あ〜あ、嫌になるなあ。
世は争いで満ちている。
過去の結末があり、今、現在への結果となっている。
戦果へ至る道から、回帰をなすのが、真の政治家であり、私欲、政治理念よりも、無辜の民の安寧を守が真の為政者である。
そんな、為政者が現れて来ない。
邪悪な神々は、戦争を臨んでおられる。
正義の神々は、秩序を臨んでおられる。
そして、人間の歴史的とは、戦の一文字こそが、当たり前。
人が生まれ、自然に即していた、縄文時代は、大道を歩み、人は一つと群として、大同の境地であった。
歴史では、弥生から稲作が生まれ、故に、貧富の差が生まれたと、する説もありますが、稲作は縄文時代から行われており、弥生時代からは、与える思想から、奪う思想となり、また、人を神はその様に造られた経緯もある。
弥生時代の豊かさは、人に欲をもたらす。
欲が増えると、知恵が増す。
知恵が増せば、奪う事を覚える。
奪うとは、何を奪うのか。
他者の幸せである。
人の遺伝子の中には、他者への幸せを喜び、また、憎む癖が潜んでいるのである。
言わば、人間を育んだ神々がそうした。
奪い合い、護り合い、対して争い、切磋琢磨する。
そこには、停滞がない。
邪悪なる神も、正義の神も、停滞を好まず。
故に、これ程、文明が発達し、得られる情報は、無限となっても、人は喧騒し、争うのである。
やれやれだ。
そして、争いは、ウクライナから、中東へ、そして、台湾へ至るのか。
人間を争わせる、武器因果律は西欧諸国米国からウクライナへ、そこからイランハマスへと繋がるが如く。
詰まるところ、武器が無ければ人は争うが、戦争には至らないのである。
武器の撤廃こそが、出口聖師の霊界物語の真骨頂なり。
平成二十七年、十月十日。
三六九神示。
十月十日は、金毘羅の祭りの日じゃな。
金毘羅は、龍宮の大事な眷属。
龍体じゃが、鰐とも亀とも姿現れるぞ。
日の出の神の差し添えいたす、大事な神であるぞ。
日本も世界の荒海に、乗り出したこの時、金毘羅の神にも一段と働いてもらわねばならぬぞ。
インドとの仲立ちも間違い無きようしっかり、頼みておくぞ。
日本のお偉方も早く改心いたしてくれよ。
アメリカの言いなりになりて、真似ばかりいたして居りたら、取り返しの付かぬ事となるぞよ。
世界の国々とは、和さねばならぬ。
助け合わねばならぬが、アメリカばかりの手先では、敵をつくるぞ。
良く良く心致さねばならぬ、これからの外交(みち)であるぞ。
その末に、中国とも和さねば、ならぬぞ。
明治より、昔の事を思えば…文化、文明…一番恩義のあるのは、中国であるぞ。
されど、今の中国は、昔とはちがう。
内から改革の火の手上がるぞ。
ン。
いずれにしても、人が争いを、辞めるには、自己の本性を悟らねば、ならない。
自己を知り、他者へ思いやる。
深く打ち込めば、自己の内なる神を悟り、自らの役割を為す。
ああ、かむながらたまちはへませ。