『俳誌575』11号
拝受拝読して心が重くなったので
ブログに書いて鎮めようと思う。
『俳誌五七五』は、年2回発行で
2022年から3回(9号~11号)にわたって
今泉康弘の「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論」が展開されている。
木村は、
神経症を患い普段から希死念慮に悩まされていたらしい。
俳句という表現形式を手に入れ、「海原新人賞」まで得て
何が死に駆り立てたのかは、
この今泉さんにも分からなかったようだ。
ブログやツイッター、「海原」誌
そして彼の父親に取材しても
わからなかったようだ。
このような死は
そんなものかもしれない。
若者の死は余計に胸をかきむしられる。
試論では、
自死の夜のことは、
宮崎斗士氏の追悼文(『海原』2022年1月号)より引用されている。
“10月20日(木)の夜遅く、彼はこっそりと自宅を出て自転車に乗ったらしい。目的地は近くの公園。一本のロープを携えて・・・”
この「一本のロープ」しか、
木村リュウジの最期を知らないということが
なんとも悲しい。
享年27歳。
10月21日が命日だと父親の恭則さんはおっしゃったそう。
今年は、3回忌にあたる。
狂うまで夏の燕を担保とす 木村リュウジ
くびれつつ昼の螢を四捨五入 〃
(2021年6月ツイッターから引用されている句群より2句抽出)
話は、少し逸れて申し訳ないが
彼が最後にどういう環境の仕事に就いていたのかは
木村リュウジが書いていたブログ(2019年2月)から引用してあるので
少し書いておこうとおもう。
恥ずかしながら私は、こういう酷い会社があるのを初めて知った。
“ 求人情報の上では、
・午前7時から10時まで
(略)
「人手不足だから」「開店前の清掃が終わらないから」という理由で、私を含め社員全員が一時間くらい早い午前6時から仕事をしていました。
そして、その一時間分の給料は払われていませんでした。
私を含め、良くないことだったのですが、全員が「みんなやっているから」という感じで、この給料未払いについて意見しませんでした。
また、時給も891円と埼玉県の最低賃金でした。“
(5月21日県立装飾古墳館に行く途中で撮ったのですが
この麦は何に使うのかな?食用には見えなかった~)
一分単位で付けてくれるところもあれば、
15分単位のところもあるのは知っているけれど~
朝が苦手な私は
早朝や深夜は、時給が高いものだと思っていたが
日本の企業は、もっと若い労働者をだいじにしてほしい。
やたら内部留保せず、
上層部だけ私腹肥やしていないで
賃金上げてください
正社員にしてください
少子化対策はこういうところから始まるのでは?
そういうことは別にして
木村リュウジとは
プネウマ句会でホンのいっとき
座を共にしただけだが
その時に拙句
三界の母にカンナの爆発を
特選にしてくれて
うれしかったことだけはよく覚えている。
彼が「俳句を書きはじめて三年になりました」と
題するブログの記述も書き留めておきたい。
”多行によって俳句を「横に寝かせる」ことで、
句のなかの言葉どうしは等価値になる可能性が増え、
季語に比重がかかる可能性が減ります。
そして、それぞれの行間で言葉どうしはぶつかり合い、
一行では見えなかった美しさが見えます。
そして、そこから「俳」という概念が見えてきます。
(略)
いまの自分が俳句によって表現したいものが、
1行表記であれ3行表記であれ、現実ではなく
言葉の世界にあるということを改めて強く感じました。”
『俳誌五七五』10号(2022年10月発行)より
この記事は昨晩読んで衝撃的と言いますか、いろんな思いが去来したんですが、それを書くと支離滅裂のバカ丸出しになると思い一晩おきました。
朝が苦手な私は
早朝や深夜は、時給が高いものだと思っていたが
あらためて今夜読み返し感じたのは上記の行でありました。
朝が苦手な私は、の後に「早朝の仕事に就いたことは無く」のような言葉が省かれていると思ったのであります。
自分の驚きは、このような表現にも俳句の手法というか、察して感じろ、的なものを織り込むのか、でありました。
いまの自分が俳句によって表現したいものが、
1行表記であれ3行表記であれ、現実ではなく
言葉の世界にあるということを改めて強く感じました。
の行には、俳句の中に自分の姿は無かった、と受け取ったのですが、勝手な想い、失礼しました。
プネウマ句会では昭和古語?を駆使されて八十歳ぐらいの先達かと
思ってました。自死を想うと胸が痛くなります。
そうですね~
木村リュウジさんと交流のあった方々は
皆さんそれぞれの形で胸を痛められたことと思います。
この今泉さんも
この試論を書いたことによって
いろんな思いを一応収められたのだと思います。
暢気なこと言ってすみません💦
フツーに、朝は8時半までに行けばよい
という職場でした。
残業も経験ないです・・・。
今の時代は、あの雇用機会均等法以来でしょうか
労働者にとても厳しい世の中になったな
と思います。
木村さんのその言葉は
そうですね、
現実を書くような俳句の中には、
書きたい自分の姿は無かった
俳句で表現したいものは
日常的な現実の世界(実?)にはなく
言葉で作られた世界(虚?)にある、
というふうに受け取りました。