大窪橋(美里町大窪、1848年)
惣庄屋・篠原善兵衛が計画し、石工は新助、久左右衛門
「車通扁から津」(くるまとおるべからず)という石柱を立てて、
とても大事に使われたという。
桜がとても似合う橋という説明だった。
確かに生活に密着した石橋らしい石橋に見えた。
馬門橋(美里町今、1828年)
備前国の石工・茂吉と勘五郎の手による。
うっそうとして薄暗い森の中にあった。
上の方を国道218号線が通っており、
時々雷鳴のような車の通過音がする。
新旧2層からなる。写真でもわかりますね。
重ねられた時期は不明。
ここにも、(くるまとおるべからず)という石柱が立てられてあります。
二俣橋(美里町小筵・佐俣、1829~1830年)
釈迦院川と津留川の合流点に架けられた。
反対側からみると~
この二つの橋は直角に交わるように造られているので
10月から2月にかけて11時半頃から12時頃までの間、
ハート型の影が川面に映るそうです。
それで、恋人の聖地に!?
年祢橋(奥の方の眼鏡橋、1924年)
手前の眼鏡橋は二俣橋の右(写真の)の橋
案内役の石匠館館長の上塚さんは、
感性が豊かで、説明も大変良かった!
惣庄屋・篠原善兵衛が計画し、石工は新助、久左右衛門
「車通扁から津」(くるまとおるべからず)という石柱を立てて、
とても大事に使われたという。
桜がとても似合う橋という説明だった。
確かに生活に密着した石橋らしい石橋に見えた。
馬門橋(美里町今、1828年)
備前国の石工・茂吉と勘五郎の手による。
うっそうとして薄暗い森の中にあった。
上の方を国道218号線が通っており、
時々雷鳴のような車の通過音がする。
新旧2層からなる。写真でもわかりますね。
重ねられた時期は不明。
ここにも、(くるまとおるべからず)という石柱が立てられてあります。
二俣橋(美里町小筵・佐俣、1829~1830年)
釈迦院川と津留川の合流点に架けられた。
反対側からみると~
この二つの橋は直角に交わるように造られているので
10月から2月にかけて11時半頃から12時頃までの間、
ハート型の影が川面に映るそうです。
それで、恋人の聖地に!?
年祢橋(奥の方の眼鏡橋、1924年)
手前の眼鏡橋は二俣橋の右(写真の)の橋
案内役の石匠館館長の上塚さんは、
感性が豊かで、説明も大変良かった!