「その火の柱を前にして、凝り固まつたやうに立つてゐる良秀は、――何と云ふ不思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦に悩んでゐたやうな良秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしつかり胸に組んで、佇たゝずんでゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ有様が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色に見えました。
しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の断末魔を嬉しさうに眺めてゐた、そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思はれない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳かさがございました。でございますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる数の知れない夜鳥でさへ、気のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸つてゐる、不可思議な威厳が見えたのでございませう」
芥川龍之介著「地獄変」(青空文庫)より一部を引用しました。
この作品は、簡単にいえば、
良秀というその右に出るものは一人もあるまいと言われるほどの高名な絵師が、
愛娘の一人娘が牛車の中で炎に焼かれるという地獄を
眼前で見たのと引き換えに、そして自分の命をも絶って
念願の地獄図という永遠の作品を得た話です。
そこで、思うのは、
良秀が描いたような俳句を、
今までにだれか書いたかということ。
こういう真に迫ってくる俳句作品があるとすれば、
戦場経験者のものでしょうか。
あるいは、それに近いような経験をした人のか。
(えびねが咲き始めました)
私などは、人生色々あったとはいえ、
真の地獄を味わったとは思えない。
もし、今回のコロナで死ぬ目にあった、そして死んだ、
としても。
これは、拙作品の言い訳になりますかね。
逢わざるも逢うも地獄の桜貝 神野紗希
ツイッターによれば、神野氏が、
新型コロナウィルス蔓延による「緊急事態宣言から一週間を詠みました」
ということです。
が、
不謹慎にも、実感を伴った不倫の句とも思えますね。