続・知青の丘

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熊本県央・石橋巡り~その2

2015-09-30 14:00:54 | 古墳・菊文研
大窪橋(美里町大窪、1848年)
惣庄屋・篠原善兵衛が計画し、石工は新助、久左右衛門
「車通扁から津」(くるまとおるべからず)という石柱を立てて、
とても大事に使われたという。
桜がとても似合う橋という説明だった。
確かに生活に密着した石橋らしい石橋に見えた。



馬門橋(美里町今、1828年)
備前国の石工・茂吉と勘五郎の手による。
うっそうとして薄暗い森の中にあった。
上の方を国道218号線が通っており、
時々雷鳴のような車の通過音がする。
新旧2層からなる。写真でもわかりますね。
重ねられた時期は不明。



ここにも、(くるまとおるべからず)という石柱が立てられてあります。



二俣橋(美里町小筵・佐俣、1829~1830年)
釈迦院川と津留川の合流点に架けられた。

反対側からみると~


この二つの橋は直角に交わるように造られているので
10月から2月にかけて11時半頃から12時頃までの間、
ハート型の影が川面に映るそうです。
それで、恋人の聖地に!?


年祢橋(奥の方の眼鏡橋、1924年)
手前の眼鏡橋は二俣橋の右(写真の)の橋


案内役の石匠館館長の上塚さんは、
感性が豊かで、説明も大変良かった!





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熊本県央・石橋巡り(9月25日)~その1

2015-09-28 14:07:18 | 古墳・菊文研
<菊文研日帰り旅行>
予想に反しお天気に恵まれた県央の眼鏡橋巡り。
ヒガンバナと稲穂の実る田んぼを眺めながらの
さわやかな行楽日和

* 門前川橋(御船町木倉、1808年)

輪石が二重で輪石のつなぎ目に石の楔という
県内でも最古の工法。


* 下鶴橋(御船町滝尾、1882年)


橋本勘五郎が習得した、熊本城石垣と同様の「鞘石垣工法」


「丸型の手すり」は技術の高さを覗わせる。
アーチ形の技術の高さ・確かさと
欄干の石柱などに施されたいくつかの装飾(遊び心)が見もの。


* 八勢眼鏡橋(御船町上野、1855年)

酒造業を営んでいた林田能寛が私財をなげうって橋を架けた。
その当時熊本藩は財政難でお金は出さないが橋建設の許可を与えた。
資金提供した者には苗字帯刀が許されたりした。

日向往還に続く石畳と左奥(写真の)で繋がる。
種山石工・甚平・宇助が棟梁となって当たった。




*金内橋(山都町野尻、1850年)
惣庄屋・布田保之助の計画で、
宇一(ういち)と丈八(じょうはち)親子の手による。
残念ながら昭和初めにセメントで塗り固められたが、
裏から見ればきっちり石垣が組まれている。
車も通り、現在もよく使われている。


<丈八(じょうはち>とは
橋本勘五郎のこと。
石橋築造の技術が認められ、橋本姓を名乗ることを許された。
明治政府の依頼で、東京日本橋、浅草橋、江戸橋などの架橋に携わったという。

* 通潤橋(山都町長原、1854年)
の上からの眺め。

惣庄屋・布田保之助の尽力。
宇一(ういち)と丈八(じょうはち)親子と弟の甚平による築造。
人馬が通る橋ではなく用水路を通すことを目的とする。
サイフォンの原理を応用し、
西側に広がる白糸台地に農業用水を供給。

写真の左の方の上流で7対3に分水されて、
7の割合で通潤橋を流れる。

15分間の放水始まる。
石の管の掃除ですね~

近くに行くと凄い水しぶきと風が巻く。

熊本城の武者返しの石垣の応用だそうです。
先人の知恵は素晴らしい。
誇りに思えます。


* 霊台橋(美里町清水、1847年)
単一アーチとしては日本一。
唯一緑川本流にかかる橋。

惣庄屋・篠原善兵衛が計画し、
種山手永の宇助を棟梁として総勢72名の石工衆による。
貴婦人を想わせる橋すがた。


<惣庄屋>とは
熊本藩独自の農村地域の行政区画である「手永」の長。
手永には51の村があり、その村々の長が庄屋であった。
これらの庄屋を束ねるのが惣庄屋であった。
転勤もある地方公務員!


(つづく)





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阿蘇は鱗雲~北里柴三郎記念館

2015-09-21 00:04:44 | 日帰り旅行
帰省中の長男には新型デミオがなにかと面白いらしい。
車好きにはなにかとそそられる部分が多いようで。
じゃあ、阿蘇にドライブに行こう!ということで
いざ阿蘇へ。
(その前に、ディーラーに寄って
ルーフスポイラーを注文~)
加速はいいし、パワーはあるし
6速にもなる!って喜んでいました。


北外輪山のほうへ。
右の方に中岳の噴火が見えます。
手前には実り田です。


大観峰に行く前に小国の方へハンドルをきって~

北里柴三郎記念館

丘の上に見えるのは貴賓館

北里柴三郎(1853-1931)は、
特に破傷風菌の純粋培の確立(1889)と
血清療法の発見(1890)で有名。

1916年(大正5年)、
北里村に柴三郎が私財一万円を投じてできた文庫が記念館になっていて、
色々展示してあります。



隣接している小国郷の伝統的蔵造り(置屋根式)の書庫


旧国鉄宮原線北里橋梁

年代: 昭和13頃
構造及び形式等: コンクリート造5連アーチ橋、橋長60m
所在地: 熊本県阿蘇郡小国町大字北里字北里

解説文: 旧北里駅の西方にほぼ隣接して築かれた,曲線平面を有する径間長10mの充腹式コンクリート造5連アーチ橋。鉄材節約という当時の国策に応じた一連の無筋コンクリート造アーチ橋の一つ。2径間を跨道橋とし,現在は歩道橋として活用されている。

つりふねそう







(後日談)
リアルーフスポイラーは、黒をとりりつけてもらったが、
車の色と同色の白にすればよかったかな・・・。


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九月は日奈久でおりや句会

2015-09-09 15:48:02 | 俳句
秋風が心地よい日が続きますが、
~「米ロックグループ、ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)の中国での2公演が突然キャンセル」
のヤフーニュースをみて、
久しぶりに「It's My Life」をyoutubeで聴いてみました。
映像では初めてでした。
やっぱり、いいなあ~

前置き長くなりましたが、9月6日(日曜日)
時々驟雨にみまわれながら、
日奈久温泉に行ってきました。
ここは、種田山頭火で町おこしをやっていて
そのひとつがおりや句会。

おりや(織屋)とは、山頭火が日奈久温泉で滞在した木賃宿名
放浪の俳人・山頭火がいたるところ立ち寄った旅館の中で
唯一残っているのだそうです。

ここの2階に上がって、投句5句をひねっていました。
車が通れば振動し、
この雨模様で少し蒸し暑く少し黴くさい感じでした・・・。

句会会場は柳屋旅館大広間
約30名の参加。
星永文夫先生が来られるというので、
参加したのでした。
初めてお会いでき、やっと拙句集『アダムとイブの羽音』への御評のお礼を
申し上げることができました。
リチャード・ギルバートさんも奥さまと来られていました。
こちらの方とも初めてでした。

リチャード・ギルバートさんは、熊本大学文学部教授で、
日本の俳句を外国に紹介しているそうです。

「海を越えた俳句のための航海」という構想をお持ちで
正式には来年春から、ヨットで日本を回られるようです。

記憶に残っている句は、
さんざめきせぷてんばあなおりやかな  まさもと
死なば骨九月はゆるりと日奈久の湯  こうこ
鉢の子をひょいと覗いた秋の風     つゆこ?
魚投げて秋が漁村にまぶしいぞ     そらん


何もかも捨てる前後の昼寝覚    知青

トップ賞以下何名かに賞品がでました。
私は、下のほうで、靴下とニッケ玉を頂きました。

結社を退会し、
出掛けてみれば、出会いがあるものですね!

温泉には入る時間がなかったので次回に~

昨日は福岡美術館で「肉筆浮世絵の世界」
を観に行ってきました。
同会場内の18歳未満立ち入り禁止の肉筆春画
初めて観ました!
江戸文化は凄い凄い!!







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