続・知青の丘

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赤野四羽第一句集『夜蟻』(2018年7月刊、邑書林)

2018-09-09 16:31:16 | 俳句
赤野四羽(あかのよつば)第一句集『夜蟻』
        (2018年7月刊、邑書林)
          より20句抄   By加藤知子

12  やあアリス虹の耳だよ齧るかい
17  ポテトサラダ滑らか男の舌踊る
19  小鳥来る子どもが丁寧にどもる
20  馬冷えて横隔膜のありにけり
24  道ゆけば道もゆくなり秋の水
26  母親を神話のように冬に着る
27  しぐれてはまばらに笑う父ありし
29  金屏風経文ぬると動きけり
41  朝凪や出世して刺身となる日
43  僕らしだい蛇衣はふとそう言った
61  ぞんびならゆっくりうごく兎狩
62  鉄線花譲るべからず濡れて歩け
64  茄子の馬とうとう姉の夜がきた
70  缶詰に未来があった春でした
81  ペン先に紙魚の心臓硬かりし
102 人間の義務はにんげん春一番
111 珈琲の染みも秋には罪となり
116 葱つるししろき怒りを分かちあう
124 え戦争俺のとなりで寝ているよ
131 痛みとは鳥のおもさを計ること
(番号は句集のページ)
最棹尾の句は、

鍵として針として詠む一句あり

俳句を、富澤赤黄男は「針」といい、
寺山修司は「鍵」と呼んだのだそうです。

ちなみに、四羽さんの自撰10句と重なっていたのは、
19、61、64、111。

四羽さんがあとがきで書いていた言葉が印象に残りました。
少しまとめると、
禅宗に「指月のたとえ」という教えがあるそうで、
月を掴むことも触れることもできないけれど、
人間は月を指さすことができる。
この「指」こそが俳句だと四羽さんはいいます。
また、俳句はその短さによって、「指さす」文学だと言いきります。
そして、読み手が、指さす方向にきちんと目を向ければ、
そこには言葉を超えた「なにか」があるのだと。

この句集の読後感は、なるほど現代に生きる自分の置かれた状況を
指さした俳句といえるのかもしれません。
どこまで指させたのか、
どこまで飛距離を出せたのか次第で、
言葉を超えた「なにか」も大きくちがってくるように思いました。

俳句が「大きなものを内側に掴みこむことはできないかもしれない。」
とも、四羽さんは言っていますが、
そこは異論のあるところです。
もともと最短詩型だからこそ、
大きなものの存在を感受する(「内側に掴む」)ことができるのではないか、
もの言えば言うほど、
モノもコトも限定され矮小化されていくのではないかと思っています。
(ここが最も一筋縄ではいかない、難しいところですよね。)


ともあれ、2011年からの591句の意欲作が収録されています。
1977年、高知市生まれ。
2011年から句作を始め、第34回現代俳句協会新人賞受賞。

ご恵贈ありがとうございました。




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