玄徳道

道を語るブログです。

令和三年三月 三六九神示。

2021-03-17 19:33:00 | 神示道
令和の世は霊和の世と申してあるぞよ。

三千年の体主霊従の世が霊主体従の世へ替わる大節となったのであるぞよ。

世の元の艮の金神国常立大神、丹後の女島(沓島)に隠棲して三千年。

明治二十五年、丹波の出口直殿の手を借りて、お筆先を現すまで悪神邪神の如く言われ、言うに言われぬ苦労いたしたが龍宮の乙姫の助けを得て、陰から現の世を守りて、炒り豆に花の咲くまで待ったのであるぞよ。

三千年の間、現の世は思凝霊により、体主霊従の世となり、神は下敷きに、何よりも物金が先に立ち、悪事も金の力で隠せたり、金の切れ目が縁の切れ目と言うような世となり果てたが、物の栄えが中心でありたから、科学は発達し、人民は穴倉暮らしから、金殿玉楼に住まう様な、結構な暮らしの出来る世となりたが、このまま、栄耀栄華の暮らしを続けてゆけば、人の世は滅びてしまうぞよと、くどいほど申して来たのであるぞ…。

この三千年は強い者勝ちの世。

物金を持つ、一部の者等に世界人類振り回され、嘘偽りの事を無理やり信じさせ、従われて来たのであるぞよ。

三千世界一度に開く梅(埋め)の花。

いり豆に花咲く世となり、再び、艮の金神が三千世界を構う世となり、日の出の神、龍宮の乙姫もつれそうて、御出坐しの世となりたのであるぞ。

これまでには、思凝霊が陰にかくれて、利己主義の、人民を使い、悪事を重ねてまいりたが、艮の金神、言の世の閻魔と、現れて睨みをきかし、見抜き見とうしの、水晶の世を開くのであるから、善も悪もありやかに、人民にみせる世と段々と変わりてまいるぞよ。


扨ても。

令和の世は三千年の体主霊従(からたま)の世から霊主体従(ひのもと)の世へと替わる、大節と、めぐりたのであり、その時は、西暦2020年
禊の数、ニニ(ふじ)の年。

令和二年子の年でありたぞよ。

令和二年から新形コロナウイルスの感染が世界に蔓延し始めたのも、その証でありたぞよ。

トントン拍子で来た世界も一休みとなりたであろうがな。

科学万能と思い上がりておりた人類も、目に見えぬコロナウイルスの為、振り回されたのであるぞ。

人類の思い上がりに氣づきた者は上々であれど、コロナ禍で錯乱する世の中を利用して金儲けいたすような者も現れるから、すぐ様世が治る事は無く、一たん世の中、掻き混ぜられ、泥海の如くにもなるぞよ。

その中に段々神理の判る、御魂の者が輝きて、世を立て直すのであるぞ。

嘘偽りの言葉で塗り固め、人類な目をふさぎ、悪事を重ね、何でも金で自在になるような世の中にした者等も、そろそろと、悪事が露見いたしておるが、未だ未だ、上面の事で、世の裏の真相が判りたら、皆、腰をぬかし、あいた口がふさがらぬぞよ。

世の改めもまだまだ。序の口であるぞよ。

これまでは、正直が馬鹿見る世でありたが、これからは、神が表に現れて正直の頭に神宿る世といたすのであるから、神が申してすぐ世は替わらぬが、今しばし、真実の事が判らずとも辛抱いたして、素直な、水晶の御魂と磨いて新しき世へ渡る用意いたしてくだされよ。

これからが、立て直しの正念場であるから、世界は、荒れ、あんな者がこんな者、こんな者があんな者、思いがけぬ、役者の入れ替えが、日本にもアメリカにも、世界中に起こりておろうがな。

梅の花咲く令和の世は、今日まで埋もれたいた、神々、

次々にお出ましになり、神が出れば、因縁の御魂の人民も浮かび上がりくるから、旧き世のやり方を良しとする者と、新しき世を望む者との争いが世界に広がりてまいるぞよ。

一部の者が金の力で世界を自在にせんとするから、争いも起こり貧富の差も起こるのであり、皆が恵みあい助け合う心と少しでも起こせば、地上天国の道も開けるのであるが。

人間の我欲の岩戸は中々の開かず。

皆の改心の出来ぬのが難しいところであるが、それが成らねば、コロナが終息しても又、元の如く世界は善くならんぞよ。

日本がしっかりせねばならぬのに、今は腑抜けじゃ。

和の道、大和の道、日本魂、奮い起こさねばならぬぞよ。

さあ、それぞれの歩み来た道、嬉しい事ばかりでは無い辛い事、悲しい事もあり、それを越えて今日があるのじゃ。

神に生命頂き、皆と助けおうて来たのじゃな、喜びも悲しみも、皆、宝物じゃな。

これからも、清く明るく、日の出の心で歩むのじゃ。

人の身は、先祖親から受けど、それは器であり、衣であるのじゃ。

その器に親神から御魂を頂いて、霊止(人)となるのじゃ。

肉体は御魂の生宮じゃ。

時来れば土となり。水に帰るが御魂は消えず、霊界でも働くのじゃ。

現の世で御魂の使命果たし親神の元へ帰るのが、まことの霊止(人)の道であるが、我欲にとらわれて生きておるとそれが成らぬ。

霊界は一八一段階ありて、現の世の想念相応の世界へ行くのであるから。現の世で神を信じ、心の内に地上天国開いておかねばならぬのじゃ。

扨も、大きな時代の替わり目となった事を氣づかねばならぬぞ。

体主霊従の道を選ぶか、神々と共にある霊主体従の神理の道を選ぶか。

それぞれ自由に任せるぞ。

良くよく、御魂、鎮めて思いなされよ。

神は強制はいたさぬぞ。

自由が神の審判であるぞ。


言霊神也

ン。


令和三年三月九日


龍華斎修聖拝写。





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