~工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。
本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき“いのちの文学”の新装版。「BOOK」データベースより
小学生の社会の勉強で「日本の四大公害(水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病)」として学びました。
その内容を何となく記憶しているんですが、こうして改めて「水俣病」の発覚から一応の終息を見るまでの経緯を活字で追ってみると、その被害の凄まじさに反比例して、小さな漁村の漁民たちの小さな声は中々届かず、さらに被害が拡大していったという事実に、何とも言えない悲しみ、虚しさを感じずにはいられません。
水俣地方の方言で綴られる被害者の方々、その親族の方々の言葉が生々しく心に突き刺さり、筆者の血のにじむような筆によって語られます。
当時の水俣市における、チッソの影響力は相当大きなものがあり、水俣市の税収の半分以上がチッソ関連となる時期もあったそうで、水俣病の原因がチッソ水俣工場の廃液にあるということがわかってからも、中々大きな問題にならなかったそうです。
『水俣病を止められなかった「企業城下町」の構造~一般市民をも巻き込んだ公害と地域の関係性』
最初に漁民が被害を訴え始めたとき、それを批判する住民も多かったそうです。また、被害が拡大する中で、マスコミの報道が増えましたが、それにより漁業以外の産業も打撃を受け、水俣出身というだけで結婚や就職などにおける差別も生じました。その際、チッソではなく患者に怒りの矛先が向けられていた事実があったと、当時を振り返る住民も多いのです。
企業城下町という背景、町の経済を担うチッソが加害者だったからこそ、はからずも住民と住民の対立構造が起きてしまったという悲しい歴史がありました。
現代のネット社会であれば、とても考えられないような構図ですよね。
経済発展を第一優先に置いた、日本の高度経済成長期における「負の遺産」として、今こそ我々の胸に刻み込まなければならない事件だと思います。
★★★3つです。