昨年甘夏ミカンを購入した
(2021年2月26日拙ブログ)
水俣の「からたち」からメールがきていて
パール柑があったので、注文してみた。
(何年か前にお隣さんから頂いた黄水仙!?)
きょうは、
このグループに属しておられる
杉本肇(1961ー)さんのお母様のことを取り上げたいとおもう。
(我が家の狭庭に咲いている水仙の花も同時UP。)
(この水仙は実家から掘り出してきたもの。
幼いころからよく目にしていた水仙なので
思い出深い。)
1~2週間くらい前、明け方4時過ぎていたか、
ふと目が覚めて、
すぐには眠れないからNHKラジオを入れたら
杉本肇さんが出演されていて
インタビューに答えて話しておられた。
杉本さんが、水俣を出て東京に移り住んでいた時、
堂々と故郷の話が出来ず、
「故郷を隠した」と発しておられたあたりからぼーっと聞こえてきて
そして、あの有名なお母さまの言葉
「国も許す、県も許す、チッソも許す」という言葉が耳に入ってきた。
「国も許す、県も許す、チッソも許す」
私はずっと前からこの言葉を考えている。
語り部杉本肇でネット検索すると、
そのことについて書かれた箇所がある。
https://bigissue-online.jp/archives/1073831433.html
水俣病にもがき苦しんだ母が受け入れた受難―漁師・杉本肇さんの語り部講話@関西大学 より
“しかしまた母は、差別は絶対に仕返しをしてはならないとして、チッソも許す、国も許す、県も許すと。水俣病というものが一種の「のさり」(天からの恵み)なのだと。人を恨むことは絶対しないと。母の、この「許す」という言葉は、ニ度とこのような事件、差別を起こしてはならないという魂の言葉だったんじゃないかなと思います。
水俣病を「のさり」と言った母から学んだのは、こうした水俣病という受難を受け入れて、その土地で生きていくという覚悟です。”
「水俣病にもがき苦しんだ母」とは、
杉本栄子(1938―2008)さんのことです。
肇さんの母の栄子さんは勿論のこと、
祖父、祖母(1959年茂道という地域で初めて水俣病認定を受けた)、
父、自分と弟たち(全員は水俣病患者と認定されていないー2018年の肇氏講演より)が水俣病患者。
身体の辛さは、いかばかりだったろうかと思うが、
共同体の中での差別が一番辛かったという。
正直にいえば、
私には、そういう経験がないので、
情けないことだが実感としてはわからない。
(この水仙は日本水仙の八重なのかな。
一重は既に咲き終わった。)
10年前の私は、
そういう人生になってしまって、
チッソも行政も神様も恨まないで「許す」とはどういうことだろう、
なぜ、栄子さんは、
「チッソも許す、国も許す、県も許す」と言ったのだろう、
ほんとに言ったのだろうか、と疑問に思っていた。
自分の人生は自分で好きなように生きるためにあると思っていたからだ。
しかし、栄子さんが水俣病という受難を受け入れたことは、
いまなら少し分かるような気がする。
というのは、
死期を悟ってきて思うことは、やはり残していく子どもらのこと。
母親というものは、
子どもに人を恨むことを教えて死ぬわけにはいかない、ということだったと思うのだ。
ここに、人間の哀しさと尊さをみるような気がする。
(この花の名前がわからない。
白色もある。)
杉本肇さんは、
水俣で無農薬の柑橘類作りとチリメン漁をされているようです。