平成二十五年十二月四日
悩み苦しみは、御魂(直霊なおひ)から起こるのでは、ないぞ。肉体の霊魄から起こるのであるぞ。神授の御魂は常に、真澄であれど魄の自我の岩戸で押し込めておるのであるぞ。悩み苦しみは、魄の浄化の為であるぞ。素直に、清く正しき御魂の思いに順(したが)えるまで、悩み苦しみはあるのじゃぞ。魂魄一体となり、神意に従うのを、霊体一致とも申すぞよ。悩み苦しみからのがれようと、あがいたり、逆らうから尚更辛くなり、悪態いたす事ともなるのであるぞ。魄は、肉体の霊、我を守らんとする、利己主義(われよし)の思いや、欲であるぞ。現(こ)の世に肉体をもちて、生きてゆくからは、魄の働きも必要なれど、程と言う心を心得て、自我を磨く事が神交(信仰)の大事であるぞ。利己主義を通すと、その念が思凝りとなり、岩戸となりて、御魂を押し込めてしまうのであるぞ。正しき物事の判断が出来ぬようになるのであるぞ。親神から授けてある御魂(直霊)を大事にいたされよ。我が身の都合勝手の念の凝りた思凝霊(しこりがみ)を、真の神と信じて居るのが、大方の人民じゃ…それでは、何にもならぬぞ。今、我の歩む道、置かれた立場しっかりと見すえて、改神(心)いたせと申してあるぞよ。思凝りの岩戸は、自ら開かねばならぬぞ。 ン
十二月十日
情けなくとも、辛くとも、悲しくあるとも、時の流れのこの道は、後へ返らぬ道の上、前を向いて歩もうぞ。勇氣を出して歩むなら、時の流れのこの道は、景色を変えて見せるなり。春は花咲き若葉萌え、夏の暑さや嵐越え、秋は紅葉の美しく、散りては新芽の肥やしとぞ、なるが如き道歩め、悔い無き人世の道ようは、その時々な誠もて、明るく歩む道ならむ、日々新生の道と言うなり。 ン
十二月三十日
伊勢(五十)も出雲(五百)も遷宮成りて、さあ東西東西、新しき四九三(しぐみ)の幕開けじゃ…日と月や…鶴と亀の四九三(しぐみ)、九九理(くくり)、結ぶは、白山の菊理姫であるぞ。統べる要(かなめ)は天橋立真名井原、籠は籠宮その中に、世開けの十理(とり)が唱くと言う…さあ、赤と白との馬と言う…白山菊理姫、丹生都姫(にぶつひめ)の神、白と赤との神力が振るい、結び(産霊)なり、桃(百)の実りとなるぞ嬉しき…日本も、真に、のるか、そるかの節となりたぞ、午の年は未だ良いが、未申(ひつじさる)は厳しいぞ。国の頭(かしら)の安倍殿、靖国神社へ参らせたのは、神の計りじゃ、先のあの大戦は、大きい犠牲をはらい、真の日本と立て直す為の五八十(岩戸)開きであった事を忘れてはならぬぞ。何事も無しに世は替わらぬのじゃ、掻き混ぜ掻き混ぜ、泥や砂や、石ころの中の、宝石を取り出してまいる、これからの四九三であるから、一般と何が何やら判らぬようになるが、真の玉は光るぞよ。蒔いてある、玉石(魂意志)が、あちらこちらに芽をふく、めぐりとなりたぞよ。
ン
天橋道士龍華斎 修聖拝写
悩み苦しみは、御魂(直霊なおひ)から起こるのでは、ないぞ。肉体の霊魄から起こるのであるぞ。神授の御魂は常に、真澄であれど魄の自我の岩戸で押し込めておるのであるぞ。悩み苦しみは、魄の浄化の為であるぞ。素直に、清く正しき御魂の思いに順(したが)えるまで、悩み苦しみはあるのじゃぞ。魂魄一体となり、神意に従うのを、霊体一致とも申すぞよ。悩み苦しみからのがれようと、あがいたり、逆らうから尚更辛くなり、悪態いたす事ともなるのであるぞ。魄は、肉体の霊、我を守らんとする、利己主義(われよし)の思いや、欲であるぞ。現(こ)の世に肉体をもちて、生きてゆくからは、魄の働きも必要なれど、程と言う心を心得て、自我を磨く事が神交(信仰)の大事であるぞ。利己主義を通すと、その念が思凝りとなり、岩戸となりて、御魂を押し込めてしまうのであるぞ。正しき物事の判断が出来ぬようになるのであるぞ。親神から授けてある御魂(直霊)を大事にいたされよ。我が身の都合勝手の念の凝りた思凝霊(しこりがみ)を、真の神と信じて居るのが、大方の人民じゃ…それでは、何にもならぬぞ。今、我の歩む道、置かれた立場しっかりと見すえて、改神(心)いたせと申してあるぞよ。思凝りの岩戸は、自ら開かねばならぬぞ。 ン
十二月十日
情けなくとも、辛くとも、悲しくあるとも、時の流れのこの道は、後へ返らぬ道の上、前を向いて歩もうぞ。勇氣を出して歩むなら、時の流れのこの道は、景色を変えて見せるなり。春は花咲き若葉萌え、夏の暑さや嵐越え、秋は紅葉の美しく、散りては新芽の肥やしとぞ、なるが如き道歩め、悔い無き人世の道ようは、その時々な誠もて、明るく歩む道ならむ、日々新生の道と言うなり。 ン
十二月三十日
伊勢(五十)も出雲(五百)も遷宮成りて、さあ東西東西、新しき四九三(しぐみ)の幕開けじゃ…日と月や…鶴と亀の四九三(しぐみ)、九九理(くくり)、結ぶは、白山の菊理姫であるぞ。統べる要(かなめ)は天橋立真名井原、籠は籠宮その中に、世開けの十理(とり)が唱くと言う…さあ、赤と白との馬と言う…白山菊理姫、丹生都姫(にぶつひめ)の神、白と赤との神力が振るい、結び(産霊)なり、桃(百)の実りとなるぞ嬉しき…日本も、真に、のるか、そるかの節となりたぞ、午の年は未だ良いが、未申(ひつじさる)は厳しいぞ。国の頭(かしら)の安倍殿、靖国神社へ参らせたのは、神の計りじゃ、先のあの大戦は、大きい犠牲をはらい、真の日本と立て直す為の五八十(岩戸)開きであった事を忘れてはならぬぞ。何事も無しに世は替わらぬのじゃ、掻き混ぜ掻き混ぜ、泥や砂や、石ころの中の、宝石を取り出してまいる、これからの四九三であるから、一般と何が何やら判らぬようになるが、真の玉は光るぞよ。蒔いてある、玉石(魂意志)が、あちらこちらに芽をふく、めぐりとなりたぞよ。
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天橋道士龍華斎 修聖拝写