玄徳道

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龍宮水火土伝授日の出世開きΘ三六九神示15

2017-07-04 00:15:13 | 神示道
始めも終わりも無き大宇宙。その中に悠久の時の流れがあり、大元の神(Θ)は時の流れに、神魯岐、神魯美の渦を巻かせ、霊と産み体を産み現(うつ)し世を鳴り成らせたのであるぞ。神魯岐の命(神言みこと)を高皇産霊神といい、神魯美命(神言みこと)を神皇産霊神と申してあるぞよ。
神魯岐、神魯美の言霊の渦によりて鳴り成らせた現の世であり、産霊(むすび)と言う事は、平穏やかな響きであれど宇宙は、大爆発を繰り返しながら、産霊(むすび)の神業を進めて無数の星を始め、この地球も成た如く、産霊と言う事は厳しい事でもあり、新らしき生命を生みだす産霊(むすび)の折りは、大爆発の荒事もあるぞよ。
陰陽の電気も結びによりて光りが出るが、火花も散るぞよ。
この地球を産みなした渦の氣は龍体となり、万物を鳴り成らせたのであり、人の身も龍体の変化であり海から陸へ上がりたのであるぞ。
龍体の氣は荒きものでもある故に、神の神霊(みたま)を分けて鎮めた人の身と申せ、我が身を守る、自我や欲(自己保全の本能)は、誰も強く荒々しきものであり、自我や欲が固い思凝りとなれば岩戸の如く、真の清き身魂を押し込めて、神も佛(ほとけ)も人の道の義も判らぬようになりて、自分勝手に思凝霊(しこりがみ)をつくりてしまうのであるぞ。
扨ても、この地球、爆発より成りた、名残の火の氣が中にありて、今でも爆発せんとするのをぐるりと、海の水で囲みて、火の氣を鎮め、調和をとりて万物の生命をはぐくみてあるぞよ。
扨ても年明けて、男島女島(おしまめしま)に昇る日、清清に白雪輝き、未の年の始まりたなれど、未の年は、火の氣が強いから注意いたさねばならぬぞよ。
時の流れのその中に渦を巻かせ、爆発を繰りかえし、日月星辰を成らせ、龍体より人の身を成らせ、それぞれに、八百万の神の神霊(みたま)を分けて鎮め、高天原に成るが如く、地上の天国を人の身魂をして造るのが、大元の神の元初の願いであり、今も変わらぬ願いであれど宇宙は、爆発によりて成りたが如く、その氣は人の世にもあり、人の世は、破壊と建設を繰り返してゆく歴史の流れであり、宇宙の爆発の如く、幾度も戦争をくり返し、言うに言われん、辛い悲しい思いをさせて、争いの辛さ虚しさを体験させ、身魂を磨かせ、神の元初(はじめ)の意(おも)いを実らせんとして来たなれど、仲々人間の思凝りの岩戸は固く、真(まこと)の御魂の光りが出ず、少し善い事を積んでもすぐ崩してしまう、賽の河原の石積の世であるから…又、やむえず立て替え(破壊)の荒事の節を越えねばならぬ事となるのであるぞよ。
治まらぬ世の流れの中にも、神界は伊勢は日、出雲は月とその結びを、菊理姫(くくりひめ)の神の仲立ちに、平成二十五年に成らせ、人間の利己主義(われよし)の思凝りの岩戸を打ち開き、世界恒久平和成る、日月地(みろく)の世を開き氣を一段と強く、この地球に息吹き込まんとする、神界の神業であるぞよ。
ひつじの年は日月地(ひつじ)の年とも申せるのでありて、新しき始まりの年であるぞよ。 
人類に任せてあるこの地球であるから、大きな破壊のある前に改心なし、早く、辛く悲しく虚しき戦争を止めて、真の結びの道を開けよと神界は願いておるぞよ。
人の世の始めは、神の恵みを皆、分けおうて暮らす穏やかな世でありたが、今の世は、金が物を動かし世界を動かす経済(しぐみ)となりて、万民、金が無ければ暮らせぬ世の中であるが、この金の経済を金毛九尾の思凝霊(あくがみ)が自在にいたせば一部の者は恵まれても、万民は困窮いたし、金で開いて金で潰れる世となりてしまうぞよ。
されど、金毛九尾の思凝霊(しこりがみ)であるから、世の元からの神の力が強くなり、人民が誠の道に改心いたせば次第に消えるのであるぞ。
元々、財宝は、龍宮乙姫が持ち、金勝要神(きんかつかねのかみ)が経済を司りておりたのであり、その昔、金勝要の神は、廁の底に落とされて苦労いたし、八岐大蛇や金毛九尾の自在の世となりておりたが、今は浮かび上りておるぞよ。日本の神の名で、奇稲田姫(くしいなだひめ)と申すぞよ。
素盞鳴尊に助けられた、金勝要(きんかつかね)の神が、経済を司どれば、世立て直しの為に金が活きてはたらき、万民に運、不運なく金がめぐるようになりて、皆勇んで暮らす世となるぞよ。
されど、是は大望の事であり、未だ未だ時がかかるぞよ。
扨ても、昔から美濃尾張(みのおわり)の仕組みと申してあるが、是は、旧(ふる)き世を新しく立て直す、仕組みであり、昔で申せば、戦国の世を終わらせる仕組みでありたぞよ。尾張(終わり)が始めとなるのであるからこの年は、素盞鳴尊(すさのうのみこと)は尾張ではたらき初めであるぞよ。尾張の戸を開き三千世界に梅(埋)の花咲く四九三(しぐみ)の始めであるぞよ。
梅が開くと申すのは、埋めの花が開く事でありて、埋もれて居りた、真(まこと)の神や人民の御魂が浮かび上がりて、光りだす事であるぞよ。
是まで、神業にめぐらせて岩戸(五八十)開きの出来たところからは、世の立て直しの因縁の者が現れてまいるぞよ。これからが、大望の時代でありて、金や武力を、ふりかざす、強い者勝ちのやり方では、この地球も爆発いたすから、世界の人類が生命の源の神の祭礼(まつり)を大切に、恵みは皆で分けあうやり方に舵(かじ)を切らねばならぬ時に到りたぞよ。
それが龍宮の生命幸倍(いのちさきは)いの仕組みであり、金勝要神の経済(しぐみ)であるぞよ。
世界人類、金よ武力よと戦い、戦い疲れる迄に、足(たる)を知り分を知り人の道の義を守り、世界恒久平和(みろくのよ)の道を開かねばならぬぞよ。

知足安分

言霊神也



平成乙未二十七年一月九日 天橋道士龍華斎 修聖拝写
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