも今回が第1回。ちょっと継続して買って読んでいこうかなと思っている。

 しばらくは「新潮45・⑤」がジムへのお供となる。
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新・10kmコース久しぶりに走り新記録出る!

2013年04月23日 | 日記
 昨年の11月22日に59分09秒と初めて1時間を切って以来、6回新10kmコースを走ったが1時間の壁を破ることができなかった。今年に入ってからピラティスに取り組み始めた。本腰を入れ始めたのは京都マラソン以後、加えて最近は安田登さんの『身体能力を高める「和の所作」』から大腰筋の活性化のエクササイズも意識的に行っている。

 またマシーンでのランニングも以前はイーブンペースを主に考えていたのを前半ゆっくり入り、1分毎にペースを少しづつ上げていきラストにハイスピードとなるビルドアップ走まがいの走り方も混ぜている。

 それらの取り組みで自分の中に変化が生じているかを試したくて新・10kmコースを走ってみた。走ってみて2つの違いを実感した。1つは肩甲骨まわりの動きがスムーズに大きくなっている。もう1つは股関節の動きが軽いということ。余分な力がとれて歩幅が伸びている感じであった。結果、58分40秒と約30秒記録を縮めることができた。

 ピラティス、和の所作エクササイズ(足振り・すり足・新聞パンチ)、ビルドアップ走もやり始めたところだが継続していく価値はあると確信した。
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ごく平凡な一日。下村博文・文科相インタビューを朝刊で読む。

2013年04月22日 | 日記
 朝刊の「くらしナビ学ぶ」に『道徳の教科化 どう進める』という内容での下村文科相へのインタビュー記事が掲載されていた。
《道徳教科化について「国が定めた道徳観を押しつける」との批判がある》という質問に

♦それはイメージで言っているのだと思う。今の学習指導要領を見てほしい。例えば「法やきまりの意義を理解し、遵守すること」「公徳心をもってよりよい社会の実現に努めること」とある。これが果たして批判者が言うような国家の特定な価値観を国民に押しつけ、心の内面まで入り込むものかどうか。これは国境、民族、歴史を超えて人が人として知っておくべき規範意識や社会のルールではないか。

と答えている。国会の答弁でも同じような趣旨のことを述べていた。スッキリしないのである。集団生活があるかぎりそこに一定の規範意識やルール(規則、法律)が必要なことは確かである。しかし、一方で規範やルールは生活のなかで作られてきたものであるから絶対的なものではない。という視点も必要である。憲法改正の話や法の解釈の相違によるさまざまな訴訟のことなどは説明がつかない。「遵守すること」も大切だが、自分にとって不当だと思うルールについてはどう向き合っていくべきかまで踏み込まないとだめだろう。権力者にとってはこのことが一番嫌なことではないだろうか。

 そういう点では学校教育制度は規範意識やルールを遵守することを学ぶシステムとしてよくできているように思われる。ことさら教科にしなくても十分今のシステムの中でやっていけると思っている。

 「公徳心を持ってよりよい社会の実現に努める」についても一歩踏み込めば「公徳心のある・なし」の判断は極めて難しいし同時に「よりよい社会」にいたってはさまざまなイメージがあるだろう。例えば皆が口にする「平和な世界の実現」ということでも具体的な内容になると百家争鳴となる。そう考えると、「権力者にとって不都合なよりよい社会をめざす人間は公徳心がない」という心が裏に見える。

 《なぜ教科にする必要があるのでしょう》という質問には

♦いじめ問題が一つの背景にある。道徳の学習指導要領に書いてある内容をきちんと学ぶことによって、相手に対する思いやりや、人と人との関係をもっと大切にすることなどを身に着ける。いじめはゼロにならないかもしれないが、少しでもなくしていくことに資するものだということを考える中で、教科化することにより、しっかり授業を行ってほしいという思いがある。

 楽天的やなというのが率直な思い。いじめ問題はどなど今に始まった問題ではない。はるか昔から存在する宿命みたいな課題である。教科云々という話以前から心砕いて取り組んできたことである。その実践例を古今東西の学校関係者が紙に書いて積み上げれば富士山より高くなるであろう。そういうことをきちっとふまえていればこのような答えにはならないだろうと思う。

 などなど午前中の買い出しの時も午後からのジムでもずっと頭の中でいろいろな思いが駆け巡っていた。それらを言葉にするのは本当に難しい。

 学校教育はよくできたシステムではあると思うが、今考え直す時期にさしかかっているのかも知れない。基本はスリム化じゃないかと思う。余りにも多くのことを学校が取り込みすぎたように思える。
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光永圓道阿闍梨 の先達の元、無事に比叡山三塔巡拝一日回峰行を終える

2013年04月21日 | 日記
 毎日新聞旅行がこの企画を始めて31年目になるそうである。他の旅行会社で1度だけ試みたが頓挫したと言っていた。行者さんと同じ道を、同じ時刻に回るというのはかなり勇気のいる企画である。旅行会社と参加希望者の間での信頼感がなければ成立しないだろう。「観光」ではなく「行」であるということが参加してみて身に染みてわかった。便利さ、快適さをすべて捨てることから始めなければならない。

 17時から明王堂本堂でのお勤め後一汁一菜とあったが実際は一汁二菜の夕食をいただき、先達の光永圓道阿闍梨より注意と質問を交えての話があった。参加者20名(男14名、女6名)の共通した思いは「若い!」ということ。ざっくばらんとした語り口に好感がもてた。動画で話している内容と重なることも多かったがぶれない姿勢を感じた。光永師がこの道に入られたきっかけは`僧”というものを意識してわけではない。重い喘息の持病のため季節の変わり目には登校ができず、年間100日以上の欠席があったので高校進学の時、環境を変えたいということで比叡山に弟子入りをして麓の坂本にある比叡山高校に通学することになったそうである。その厳しい生活の中で自然と体力もつき、喘息も改善していったという。仏教への関心も知識もゼロからのスタートがかえって良かったかもしれなかったと述懐されていた。 

光永圓道阿闍梨 護摩行


動画の最後の方で、千日回峰行に入行した行者を見守ることという話があったが、ちょうど坂本から明王堂までの最後のきつい上りの途中でその行者さんに追い抜かれた。事前に「私たちは坂本から1時間10分で到着するペースで歩いているが、行者は40分で上り切るペースなのですぐに道をあけてやってほしい。」と頼まれていた。平地と同じようなスピードであっという間に消えていった。

私たちのほうも全員完歩できた。19時の仮眠の頃から本降りになった雨は回峰行の間やむことはなかった。気温は2℃前後、風がなかったのと雨足が強くなかったのが幸いであった。比叡山の東塔、西塔、横川の3地区は現在、過去、未来を象徴あているので三塔を歩きながら自分の今と今までと今からを考えて下さいと言われたが「冷たい」「すべる」「ぬかるみ」「息がきれる」「足が重い」などの思いに支配され集中できなかった。出発から6時間強、トイレ休憩3回、水分補給2回、各ポイントでの般若心経の読経以外は歩きづめ。座るということはなかった。午前7時20分に宿坊の畳に座った時の気分は最高。朝食は牛乳1個とパン2個。おいしかった。
 9時20分より最後のお勤めをして現地解散。坂本までは今度はケーブルでおりた。何と楽なことか。

 今日、このまま普通の生活をすると(時差ボケ解消のためあえて昼寝をしなかった)ほぼ24時間起きていたことになる。1日がすごく長く感じる。
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