(注 いま、人類の欲望に九尾が入り込み緑の地球を焼野ヶ原にせんとしている。
九尾=金権主義。
金を自己主張の為に悪用する。
🔵物金を皆の為、善用するのが、龍宮経済である。)
龍宮水火土伝授
爆撃で荒れる世界の瓦礫の跡にも、地震の山崩れ、地割れ隆起、津波と跡にも春なれば、緑は芽吹き、花も咲くのじゃぞ。
火の中、水の中も神の生命は不滅じゃぞ。
人は切格築いた、文明も争いを繰り返し破壊しておるぞよ。
九(現)の世は六の数で成り、六の数は、建設と破壊を繰り返しつつ、時を進めてゆくのであるぞ。
禍い転じて福と為す、この意に狂いは無いぞよ。
戦災や、地震にあいし者は、可哀想であれど、必ず芽吹き花咲く春は、来るのじゃ。
人は、この地球に住むのでは無く、住まわさせてもらっている事を忘れず、地球を大切に守らねばならぬのじゃ。
我が身の主義主張を通さむ為や、身勝手な領土の奪い合い。
また、宗教の違いの為に争いて、無益な戦争を起こして、殺し合っておる、愚かさに気づき、早く改心いたさねば、ならぬぞよ。
東北十和田湖の青龍をして、能登の珠洲に地震を起こし、世替わりの烽火(のろし)を上げて知らせたが、〇九十(まこと)の神意の判った者は少なくないぞよ。
(注 能登半島先端には、須須神社が坐す。
天津彦火瓊瓊杵命、美穂須須美命、木花咲耶姫命を祀る。美穂須須美命の須須美は、烽(とぶひ、のろし)の古州、のろしを上げる場所。
昭和五十二年九月十五日須須神社参拝する。)
戦争の度に知恵をしぼり、科学を発展させ、その御陰で人民は、楽な暮らしを致しておるが、地震や噴火の自然の災害を受けると、文明に頼っておる故、昔より苦労せねばならぬ事となるのじゃぞ。
今は水道や電気が無ければ、御手上げであるが、自然災害と人民の言う物は、神の修理固成(つくりかため)の業であり、汚れを浄め、歪みを正す為であるから、その災いの困窮の中から、生き延びて行く為の生命の力が起こり、皆で助けあう、共生の大事なる事も、湧いて来るのじゃぞ。
人間には、災と思へる自然活動、即ち、神の活動により起きた事は、禍い転じて福と為す道の開きとなるのじゃぞ。
縄文の昔から様々の苦難を、耐えて来た、御魂の力が、次の道へ導くのじゃぞ。
(注 鬼雷述べる。天と地と、人。三才をもって、お互いに、干渉している真理があり。
確かに、雷台風動震は、地球の活動でありますが、相互に干渉する以上、お互いに影響しあっております。
蓋し、日本人の大和心、皇室の斎庭が調っておれば、一月一日なる、大安息の日に、地震起こらず、四日に起きていたと、鬼雷は考えます。私的考えです。)
どんな苦難の時もあわてず、騒がず、目の前の事を一つ一つ、改善の努力をすれば、闇の中にも、光が差してくるぞよ。
それが、立て直しの道であるぞよ。
これからの世界は未だ未だ浄め祓い修理固成をせねば、地球の生命が弱るから、自然災害も重なり、愚かな戦争災禍も越えてゆかねばならぬのじゃぞ。
神も佛も、あるものかというような、苦難の節目もあるから…………,…………〜 。
一山、一山、越えてゆかねばならぬぞよ。
越すに越されぬ大井川のような事もある。
富士の山も何時とは、申さぬが、噴火する時も来る。
南海の地震も起こる。
個人に於いても.思いがけぬ不幸も起こる。
何事も無く、平穏無事にありたいと思うが、万民の顔(ねがい)であるが、修理固成の神業は、人間の力で止める事はできず……。
この地球の上に住まわせてもらっておる、人の身である事、忘れてはならぬぞよ。
この地球の様々の、恵みを受けて生きておると、人間の為のみにある、地球と思ってしまい、この地球を人間の自由にしてしまおうと、好き勝手の事をいたすが、禍い転じて福を為す道の開けるのも、この地球あっての事であり、その感謝を忘れず、この地球の守りに尽くさねば、ならぬぞよ。
(鬼雷、再度のべる。かつて、昭和六、七年頃、出口尋仁聖師は、駿河大地震(東京大震災の二倍の被害が出たとされる)を未然に軽減、弭化され、その勢いを太平洋へと逃がし、三陸方面(岩手県)が海嘯により、大被害を受けられた事がありました。大難を小難にする為とは、いえ、大神人であっても、如何しようも無き事がございます。
そして、天と地、人は、常に繋がっています。
天地は何時でも何処でも躍動します。
その天地軸をあんてさせる、法の一つが、先天坐であると考えます。
人が坐し、坐軸により、地球軸と繋がれば、多少なりとも、地球軸に影響を及ぼし、安寧の道へと至るかと考えます。)
科学の力で月まで何とかたどりつき、広大無辺なる、宇宙まで、人間の自在になると、思い上がっておる人類であるぞ。
はてしなき、宇宙には、人間以外の生物が住まう星もある。
その生き物からいろいろな、通信を受けておる人間もあるが、汚れ穢れた地球を捨てて他の星へ逃げれば、良いような考えは、神は許さぬ事も記しておくぞよ。
神人和楽の地上天国開きの為に、人類を住まわせた、この緑の地球であるぞ。
この地球を汚し穢し、恵みをむさぼり、築きた文明であるぞ。
その地球を見捨てるわけにはゆくまいぞ。
まず、この地球を大切に守りてゆかねば、ならぬのが、今、地球に住まう、人間の役目であるぞ。
海山河野にも、又、宇宙の星にも、それぞれ霊魂(たましい)があり、神界があるのじゃぞ。
霊なる世界の事が、この地球の様々の形に現れ、人類は、結構な暮らしをさせてもらっておるのであるぞ。
されど、一端、地震や噴火、風水の災害を、受ければ、恵みを受けていた、自然から思いかけぬ災いを受ける事もあるのじゃぞ。
神の和魂は、恵みと優しく、有り難いものであるが、荒魂は、時に厳しく、人類に対し、災いとも現れる事も忘れてはならぬぞ。
それ故に、常ならぬ世は、建設と破壊の六の数の働く世であり、その建設と破壊の変転の中に、生成化育の神業は、進めてある事を知らねばならぬぞ。
その変転の中に、禍いの転じて福と為す、神の愛の言霊、鳴りひびくのであるぞ。
万象崩壊建設と破壊の中に、人間の成長を願う親神の心があるのじゃぞ。、
まず、世界の要(かなめ)とならぬ、この日本から政治も経済も自他共生益福の姿と、立直してゆかねばならぬ時になりたのであるぞ。
まず、日本の上に立つ者から、真言誠(まこも)の改心を急ぐぞよ。
言霊神也 ン。
令和六年二月二十七日拝写
龍華斎修聖。
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