老祖が益都道院の扶乩の壇に臨んだ、判示で曰く。
先天の坐法は無極であり、後天の坐法は大極であり、趺坐は仏坐である。
坐は先天、仏坐、後天の三元(上元、中元、下元)に分けることが出来る。
趺坐は、周昭元年に起こり、後天の坐は、漢孝の時、四川省の峨嵋山派より起こった。
先天の坐は、自然に純任し、後天の坐には滞礙(とどこおり、妨げがある)がある。
この滞という字を用いたのには、大きな意味がある。
仏法が宣疏(宣べ説く)し、後世なると皆、後天的な法を以って佞仏(仏に侫す)した。
佞(この字には、へつらう、おもねる。また、よこしま、ねじけるの意味がある)は学(人知のはからい)である。
故に後天的な法を興し、先天の大道を忘れたもので、まことに悲しむべく、嘆かわしい。
趺坐は、なお心心相印(文学言語によらず、以心伝心の心眼により、悟る)する事が出来、陽気をまた、疏通させる事が出来る。
が、後天は、純陰である。
いささかでも、岐路に入れば、危険が次々と、重なる。
故に説くべきでは無い。
また、北京道院に於ける老祖の扶乩は次の通りである。
道の人におけるや、坐を以って道を堅くするところの基とする。
そして、坐の中に先天、後天の区別があることを、悟るべきである。
先天は自然の秩序に順じて、少しの強制も無いが、後天は別で、身体が酷く虚弱な者にとっては、後天の強制を用いて、その速効を求め、先ず、挽救(健康を回復する)しなければならない。
しかし、後天の坐は、強壮有力な者にとっては、妄りに、坐ってはならないものである。
妄りに坐れば、必ず身体の損傷を招き、その霊を害(そこな)うのみ。
故に病人が後天の坐を用いれば、その効は速やかであり、それこそ、臨終に際しても、意識が明瞭で、口が利けるものなら、五日以内に後天の坐功によってみな助かる。
故に後天の坐は薬物と称してよし。
もし、後天の坐を以って先天に反(かえ)れば、やはり、先天の坐とすべきである。
後天の坐と言えども、確かな基礎のある者でも、先天の坐を以ってこれを充たさなければ、その本源に反(かえ)る事が出来ない。
(道家で行う種々の後天の坐法・インドのヨガの或る派の坐法もそうだと思うが、健康回復の為の一時の手段としてのみ許容される。
あたかも、薬は異物であって、常食では無いの意味である。)