日蓮による、教え。戦後、その教えは、発達し、日本に、有力な宗教を催された。
仏の教えの御本尊。
南無妙法蓮華経の真髄である。
南無とは、仏の詞で尊敬や崇敬を意味するらしい。
言霊学で述べれば、なんも、なり。
なんも。とは、かつて、北海道に住まうアイヌの言語で、感謝を意味する。
ふふふ。インドで生まれた、言語が仏のマントラであり、弘法太師空海が、そのマントラを日本流に受け入れた。
空海とは、出口王仁三郎聖師と同様に、神スサノオの御魂のもちぬし。
スサノオは、古事記に因れば、アマテラスと仲違いしたように溶かれておられるが、それは、人族による、思想変化による誤りである。神スサノオは、地球ソノモノ。常に太陽と伴にある存在なり。
話がそれてごめんなさい。
南無妙法蓮華経。
日蓮の生きた時代。
貴族による神道や、その他の仏教も、領地や僧兵を持ち、民の為の教えを発揮せず、多くの民を損なっていた。民を害していた。
ゆえに、日蓮は、人を救える道、救済への道を学び、法華経こそが、この国、日の元御国を救うと信じ、広宣流布を実践された。
日蓮が当体とした、御本尊とは、如何に。
国祖国常立尊、地球神である。
天人合一。
今の多くの人。御本尊とは、幸せを呼ぶ、宝だと思考される方が多い。
お金が多く入れば、幸せ。人付き合いが巧くいけば幸せ。信仰し、病気が治れば幸せ。同じ考え方、同じ、神や仏を信ずる者が集まれれば幸せ。
まあ、人の幸せは、人の欲望だけ、存在する。
此処で述べる。日蓮は、自己の幸せの為に、御本尊を感得、感化、感合しては、いない。
日本国、救済と良心の為に、法華経の真髄、観音力を得たのである。
日蓮の御本尊とは、日蓮の誠。誠心に、地球自体が感合された。
故に、日蓮の発する、「南無妙法蓮華経」は、人智を超えた奇跡を現したのである。
多くの宗教信者は、知らないかも知れないが、御本尊とは、外から来た存在では無い。学んで、拝む存在でもない。
自己の道に因り、感得する、吾が生きて来た道の集大成であり、吾が内在する、神であり、我自身の本当の姿、魂の存在なのである。
それが、御柱となり、仏では、大灯明、大法灯となる。
これを日蓮は、御本尊と呼ぶ。
是を知れ。