玄徳道

道を語るブログです。

酒仙済仏訓、光明への道。

2022-04-11 20:17:00 | 道院

沙宝

霊宝

済仏、妙山より来る。

衆星(多くの星)は極に拱し(北極星に向かい帰向する)天はまさに曙宿の霧が漸消し、月日が明かならんとす。

但だまさに、万霊一炁に帰して、天下坦蕩(ひろびろとして、こだわりがない)承平(太平)を見んとす。

哈哈(ああ)、四言(前記の詩を指す)で始まったが、談ずる程容易なことではないのである。

世の中が平穏で太平であるということは、人々の望むところである。

しかし、人心は昔と違って軽薄であるというのは、今日に始まったことでなく、時代が繁華(はなやか)になる程、天下の動乱が益々激しくなっていくのは、何故であろうか。

人心というものは、永遠にこれで良いと言って、満足する事はないのである。

そこで、人心が一たび満足することが無ければ、争奪して混乱が生じてきて、止む事がないので、聖賢といえども、又、ただ、嘆息するのみである。

大道(老祖の現化降臨した1920年)が世に行われるようになって、最近百年来、神聖仙仏は絶えず、災を消し劫を弭(な)くして来た。

そこで消えるものは自ら消えても、一方で増長し、神聖仙仏もまた、殆どこれに対応する方法が無いのである。

吾が道は天命を奉じて世の中の劫を消し、人心を挽回して太平の時代を早く見たいのであるが、いかんせん、乱の萌(きざ)しが日に日に酷くなり、今日に至るまで早く泰平を招来することが出来ないのである。

どうしたら、よいであろうか。

どうしたら、よいであろうか。

吾が道の修人(修方)は全国にあまねく、遠くは東西洋に及び、人々の初心はみな、各人の良知良能にもとづいて、世界の平和を祈念している。

たとへ、少数の人が誤って岐路に入っても自ら、又能(よ)く迷いの道から立ち戻り、天を助けて道を宣化するということに、復帰するのである。

今日の世の中を見たところ、末世に臨んでいるようだが、しかし、依然としてその「柳は暗く花は明かして又一村」(道が極まらんとして、又新しい展望が開けることを指す)の時代を見ることが出来るのである。

ただ、修人が初めの四顔(一こい願わくば上乗に至らせ給え、一こい願わくば真諦を悟らせ給え、一こい願わくば、功候を得さしめ給え、一こい願わくば衆生を済度なさしめ給え。)にそむくことが無ければ、遠くない将来に光明の時代が必ず、出現するのである。

各方、自らよく修めて、共にこれを満たすように求めるのである。

ここに厚く望むのである。

これを努めよ。


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