続・知青の丘

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岡城跡の紅葉

2010-11-18 23:10:30 | 日帰り旅行
11月16日
久しぶりに素敵な紅葉に出合った。しかも、Good timing!で。

それにしても、岡城跡のたたずまいのなんと素晴らしいことか。
滝廉太郎作曲の「荒城の月」にうたわれる岡城跡の私のイメージとは、
かなり異なっていたー。
明治34年の発表のころは荒れ果てていたようであるが。

驚きましたー。
駐車場からみあげたのは、青い空、白い雲をバックにそびえたつ、
人を寄せ付けないような石垣。
その右の方には、いい色に紅葉した楓がー。
しかし、こんなもんでシャッターをきってはいけなかった。

入城料300円。
要ります!











滝廉太郎像
復元された建物は一切ないが、
東西に延びる広大な城郭からは、その威容と栄華が偲ばれる。

西の丸や三の丸、二の丸、本丸の跡に立つ。
柵もなにもしてないから、
端に立って、急峻な石垣を下の方へみおろそうものなら、
足をすくわれそうー。
居座って手をついて、見下ろした。


説明書きを読むと、中世には志賀氏の居城。
秀吉の時、島津の大軍に攻められるも難攻不落。
1594年中川氏入部(にゅうぶ)により岡藩の城となり、
現在の城郭は中川氏築城のもの。

戦国時代の城郭を基礎として、近世城郭を整備したので、
山城的殿舎(御廟)と、平山城的殿舎(本丸・二の丸・三の丸)、
平城的殿舎(西の丸)が一体となっており、
近世城郭史上特異なことだそうである。
昭和11年国指定史跡に。


紅葉狩りに行ったのに、往時の城の様子を想像するにつけ、
その見事さにうなる^~ うなる^~
1185年に緒方三郎惟栄が源義経をこの城に迎えようと築城した
という伝説も忘れがたいし。

もちろん、
城内に何本もある楓の紅葉は、天気に恵まれ、
何枚も写真を撮りたくなるように素晴らしかった。

久住山や大船山、反対側に祖母・傾山を見はるかすこともできる。
谷とか川とかを見下ろす景色も言うことなし。


原尻の滝や






12世紀後半の宮迫東石仏、宮迫西石仏(国指定史跡)を
見てまわって、帰途についた。

15時ごろ、波野の道の駅で、
新そばのざる大盛をたべた。


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湿気た愛だよなー

2010-11-09 11:10:06 | 俳句
知人の若い女の子のブログは、なかなかおもしろい。
読後いつも思うことは、
彼女はなにかを持っている!そして、若いっていいなあって!

そんなブログと違って、私のは、おばはんの備忘録。

ま、この年になれば、恐いものはあまりなくなるのではあるが、
もしかして、まわりに余波がと思うと、書けないことは多い。

半開の愛ならあげる藪椿  知青 

3・4年前の私の駄句!しかも、藪椿とはダサい。
しかし私としては、
あの藪椿の半開きの形がなんとも暗示的なのだ。

半開の愛とはどんなシチュエーション?と聞かれる。

人の心は変わるもの、だから、常に心は半分開いたくらいに
思っていた方がいいーと答える。

そしたら、
それはなんとも湿気た愛ではありませんか。
人は愛してしまったせつなさにその永続を願うものなのでは?と。

人は自己愛が強いから、そんなに持続して人を愛することはできない。
燃え上がるときは燃えるだろうけど、
そしてどうしようもなく切なくなることもあるだろうけど、
当然のこととして続かない。

だから半開の愛と思え、誤解するなかれ
ということだと答える。

すると、知識と理性で解決をつける、
神を失った現代人の孤独を思うと返ってくる。

そうなのです!そういうことが念頭にはあったのです。

全身全霊を預けられるほどグレイトで、絶対的なものなどは
この世では見つけられない。
既存の宗教は欺瞞に満ちているしー。

もしあるとすれば、より高次の芸術作品に触れた時に感じる自分の感覚か、
あるいは、
自己満足でもいいから作品制作の渦中にある時の自分の感覚か。

だから、私は、芸術は自己流の宗教と呼ぶ。







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