玄徳道

道を語るブログです。

神社参拝道3

2022-08-05 23:19:00 | 神社道
私は十年以上まえ、坐の最中に、私の内にも神がおられ、尚且つ当時、私の好きな住吉大社、西宮神社の神々さえも、私の内におられると感じた事がありました。

故にわざわざ、神社に参拝せずに、坐だけしてれば、良いのではと、不埒な考えを持った事があります。

当然にそれは誤りであり、住吉大社や西宮神社等、神気が湧く神社は、行く事に価値があります。

されど、それからは、神社よりも、天地が呼吸をしている、神奈備山や磐座の探索に勤しんだことがあります。

しかし、それでは偏ってしまうと、神社も見直しております。

振り返って考えると、何故、人間が造った神社に神が坐しておられるのか。

自然の磐境、磐座などには、自然神が坐し、常に神気を発しておられるのは、地球の生成化育の発露です。

人間が造った神社に何故、人が祭祀したとは言え、神柱が立っているのか。非常に不思議と考えます。

そして、全ての神社に神柱が立っているわけではありません。

立派な豪勢な神社でも神様がお留守の神社が少なからずあります。

信仰の無い人も、漠然と神社に神様が当然のようにおられると考えておられるのでしょうが。

神様が来られない神社と神様が坐する神社の違いは、地域の磁場の陰陽、穢れの有無。神主の在、不在。利益信仰の横行、真心ある信仰者の奉仕。などは理由が考えられます。

神様が人の祭祀した斎庭に坐し、柱を立てるのは、「愛」故にです。

神は人の欲望を叶える存在では有りませんが、人を生物を愛しておられるようです。

故に、コンクリートの都会の中でも、神社には人の真心と敬虔な信仰によりて、その存在を顕現し、神霊を明らかにして、人の癒しとなっておられると考えます。

自分を救えるのは、自分のみですが、神は無料で幇助してくださり、尚且つ癒しの磁場を創ってくださっております。
それが神社と云う在り方なのかと、考えております。

私、鬼雷の独善的思考でございます。


さて、大阪市と言う都会の神社に参拝しました。

朝、自転車にて向かいました。夏の盛りなので暑かったですが、ダイエットも兼ねております。




大阪市北区西天満にある、堀川戎神社です。

御祭神は蛭児大神。




眷族神が一柱おられました。
割と霊験があらたかなのかも知れません。


次へ。




大阪市北区神山町、綱敷天神社。



御祭神は嵯峨天皇と菅原道真公。

天満宮などの神社では、学問と神様として、かつて人間だった人が祀られており、そこに本当に神様がおられるのかなど、昔から疑問がありました。
そして、大阪天満宮に審神しに行った事がありますが、良く感合出来ませんでした。

どうも偏見により、自分を真っ白に出来なかったようです。

しかし、此処では、祭神の名前を考えずに、頭から消して、素直に土地の気を感得しました。

御神霊一柱、眷族三体おられました。
ちなみに、御神霊は御人霊ではありませんでした。

神に本来名は無し。先天の炁包。無極。虚虚。

しかし誠あり、敬虔な信仰者は敢えて土地の名を借りたり、古事記から名を借りたり、由縁ある人の名をつけたりと、人の人たる所以でございます。
また、神仕組み参画する神霊はその役割名を名乗る事があるようですが。

次へ。




大阪市浪速区元町、難波八坂神社。







御祭神は素戔嗚尊、奇稲田姫命。

御神霊は二柱。眷族は六体。

此処の神社の真ん前で八、九年前に、マンションの工事をしておりました。当時、参拝は何度かしましたが、感合もなく、まして当時、私は、牛頭天王(明治以前の八坂神社の御祭神)とは最初、疫病を撒き散らしておいて、牛頭天王を崇め奉れば疫病を治める、自作自演、マッチポンプのような存在であると考えてました。

今は頭脳を捨てて、素直に感得感合しました。

人間の最大の障害とは、観念であり、思い込みであると考えます。

工学者の武田邦彦先生は、多くの大脳は生まれてから発達した自我の塊で我よしであると。そして大脳は経験知識によってのみ増大すると。だから、人間は頑固になり、利己的であると。

しかし、人間の中心にある、脳は、他人の為に働くと凄く活性化し、協調し、他人と自分の区別が無いと。余談でした。

次へ。






大阪市福島区海老江、海老江八坂神社。





御祭神は素戔嗚尊。

この神社も二年前のマンション現場があり、近くを通って知りました。

御神霊は一柱。眷族は三体おられます。


各神社では、神様の幸せ、地域の安寧を願い、磐笛と祝詞を奉唱させていただきました。




神社が好きな人は幸いであります。何故ならば、神もあなたに安易に神気をそそげるから。

そんな、神と同化したいのであれば、一を極めねばならないと考えます。


一とは、無欲であり、太極。そして、忠恕なり。





コメント (2)
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