フェイスブックは、新型コロナウィルスに対応して、ブランドコマーシャルを4月からアメリカで放映開始しました。通りから人がいなくなってしまった光景が映し出され、若干聞き取りにくいアクセントのナレーションが聞こえてきます。やがて、画面はフェイスブックでアップされる人々の笑顔の写真に変わっていきます。そして最後に、”We’re never lost if we can find each other”(お互いを見つけられれば、自分を見失うことはない)というキャッチフレーズ。暗い時代の中でも、人と人との繋がりが、自分を救ってくれるということで、人を繋ぐツールとしてのフェイスブックの存在意義をアピールしています。こちらがそのコマーシャル。
このコマーシャルに関しては、解説しなければわからないことが色々あり、それを語らずにおくと、大事な何かに気づかずに通りすぎてしまうような気がしたので、メモを残しておくことにしました。
まず、このナレーションなのですが、ケイト・テンペスト(Kate Tempest)という、1985年、イギリス生まれの詩人が朗読しています。詩人であるだけでなく、パフォーマーでもあり、小説家でもあります。ミュージシャンとして、アルバムも出しており、Spotifyでも作品がいくつもアップされています。1985年生まれの彼女は、詩人としても、小説家としても、ミュージシャンとしても数々の賞に輝いています。
このフェイスブックのコマーシャルで使われている”People’s Faces”という詩は、新型コロナウィルスとは関係なく、2017年に発表された作品で、かなり長い詩を抜粋したものです。
彼女の英語は聞き取りにくいのですが、ここに原文と、私の翻訳をご紹介しておきます。
Was that a pivotal historical moment,
それは歴史的転換点だったのだろうか?
We just went stumbling past?
それとも躓きながら通り過ぎただけ?
Here we are
ほら私たちは今
Dancing in the rumbling dark
地響きのする暗闇の中で踊っている
So come a little closer
だからもう少し近くに来てください
Give me something to grasp
何か掴めるものをください
Give me your beautiful crumbling heart
あなたの美しい、崩れかけている心をください
We’re working every dread day that is given us
私たちは与えられた恐ろしい毎日を働き続けている
Feeling like the person people meet
人々が出会う人物が
Really isn’t us
まるで、私たちではない、みたいに感じながら
Like we’re going to buckle underneath the trouble
まるで、困難に屈服しつつあるかのように
Like any minute now
今この瞬間にも
The struggle’s going to finish us
苦闘が私たちをヘトヘトにさせる
And then we smile at all our friends
そして、私たちは、私たちの友達全員に微笑みかける
Even when I’m weak and I’m breaking
自分が弱く、くじけてしまった時でさえも
I stand weeping at the train station
鉄道駅で私は涙を流す
‘Cause I can see your faces
それはあなたたちの顔が見えたから
There is so much peace to be found in people’s faces
人々の顔にはそれほどまでの平和が見えている
I love people’s faces
私は人々の顔を愛する
先の見えない困難な時代と、人々とつながることで得られる安らぎのようなものを表現していて、まるで今の新型コロナの時代のために書かれたかのような気がしてしまいます。そしてフェイスブックの宣伝コピーのようにさえ見えてしまいます。
ケイト・テンペストの作品は、YouTubeを検索するといくつも出てきますが、イギリス南東部のサマセット州のグラストンベリー(Glastonbury)で2017年に行われたコンサートの”People’s Faces”の動画がこちらにあります。
フェイスブックのコマーシャルの雰囲気とはまた違って、迫力満点です。言葉を身体から絞り出すように叫ぶ姿が実にかっこいい。
このコンサートにも最後にちょっとだけ映っていますが、実は、シンセサイザーを演奏しているのは日本人の女性です。Hinako Omoriというミュージシャンですが、横浜生まれで、3才からロンドンに移って、音楽とサウンドレコーディングを大学で勉強し、ミュージシャンとなりました。こちらの動画は、ケイト・テンペストと二人だけでパフォーマンスしています。
この動画がフェイスブックので使われた演奏パターンに近いですが、ミニマルなシンセサイザーの演奏がケイト・テンペストの言葉を引き立てています。Hinako Omoriは、最近は、個人でもミュージシャンとして作品を発表しています。こちらがその一つ。
ケイト・テンペストといい、Hinako Omoriといい、日本ではあまり知られていない才能があることに驚きます。
ケイト・テンペストのパフォーマンスを見ていて、私が思い出したのは、90年代のドリアン助川と叫ぶ詩人の会というグループでした。たまたま深夜のテレビで、迷彩服を着たパンクグループが、激しい演奏をバックに宮沢賢治の「雨にも負けず」を朗読するというパフォーマンスでした。叫ぶ詩人の会はアルバムを何枚か出していましたが、全部持っています。またドリアン助川さんは、その後、映画にもなった「あん」も書かれています。
私がまだ20代の頃、東京の広告代理店にいたアメリカ人コピーライターの影響で、詩人の朗読会に参加したのを思い出しました。白石かずこさん、吉原幸子さん、伊藤弘美さんなどの朗読会に出かけて行きました。詩を文字ではなく、肉声で聞くということに魅力を感じておりました。
話が色々飛んで恐縮ですが、本題のフェイスブックのコマーシャルの話に戻ります。すでに存在していたケイト・テンペストの詩をそのまま持ってきて、フェイスブックのコマーシャルに使ったという着眼点がすごいなと思っていたのですが、これはDroga5というニューヨークのクリエイティブエージェンシーが制作したものです。
このエージェンシーは、David Drogaというクリエイティブのスーパースターが2006年に作った会社です。ちなみに5というのは、David Drogaが5番目の子供で、子供の時から5の数字を着る物に付けられていたので、それを社名にしたのだとか。こちらが彼の写真。10数年前のものだと思いますが。
1968年にオーストラリアで生まれ育ったDavid Drogaは1996年にシンガポールのサーチ&サーチ (Saatchi & Saatchi) でExecutive Creative Directorとして働き始め、1998年にアドエイジのインターナショナル・エージェンシー・オブ・ザ・イヤーを取ってしまうんですね。彼らのオフィスは、クラークキーのショップハウスに入っていておりました。その頃、私はシンガポールの日系の広告代理店で、David Drogaと同じタイトルで働いておりましたが、仕事上の接点は全くありませんでした。1999年に彼はロンドンオフィスに移り、2003年には親会社のPublicisのニューヨークでチーフ・クリエイティブ・オフィサーとなります。それから間も無くして、独立することになるのですが、独立してすぐに、シンガポールで開催された広告フェスティバルで、私は実物の彼の講演を聞く機会がありました。話の内容は忘れましたが、すごい人を直に見ることができて感激した覚えがあります。当時、世界で最も広告賞を獲得した男として有名だったのですが、それから10数年、このフェイスブックの広告を彼の会社が作っていたというのを知り、感慨ひとしおでした。いろんなところで、いろんなものが繋がっています。一つのコマーシャルがいろんな情報に繋がり、いそんな記憶を蘇らせます。
とりとめのない話でしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
このコマーシャルに関しては、解説しなければわからないことが色々あり、それを語らずにおくと、大事な何かに気づかずに通りすぎてしまうような気がしたので、メモを残しておくことにしました。
まず、このナレーションなのですが、ケイト・テンペスト(Kate Tempest)という、1985年、イギリス生まれの詩人が朗読しています。詩人であるだけでなく、パフォーマーでもあり、小説家でもあります。ミュージシャンとして、アルバムも出しており、Spotifyでも作品がいくつもアップされています。1985年生まれの彼女は、詩人としても、小説家としても、ミュージシャンとしても数々の賞に輝いています。
このフェイスブックのコマーシャルで使われている”People’s Faces”という詩は、新型コロナウィルスとは関係なく、2017年に発表された作品で、かなり長い詩を抜粋したものです。
彼女の英語は聞き取りにくいのですが、ここに原文と、私の翻訳をご紹介しておきます。
Was that a pivotal historical moment,
それは歴史的転換点だったのだろうか?
We just went stumbling past?
それとも躓きながら通り過ぎただけ?
Here we are
ほら私たちは今
Dancing in the rumbling dark
地響きのする暗闇の中で踊っている
So come a little closer
だからもう少し近くに来てください
Give me something to grasp
何か掴めるものをください
Give me your beautiful crumbling heart
あなたの美しい、崩れかけている心をください
We’re working every dread day that is given us
私たちは与えられた恐ろしい毎日を働き続けている
Feeling like the person people meet
人々が出会う人物が
Really isn’t us
まるで、私たちではない、みたいに感じながら
Like we’re going to buckle underneath the trouble
まるで、困難に屈服しつつあるかのように
Like any minute now
今この瞬間にも
The struggle’s going to finish us
苦闘が私たちをヘトヘトにさせる
And then we smile at all our friends
そして、私たちは、私たちの友達全員に微笑みかける
Even when I’m weak and I’m breaking
自分が弱く、くじけてしまった時でさえも
I stand weeping at the train station
鉄道駅で私は涙を流す
‘Cause I can see your faces
それはあなたたちの顔が見えたから
There is so much peace to be found in people’s faces
人々の顔にはそれほどまでの平和が見えている
I love people’s faces
私は人々の顔を愛する
先の見えない困難な時代と、人々とつながることで得られる安らぎのようなものを表現していて、まるで今の新型コロナの時代のために書かれたかのような気がしてしまいます。そしてフェイスブックの宣伝コピーのようにさえ見えてしまいます。
ケイト・テンペストの作品は、YouTubeを検索するといくつも出てきますが、イギリス南東部のサマセット州のグラストンベリー(Glastonbury)で2017年に行われたコンサートの”People’s Faces”の動画がこちらにあります。
フェイスブックのコマーシャルの雰囲気とはまた違って、迫力満点です。言葉を身体から絞り出すように叫ぶ姿が実にかっこいい。
このコンサートにも最後にちょっとだけ映っていますが、実は、シンセサイザーを演奏しているのは日本人の女性です。Hinako Omoriというミュージシャンですが、横浜生まれで、3才からロンドンに移って、音楽とサウンドレコーディングを大学で勉強し、ミュージシャンとなりました。こちらの動画は、ケイト・テンペストと二人だけでパフォーマンスしています。
この動画がフェイスブックので使われた演奏パターンに近いですが、ミニマルなシンセサイザーの演奏がケイト・テンペストの言葉を引き立てています。Hinako Omoriは、最近は、個人でもミュージシャンとして作品を発表しています。こちらがその一つ。
ケイト・テンペストといい、Hinako Omoriといい、日本ではあまり知られていない才能があることに驚きます。
ケイト・テンペストのパフォーマンスを見ていて、私が思い出したのは、90年代のドリアン助川と叫ぶ詩人の会というグループでした。たまたま深夜のテレビで、迷彩服を着たパンクグループが、激しい演奏をバックに宮沢賢治の「雨にも負けず」を朗読するというパフォーマンスでした。叫ぶ詩人の会はアルバムを何枚か出していましたが、全部持っています。またドリアン助川さんは、その後、映画にもなった「あん」も書かれています。
私がまだ20代の頃、東京の広告代理店にいたアメリカ人コピーライターの影響で、詩人の朗読会に参加したのを思い出しました。白石かずこさん、吉原幸子さん、伊藤弘美さんなどの朗読会に出かけて行きました。詩を文字ではなく、肉声で聞くということに魅力を感じておりました。
話が色々飛んで恐縮ですが、本題のフェイスブックのコマーシャルの話に戻ります。すでに存在していたケイト・テンペストの詩をそのまま持ってきて、フェイスブックのコマーシャルに使ったという着眼点がすごいなと思っていたのですが、これはDroga5というニューヨークのクリエイティブエージェンシーが制作したものです。
このエージェンシーは、David Drogaというクリエイティブのスーパースターが2006年に作った会社です。ちなみに5というのは、David Drogaが5番目の子供で、子供の時から5の数字を着る物に付けられていたので、それを社名にしたのだとか。こちらが彼の写真。10数年前のものだと思いますが。
1968年にオーストラリアで生まれ育ったDavid Drogaは1996年にシンガポールのサーチ&サーチ (Saatchi & Saatchi) でExecutive Creative Directorとして働き始め、1998年にアドエイジのインターナショナル・エージェンシー・オブ・ザ・イヤーを取ってしまうんですね。彼らのオフィスは、クラークキーのショップハウスに入っていておりました。その頃、私はシンガポールの日系の広告代理店で、David Drogaと同じタイトルで働いておりましたが、仕事上の接点は全くありませんでした。1999年に彼はロンドンオフィスに移り、2003年には親会社のPublicisのニューヨークでチーフ・クリエイティブ・オフィサーとなります。それから間も無くして、独立することになるのですが、独立してすぐに、シンガポールで開催された広告フェスティバルで、私は実物の彼の講演を聞く機会がありました。話の内容は忘れましたが、すごい人を直に見ることができて感激した覚えがあります。当時、世界で最も広告賞を獲得した男として有名だったのですが、それから10数年、このフェイスブックの広告を彼の会社が作っていたというのを知り、感慨ひとしおでした。いろんなところで、いろんなものが繋がっています。一つのコマーシャルがいろんな情報に繋がり、いそんな記憶を蘇らせます。
とりとめのない話でしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。