玄徳道

道を語るブログです。

主観道。

2023-05-03 05:10:00 | 考察
スオアエイ

人の魂には、多くの因縁カルマが刻みつけられており、故に、善悪、正邪なる思想も、その人の歩みや修業により、主観は偏ります。

多くの魂への切磋琢磨は、磨かれる人がおり、研かれる人もおられ、また、身が枯れる人も当然におられます。

傷が練磨となる人もあり、傷が乱魔となる人もあり。

昭和の時代、神人合一された方は、昭和天皇であり、また、佐藤愛子さんの著書「私の遺言」に出て来る、神界から来たとされる相曾誠治さんも昭和の時代に神人合一された方でもありました。

相曽誠治さんは、1910年に静岡県に生まれ、1999年に亡くられておられます。

大変に皇室を大切にされ、大嘗祭を重んじておられました。

彼は謫仙(天上界より、人間界に追放された仙人とされるが、実際は、主神のより、使命を受けられた方。また、土佐の神仙たる宮地水位師が神仙界より、彼を指導されたとされる)であったようで、彼と接する人は、「無私で清らかな魂の持ち主。どんな人でも、どんな時でも、同じ表情、変わらない態度、常に自然体であり、接すると何も言われないのに、襟を正され、俗人とは次元が違うお方」と思われたようであります。

その神人、相曽誠治さんは、佐藤愛子さんが北海道の別荘を買う事により襲う、ポルターガイスト、霊動、先祖カルマ(佐藤家のカルマについては、愛子さんの著書「血脈」に詳しいです)の流れを助ける役目を負います。

「私の遺言」には、若き日の霊能者、江原啓之さんや、美輪明宏さんも出て来ます。また、多くの霊能者も、佐藤愛子さんの霊動を救おうとされますが、最終的に、相曽誠治さんが、榊の枝、一本を手に取り、北海道の多くのアイヌの怨念を鎮められました。

その祓いの神光は夜でも大変明るく眩しく感じと言われております。

此処では、佐藤愛子さんの前世がアイヌの姫様であり、アイヌ迫害の怨念が刧となり、地霊を動かし、カルマと縁により、彼女に因り、愛子さんを多く苦しめましたが、相曽誠治氏による、天津神の祓により、一時、鳴りを潜めました。

されど、因縁とカルマと刧を弭化するには、それを受けた本人の御魂の働きと輝きが必要であります。

霊動は、天津神の光だけでは、浄化出来ず、最後、佐藤愛子さんは、相曽誠治氏より指導された日拝鎮魂法の助けもあり、見事に、自神の御魂の輝きにより、自霊浄化する事が出来ました。

日拝鎮魂法とは、午前8時から10時までに、日を拝み、太陽の御神氣を頂戴し、「アマテラスオホミカミ」と唱えます。雨天でも曇り空でも然り。

午前中の太陽は生気です。生命を活かします。

午後の太陽は死気です、生命を枯れさせます。

故に、午前中の太陽の生気を頂くのだと、されております。

これは、仙鶴に乗った仙人、笹目秀和老人の太陽の精気を喰らう秘法とも繋がります。左右の人差し指、親指を合わせて、三角を作り、太陽を口に収めて、その中で太陽光を咀嚼するのも善しでございます。


他からの神の光だけではカルマは解消する事は出来ない。

自己浄力なる、自己本来の切磋琢磨による身魂磨きなる御魂の輝きが必要でございます。


佐藤愛子さんは、相曽誠治さんに、「失礼ですが先生は神界からおいでになった方ではございませんか。」と訪ねると、すると相曽誠治氏は驚きも笑いもせず極めて冷静に頷いて「わたしは、ことむけのみことと申します。」

言向之命。

ちなみに、神道霊学中興の祖であった、本田霊学の本田親徳師は、「ことだまわけのみこと」異霊別命であります。

江戸後期から平田篤胤等による復古神道は神仏習合をは排斥する働きがありました。

宮地水位師の「異境備忘録」によりますと、仏仙界なる世界が存在し、空海や親鸞などの高僧が存在しており、神界に向かう魂を騙して仏仙界へ誘っているようです。

相曽誠治さんも、仏教に対して、あまり良い感情はお持ちでないようで、空海についても、山霊に誑かされると、言い、「四国高知の室戸岬の洞窟にて断食して修行していました。真魚なる空海に、天狗は奇術を行い、[明けの明星]として、天狗霊が、空海の身体に入りました。そのため、空海は死後相応の霊界に収容されて、悲惨な苦しみを受けながら、抜け出る行(禊)を続けています。」
 
まあ、明けの明星云々の話し、その真意は、御本人しか知りませんが、弘法大師空海が、一介の留学生にして、なんの権力も無く、唐に渡り、中華にある、密教を全て会得体得し、胎蔵界金剛界全ての密を日の本の国に持ち帰り、真言密教を顕した功績は、人智を越えておられます。

天狗は確かに存在しますが、悪しき存在ではありません。山界の守護をされておられます。

しかし、天狗にも正邪あり、人の想念に感合して、惑わす事もありますが、あくまでも、その人の御魂想念、相応に感合するので、自己責任でもあります。


神仙、宮地水位師は、「天狗を信仰してはいけません。霊力を得ようと独りで山中に入って修行しようなどと料簡を起こすと、必ず、山霊に誑かされて、天狗界に引きずり込まれるのが、落ちです。」

相曽誠治さんも同様の考えであります。

「滝に打たれたり、山にこもって、過酷な肉代行を積まなくても自宅で穏やかに鎮魂を目指す事ができます。滝行や、山籠りしますと、山霊(魄=スサノオ系の分魂=天狗系)の虜になり、真の鎮魂の境地に至りません。天狗系の霊能力を得ることは出来ても、正しい神界に参入することは不可能です。古来、多くの霊能者や霊学者がこの過ちを犯しています。山、洞窟などにこもって強大な、霊能力を得たと言われる、大本教の出口王仁三郎師や、霊学者の本田親徳先生などは、その典型ではないかと囁かれています。

数多くの「立替立直し宗教」が、その大本教から派生していますが、推して知るべしです。

近代日本に誕生した、霊学者や新興宗教の教祖、言霊学者たちの殆どは、天狗界の申し子と言われています。

スサノオ系が如何に猛威を振るっているかを物語っています。欲を減らそうとか、性格を是正しようか、いうのも確かにミソギの一種なのですが、スサノオ系の霊的影響を薄めるのが、本来の禊です。

スサノオ系を脱却して、正系(アマテラス系)に復帰することが、禊の原義です。

ところがスサノオ系の中に、身を置いたまま、厳しい禊(滝行)を励行しているかたもいます。

これはミソギにはなりません。

多少身は清まるにしても、スサノオ系の中の進歩にしかすぎません。

スサノオ系の霊界は日本に外国の生まれの宗教を持ち込んだ(聖徳太子等)だけではありません。

特に幕末以降、信仰宗教という形で、日本国内でスサノオ系宗教が乱発したのです。

仏教系あり、キリスト教あり、神道系ありで、表面の形こそ異なっていても、いずれもまぎれもなく、大陸宗教(スサノオ系)の系統といえましょう。

ただし、黒住教だけは例外です。

開祖の黒住宗忠は、本当の神仙です………。」

また、中国で発祥された、道院紅卍字会が日本に無償で米と銀を老祖からフーチにより、送った当日、関東大震災が起こりました。

しかし、相曽誠治さんによると、「昭和天皇が富士山頂で執り行われた神祭の結果により、支那から米と銀が送られて来た」と。

確かに、天孫降臨側から観ると、霊眼にもそのように映るのでありましょう。


しかし、山霊や天狗等と天孫側から虐げれて来た、山禍族、土蜘蛛族、蝦夷族、アイヌ族などは、決して自ら争う(侵略者が来ない限り)事なく、彼等は縄文からの自然精神を守って来られた。

人の主観が違えば、「霊界物語」なる魂の発露と救済を示された出口王仁三郎聖師も、また、密教により、宇宙を奏でた弘法大師空海も天狗でしかないようです。

その昔、侵略して来た、天孫側に依り、創られた思想学問(古事記等)を尊重し、古史古伝等は全くの偽書とする流れ、また天津神のみを尊重し、国津神を蔑める。

確か、伊勢白山道リーマン氏も、出口王仁三郎師を天狗扱いされておりました。リーマン氏の思考は、実に相曽誠治氏からの教えによるものと、理解出来ました。

彼は金井南龍師と龍宮乙姫藤田妃見子さん、また、相曽誠治氏からの教えを宗に、伊勢白山道を造られたのであろうかと推測致します。

また、仏仙界も確かに存在し、これは、日本仏仙界と言うのが良く、日本人の僧侶しかおられません。

しかし、霊界とは人の想念ほど、存在致します。

ゆえに、好悪なる感情にも左右されやすく、人の心の数だけ、界数が増えるという事でもあります。

想念を介せず、真なる御魂の世界は、霊眼は通用致しません。

人の主観は、正を得る事は出来ません。

故に、己を正しきとする者は、たとえ、神人であっても、道を違えます。

人は決して、正を得る事は出来ません。

ならば、何が正しいのであろうか。

人が絶対に干渉出来ない、自然なる神の働きこそが、唯一、正しいのでございます。


私は、思考する。

自分が正しいと思った段階で、魔が、違える働きをなすと。


主観が違えば、神示(あくまでも、人を介する)と、言われる発信もまた、誤りもあるのかも、知れません。

いずれにしても、本当の真理を理解したいのであれば、死んでも、道理を理解して出来るように、する修行は大切です。

それは、玄胎。

玄胎には、魂魄の力が必要であります。

生きているうちに、慈善活動を行い、多く学び御魂を磨くのです。

健康体を作り、体力筋力を耕して、魄力を培うのであります。

死んだら血肉は、腐って地に帰りますが、魄は胎となり、魂と合一されます。

それを玄胎と呼び、死後、あらゆる神界霊界を探索することが可となります。

ス神なる 天照る神も 素戔嗚も 元は一つの 伊邪那岐の神。

善きを摂り 悪しきを捨てて 中庸の 誠の心ぞ 人の道なり。





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