あるドラマの中で
突拍子に禅の公案・「婆子焼庵」がでてきた。
「今の自分を受け入れる」ということで
ドラマはそれなりに進行したのだが
なんのことか知らなくて
ネットで検索すると
うん、いろいろ
あるわあるわ・・・
いくつか読んで
以下、私なりに適当に書けば
ある信心深いおばあさんが雲水に庵を建ててあげた
長い年月が経過し修行もできただろうからと
その雲水を試すため若い孫娘に抱きつくように言った。
娘に抱きつかれた雲水は
「枯木倚寒厳三冬無暖気」
(枯木寒厳に倚って三冬暖気無し)
冬の厳にたつ枯れ木のように、3年経っても私の心は少しも動かない
という態度だったらしい。
そこで、このおばあさん
怒りに怒って
庵を焼いてしまったのだという。
一体なにがお婆さんをそんなに怒らせたのか?
一見修行をまっとうしたかにみえるが
この態度は
「虚無的清浄静寂の心境を尊ぶもので
自ら独り良しとする独善的阿羅漢の悟り」
だそうで
「執着しないというところに執着して
禅者の活発々地として生き生きとした働きを失ったなまくら悟り」
だそうです。
愛も悲しみも苦しみも感じないことに自己満足しててはならない
そういう枯れ木や石であってはならない
だからといって抱いてもいけない。
では一体どう対処すればよかったのか???
相手の好意にどう現実的に寄り添えばよかったのか???
肉欲より
もっと素晴らしい官能の境地があるというのか。
交わらずに心で感じることなのか
こういう肉欲的な場面でなくても
相手のある関係性の築き方の問題のような・・・
月曜の夜からずっと気になる
とても奥深い難題だ。
cf:「婆子焼庵」と「十牛」(2014/04/22)
突拍子に禅の公案・「婆子焼庵」がでてきた。
「今の自分を受け入れる」ということで
ドラマはそれなりに進行したのだが
なんのことか知らなくて
ネットで検索すると
うん、いろいろ
あるわあるわ・・・
いくつか読んで
以下、私なりに適当に書けば
ある信心深いおばあさんが雲水に庵を建ててあげた
長い年月が経過し修行もできただろうからと
その雲水を試すため若い孫娘に抱きつくように言った。
娘に抱きつかれた雲水は
「枯木倚寒厳三冬無暖気」
(枯木寒厳に倚って三冬暖気無し)
冬の厳にたつ枯れ木のように、3年経っても私の心は少しも動かない
という態度だったらしい。
そこで、このおばあさん
怒りに怒って
庵を焼いてしまったのだという。
一体なにがお婆さんをそんなに怒らせたのか?
一見修行をまっとうしたかにみえるが
この態度は
「虚無的清浄静寂の心境を尊ぶもので
自ら独り良しとする独善的阿羅漢の悟り」
だそうで
「執着しないというところに執着して
禅者の活発々地として生き生きとした働きを失ったなまくら悟り」
だそうです。
愛も悲しみも苦しみも感じないことに自己満足しててはならない
そういう枯れ木や石であってはならない
だからといって抱いてもいけない。
では一体どう対処すればよかったのか???
相手の好意にどう現実的に寄り添えばよかったのか???
肉欲より
もっと素晴らしい官能の境地があるというのか。
交わらずに心で感じることなのか
こういう肉欲的な場面でなくても
相手のある関係性の築き方の問題のような・・・
月曜の夜からずっと気になる
とても奥深い難題だ。
cf:「婆子焼庵」と「十牛」(2014/04/22)