令和(霊和)五年は天垂敷(あたらし)き四九三(仕組み)の始まりの年であるぞよ。

五(ご)は元であり、神意(い)であり、生命(いのち)の元であり、語(ご)の元でもあるぞよ。
(注 五=別天津神の五柱、五色、五行、五常、五体、五官、五教、五彩、五味、五経、等等。
コロナ=五種となる。
五はいつつ、「い」である。)
この五月八日、元(五)開(八)くと示す日であるぞ。
曇り空の雨上がり登る日の出に明けそめぬ。
さても、丹後の男島女島は世の元の国常立大神が新しき世を開く大事な四九三をいたしておいたところであるぞ。
大本の筆先に「龍宮の乙姫日の出の神と現らわれる世界のとどめの事であるぞよ。」示してある〇九十(まこと)に十大な筆先の証しの地場であると幾度も示してあるぞよ。
昇る日の出に照らされて男島には、天照国照日の出の神の出現、女島には龍宮乙姫(瀬織津姫神)。
天照国照神も瀬織津姫(乙姫)も、陸の天之橋立籠宮の地に鎮まりて、時を待ちたぞよ。
国常立大神は藤の花咲く真名井ヶ原の磐座に鎮まりて、時節を待ちたぞよ。
これまで、世の元からの神々は封じられて陰からの守護でありたぞよ。
天理、金光、黒住、妙霊先走り、とどめの型と大本教を現して、世の元の神々裏に隠れて世を守護した、三千年の四九三を開く、神業の道開きの型を示したが、今は世の元の神の地場、天之橋立真名井ヶ原を世に現す実地の時となり、それは平成元年からの事であるぞよ。
四月の神示の終わりに日の出の神の神輿現ると示したが、この年の四月二十四日葵大祭に神輿の出る前の拝殿の締縄が切れて、落ちたのは、これまでの日の出の神を封じておりた、締縄が切れ、いよいよ、日の出の神、現らわれる型でありたぞよ。
世の元の神々封じられていた締縄を切り、岩戸が開き、御出ましの時となりたのであるぞよ。
日の出の神と龍宮の乙姫つれそうて、世に現らわれ、地の三六九となりて、闇の世を晴らし、神人和楽、共存共生の天垂敷き、世を開くと示す四九三は、沖縄の久高島にも、奄美大島にも、見せてありて。因縁の者等にその四九三も開かせてあるぞよ。
世の元の国常立大神の三千年の四九三を実地に実らせてまいる五用は、日の出の神と龍宮乙姫がまず、龍宮系の諸神が引きつれて為すのであるぞよ。
神々の出現となれば、人民は良き事がすぐ現われると思うのであるが、この三千年、弥生時代以来の思凝霊(しこりがみ)や人民がしたいほうだいの事をして、地球を汚し穢して来たのであるから、これまでは、闇の世で悪事の因縁が見えなんだが、日の出の光に照らされて、皆浮かび上がりてくるから、世界の事も人民の事も、思いがけぬ事が浮かび上がりて、これまでの世よりも、辛い悲しい荒事が、起こりて来るぞよ。
陰に隠れておりた因縁は、浮かび上がりて浄化されてゆくのであるが、浮かび上がりて来た時は、神も佛も無いと思える事も起こるが、我が身の背負いて来た因縁であるから、やむをえぬ事であり、大難を小難にと、祈るしか無いぞよ。
特に神の五用を為す者等には、思凝霊のさまたげも強く、辛い目に合う事もあるぞよ。
苦しくとも、辛くとも、それを受けて堪へ、あたえられた使命を果たさねばならぬぞよ。
体主霊従の世から、霊主体従の世へと変わりてゆく浄化世。
これを、こばむ思凝霊の妨げは厳しく強いものがあるぞよ。
神の御用に立つ者に、神の取次が出来ぬようにいたさむと迫れども、それに負けず、辛くとも悲しくとも、それに堪え、乗り越さねば、ならぬぞよ。
必ず神は縁ある人をもって動くぞよ。
天理や大本の教祖も、言うに言われん苦労を堪へ、辛い役目は、身内にさせ、天晴れ五用を果たしたのであるぞよ。
如何なる雨や嵐も時来れば必ず止む。
闇の世も必ず日の出の朝が来る。
厳寒の冬も必ず去り、梅の花咲く春が来る。
辛く悲しき時も、神の見守りを信じ、心明るく、御魂の親神の神言に従いてゆくのであるぞ。
必ず禍いの転じて福と為す。
苦あれば楽ある道を開くのが神の親心であるから、事が起こりた時はうろたえず、落ちつきて、歩むのじゃぞ。
神人和楽共存共生の世の開きと申せ一朝には、事ならぬ。
大きな浄めの荒事の世を越へねばならぬ、時の流れが神図り、時は神なりと申しておこう、時節が来るまで頑張らねばならぬぞよ。
時節には神もかなわなと申してあるが、奇しびなる時の流れが、万物を育て世を替えてゆく神の図りであるのじゃぞ。
焦らず、たゆまず、一歩一歩と前に進むのじゃ。
男島女島の四九三、日の出の神と龍宮乙姫連れそうて、現われ、日の出三六九世の四九三を実らせる、その地場大本の元の地場が天之橋立真名井ヶ原、籠宮である事を証したのが、三六九神示であり、八百万の神々は、世界各地に鎮まり世の浄化や守護をいたしておれども、天之橋立籠宮へ、参れば、世界各地で働く八百万の神々にも祈りは通ずるのじゃぞ。
世界は今、伸るか、反るかのまこと大事な節目となりた。
魂の親神と共に、正しき祈りを重ねて、この地球、この宇宙を守りてゆけよ。
体主霊従の経済の発展のみを願う世から、令和即ち霊和の霊主体従の道へ帰らねばならぬこの時であるぞ。
言霊神也 ン。

令和五年五月八日
天橋道士 龍華斎 修聖拝写。