続・知青の丘

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阿蘇へ阿蘇へ(9/28/国道212~小国・宮原)

2013-09-30 10:07:32 | 阿蘇
阿蘇は、偉大で尽きることがない。
   ~” My new Aso”~
まずは参勤交代時の豊後街道・二重峠(ふたえとうげ)の石畳
細川藩は大分の鶴崎に飛び地を持っていて
そこから乗船して瀬戸内海を通り大阪へ。
(豊前街道をのぼり、小倉から乗船するルートもあったようだ。)
有難いことに、だれか草切りしたり燃やしたり。

峠からみあげた雲が秋があかるい  知青


知る人ぞ知る「ラピュタの道」(阿蘇市道狩尾幹線) ↓  

舗装してないので車にはちょっと厳しいが、ライダー4人は下りていった。(見つけて!)


少しずれると五岳を望める


やっと出合えたマツムシソウ↓

マツムシソウに心を残しつつ
ミルクロードから国道212号にはいり、「道の駅」小国へ
そこには、旧国鉄宮原線肥後小国駅跡がある。

昭和29年~昭和59年まで(九州で最初の赤字路線廃止)
通勤通学、木材の搬送に、
大分県九重町恵良駅間の26、6㌔を連絡していた。
工期は35年で使用期間が30年!

廃線跡の遊歩道を歩く(線路は撤去してある)

宮原トンネル(電気をつけてから入る)                 。

 トンネルを抜けてしばらく行くと橋梁の上に出る

民家の脇の土手を下ると
幸野川橋梁を見上げる~まだ曼珠紗華の花・・・



小国の田んぼはもう黄色だった(夕方近いので黒ずんでいるが)。

あるんですねえ~ピンクしかないと思っていたら↓
遊歩道の脇で見つけた白いげんのしょうこ→
釣舟草↓

(花が葉の下につくのがハガクレ釣舟草だそうだ。)

ここまでで遊歩道の約3分の2位。
まだ先はあるが、次回の楽しみに。
北里柴三郎記念館もあるようだ。



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秋落暉(南阿蘇外輪俵山より)

2013-09-23 20:59:58 | 阿蘇
夕方5時まわってlから
息子と俵山の展望所に行った。

草むらにはブルーの小さな花がー
名前はわからないけど・・・・
サイヨウシャジン!?


発電用風車


山の端に沈む夕日
ここからの眺めは初めて。


さらに登ったところの展望所で。
風車の真下から~


東屋でカップルがいちゃいちゃしとった!
おおいにけっこうじゃが。





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霊巌洞(昨日)から不二の湯温泉(今日)へ

2013-09-07 20:43:13 | 日帰り旅行
何年ぶりだろう。
霊巌洞や五百羅漢の方面にいったのは。
三男のレポートがやっと終わり、
天気も良くどこか行きたがっていたので
一緒に田崎市場でランチを食べてから行こうと誘った。

息子の運転で
峠の茶屋を過ぎ、金峰山の西麓へ走る。
梨や葡萄栽培の盛んな芳野を通り、
棚田やミカン園がある中を上っていくと駐車場がある。
そこから200mほど歩いて下ると
約700年前に創建された曹洞宗雲巌禅寺(九州西国十四番札所)。

その石灯籠からは金峰山の湧水のしたたり。
口に含んでからお参りをして~
いざ~

羅漢さまたちが見えてきたところに
揚羽が3頭もいて、
甘露でもむさぼっているよう。
何度も離れては舞い戻って繰り返す。
なぜか惹きつけられ目が離せなくる。


揚羽蝶羅漢の露に連なりて  知青

五百羅漢
1779(安永8)~1803年にかけて商人淵田屋儀平の奉納
(地震と廃仏毀釈のため頭部欠損)




羅漢さまたちを右にみながら進み
石段のup&down
すると、少しひらけてきて
霊巌洞(れいがんどう:宮本武蔵が籠って「五輪の書」を書いた垂直の断崖)





息子が「なんかいいカップルがいるー」だって!(笑)

洞の右側の岩には
戦国時代武将・鹿子木寂心の「逆修」の文字が彫られている。

雲巌禅寺参道とイチョウの木に覆われた本堂(写真中央)

その参道のすぐ下の畑にいたヤギさん、三態!
初めてヤギを近くでみたような気がする。
メスかな。




帰りは
ここの岩戸観音様に水を供えに日参した平安歌人「桧垣」という老女の
庵跡(といわれる)付近を過ぎ、

         年ふればわが黒髪も白川の
         みづはくむまで老いにけるかな (桧垣)

       京~太宰府から熊本駅近くの蓮台寺まで
       落ちてきたようだ。

 
鼓ヶ滝・肥後耶馬渓!?の方へ回る。

    




********
きょうは、久しぶりに温泉に行った。
いよいよ温泉の季節。
不二の湯は
100円無人だけど
天然泉はやはらかく、ファンは多い。
浴場にはたいてい4~5人程度。
開放的でいい風が入るからサイコー

秋の風かるくおしゃべりなんかして~ 
             


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