〇(「松下けん全句集」については、単独でブログにもUPしたので
ここでは省略)
〇春の雨少女の抱えるものに膝 中内 亮玄
柔らかく叫んだ少女桜騒 〃
明け易し少女に新品の手足 〃
句文集『素晴らしい世界 新世紀神曲』(2023年8月)
この句文集は、全体、人をくったような物語(「2001年頃を舞台とした神話」という)なのだが、この毒っぽさになんとなく惹かれてしまった。挿入句は「挿絵」として読めばいいらしい。 「少女」の句が気になって、3句抄出してみた。春に膝を抱えている少女の柔らかい叫びとはどんな声だろう。何と叫ぶのだろう。足を踏まれた子猫のような叫びだろうか。夏には脱皮して、新品の手足が貰えるようだが、それなりの代償もあるだろう。「新品の手足」の少女はホラー的でもある。
福井で孤軍奮闘する作者にエールを贈りたいとおもう。
〇或るときはマリアの擬態寒つばき 清水 伶
第3句集『素描』(2023年9月、本阿弥書店)
いつかどこかで言ってみたいと思っていた事が、掲句を読んで甦ってきた。数年前、桜島の埋没鳥居方面を俳友に案内してもらった時の事。近くに覆屋があって、その石厨子?の中を覗いた瞬間、これってマリア像じゃない?と思ったのだ。それは、子安観音だった。掲句は、この私の思いとは異なるが、寒椿の在り様にマリアを観るという。マリアを通り一遍に崇めるだけではなく、秘めた激しさ、厳しさをも観るとでもいうのだろう。それにしても寒椿は、谷神に繋がる器のようだ。
〇無花果は隠喩さみしいマルコ伝 川森 基次
第一句集『隠喩さみしい』(2023年10月、ふらんす堂)
この川森氏の句集の中で気になるのは、集名となったと思われる掲句。句意はと考えるが、「マルコ伝」に拠るので、私のような浅学には意味不明。理が勝ちすぎている嫌いがあるが、聞くところによると、「マルコ伝11章には、キリストが実をつけない無花果を呪って枯らす」話があるそうだ。地球上の人類全体に向けて、これではさみしい隠喩じゃないのかと、嘆きとも問いかけとも。他にも、表現活動にかかわる「剽窃の最後の頁イースター」「前衛は鶏小屋に首突っ込んで」がある。「剽窃」とは穏やかならぬが、それが発展して本物になれば、肯定されるべきものだということか。俳句の類想類句では、それを上回る佳句であればよし、ということになるが、評論では如何なものか。後者の句の「前衛」は、侃侃諤諤、百家争鳴の態。批判的なのか楽しんでいるのか、正直読めない。
意外な展開に驚かされる好句は次の通り。
風死すやタトゥーの肌も躊躇はず
文楽めそめそと太夫炬燵欲し
白菜の芯冷えるまで立つ廊下
夢うつつ身は逆走の雪しまき
命脈は波打ち際の桜貝
皮薄き男の矜持蜜柑剥く
〇白鳥帰る青うつくしくくちうつし 望月 士郎
第一句集『海市元町三‐一』(2023年11月、文學の森
集名を見て、どういう因縁、どういう拘りのある住所だろうと大抵の人は驚きを以って思うだろう。それは、この句集を読んでのお楽しみだが、掲句のような一見言葉遊びのような手法の句が独特で美しい。そして、この言葉遊びは侮れない。
「三月のひかり水切りりりりりり」「「そらいろの空はだいろの人はるうれい」。字ズラも造形も色彩も響きもたのしめるのだ。他に、
春の闇そっと赤子を渡される」
三月十一日鉄腕アトムのネジ拾う
老人に初めてなってみて栄螺
ブランコを漕ぎつつ奴隷船のこと
蝸牛いつもひとりの時に遇う
母眠る眉間に繭をひとつ置き
転生のまずは一旦みずくらげ
人形を躾ける少女敗戦日
ヒロシマ以後ひとりに一つずつ玉繭
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ミニチュアカーの展示ではありません。
(東バイパスにあるトヨタの販売店)
信号待ちの時に助手席から撮りました。
長男が、これ凄いねえ~
どうやって上に上げたんかなあ~って。
今年も、「紅はるか」を植えてみた。
植えてから一か月経ったようす。
あと2本は他の場所に植えてみた。
食糧不足に備えて(笑)