玄徳道

道を語るブログです。

令和五年七月 三六九神示

2023-09-05 17:02:00 | 神示道
天に七(な)り地に七(な)る七月七日の示しであるぞよ。

昭和五十二年六月二十七日、丹波小多利の小富士山神社にて、(鬼雷注 令和四年の七月三六九神示を参照されて、くださいませ。)八月一日大本教金龍海の神業の砌(みぎり)出口直殿、龍宮乙姫の姿で修聖に、お筆先一巻を授けられ、その形代のゆずの葉一枚、旭洞窟の玉石十個等を玉手箱に入れ、七年間開けてはならぬと、麻の緒で封をいたしたのであるぞ。

昭和五十四年九月九日、修聖は、豊岡光の道より追放され、左官や大工の下働きで、五年間、糊口をしのぎおったのであるが、昭和五十二年より、七年目に故郷の丹後へ帰り、その年、七月七日(なたばたの日)神前に、龍宮乙姫の絵を掛け、七年間封じておった玉手箱開きの神業に仕えさせたのが、龍華館の祭の始まりであり、今年で四十一年目の七夕祭りをささやかに奉仕させたぞよ。

昭和五十九年丹後へ十八年ぶりに帰らせたのは、小富士山の木花開耶の神の導きでありたぞよ。

木花開耶姫の神は、草や木の花によらず、人の御魂の花も咲かせる役目であり、日の出の世を開く、差し添えを致す神であるぞよ。

扨ても、丹後へ帰った昭和五十九年五月には、籠神社先代宮司、海部光彦殿に会い、籠神社との縁も出来し、昭和四十一年但馬豊岡光の道に入り、その後、様々な神業に奉仕した事も、真名井ヶ原籠宮を世に出す為であった事も判り、日の出の神と、龍宮の乙姫連れそうて、世の元の国常立大神、三千年陰に隠れて仕組み来たりし、三六九世開きの大神業の要となる、地場、大本の元が、男島女島、天橋立真名井ヶ原籠宮である事を、三六九神示に取り継がせたのであるぞ。

荒れ狂う厳しき浄化の世であれども、神も人も、万物も勇みて暮らす、三六九の世の四九三は、進めてあるぞよ。

この日は阿部(安倍)首相の暗殺された日であるが、世を構う龍宮界の計り事は八の日に行いてまいるぞよ。

八は龍宮界の数であるぞよ。

九十〇(〇九十=言霊)(まこと)の力をもちて、縁ある人を動かし、神の四九三(仕組み)を実らせて、まいるのであり、思凝神(霊)等は、霊主体従(ひのもとへ)の新しき世に成るのを恐れて様々の妨げをいたしてくるが、体主霊従(からたま)の強いもの勝ちの利己主義(われよし)の世は続かぬ事が、人民にも次第に判りて、崩れてゆくぞよ。

霊主体従(ひのもと)の共存共生の道で無い世は保(も)たぬのに、人間は、何事も便利で都合の良い事を求めて、体主霊従(からたま)の道へ走らんとするが、そうばかりゆかぬ事が世界に次々と起こりて来るぞよ。

戦争も利己主義(われよし)のやり方を強引に進めると、内から崩れてまいるぞよ。

日の出の世を開く四九三を男島女島にいたして、それを開きたのが大本の神業の始まりでありて、男島女島の四九三を、陸(あげ)に見せてあるのが、先に示し地場、天橋立真名井ヶ原であり、真名井の宮に国常立大神、豊受大神の名で鎮まり、天照国照日の出の神は、籠宮に鎮まり、天橋立の根元の江の姫宮に、龍宮乙姫鎮まりて時を待ちたぞよ。

大本教に見せて来た、神の四九三の型は、籠宮より、起こるぞよと、くどくど申してきたのであるぞ。

その一つの証しが令和元年(平成三十一年)の例祭に六十年ぶりに出御した大神輿であるぞ。
(注 平成三十一年令和元年、天照国照大神の大神輿が六十年ぶりに出御する、日の出神出現の型である。)

人民には判らぬ、神界の神の四九三を次々と現の世に、ひな型で写し、五用のある御魂の者に、神意を実らせる五用をさせて、一つ一つ実らせてまいるぞよ。

神への神交いたす者は、それぞれの神意を実現の五用を持っておる自覚をいたしてくれよ。

世が荒れる程、それぞれ使命の果たしが大事となりてまいり、神の方から五用させて、まいるぞよ。

中々、自分がどんな役目か判らぬが、真実(まこと)をもちて、五用いたせば、神の方から導きてまいるぞよ。

これから、神の四九三の実りの大事な節目となりてくるぞよ。

その昔、白人等の植民地になり、白人の自在にされて、来たアジアの国々、日本が先頭に、立ちて一つにまとめ、世界の我が物の自在にいたさんとする世界の大国をいさめ、改心させ、世界平和の道へと歩まさねばならぬぞよ。

これからは、アジアの国々の役目大事になり、世界恒久平和の道開きの先頭に立たねばならぬのが、この日本の使命であるぞよ。

天地和合、神人和楽、共存共生の世を開く要の神が白山菊理比売の神であり、その働きを地に写す、白山の大事な神業も始まるぞよ。

人民の 改心を迫る 八千八声の 時鳥 血をはく思いの 神の言霊 世の闇晴らす 日の出の神の 神氣を 我心の中にむかえ 心明るく 五用つとめと 示すなり。

言霊神也 ン。



令和五年八月十一日

天橋道士 龍華斎 修聖拝写。

(小長谷修聖師は、体調を崩し、七月十一日より、十八日間入院されました。「神示大変遅れ、申し訳ありません、今後も遅れ遅れとなると存じますが、お許しください。」との事でございます。皆様、修聖師の健康安寧をお祈りくだされば、幸いでございます。)

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令和五年七月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

2023-09-04 17:00:00 | 神示道
小雨の降る夜明けの海上に、船を浮かべ、出口直刀自、日の丸扇を開いて持たれた、出口聖師、出口澄子様、出口直日様、夫の日出麿様、大本教三代に関わる人々が乗られ、男島、女島や中津神の岩を巡っておられ、中津神の岩には、龍宮の乙姫様や塩土翁様が立たれていました。

空が白み、夜明けとなり、日が登ると、遠くの山々の向こうに白山が輝いていました。

最後、五人の方々は真名井神社の磐座に前で礼拝されていました。

(注 大本は、日の出、三六九の世を開く神界の型を示すところで、三代直日の世までに、それを示すと神示され、日出麿様は、日の出の神の型である。その因縁の地場を巡られ、大本の元、真名井神社で方々礼拝されている様である。)

次に但馬竹田の竹田城の天守閣に出口直日様、日出麿様が立たれ、対面の立雲峡の桜をながめておられました。

綾部五六七(みろく)殿の大きな、三つ巴の紋の太鼓を出口聖師が打っておられました。

(注 七月七日、男島女島、金勝要神に関わる大事な神業を小田内陽太氏、出口孝樹氏奉仕される。

大本教における日の出三六九世開きの仕組みが成った事を示されたのである。

大本では神の仕組みは、梅松竹と示され、竹田城は大本教と竹田町が協力して理想境完成の仕組みを見せる予定であったが、昭和十年の大本教の弾圧でならなかった。

大本教弾圧時、出口直日様と日出麿様の住まわれた、竹田別院が今も竹田町にある。)

(注 龍宮界に於いては、括り結びの要、白山菊理姫神は、金勝要神と現れ給う。)
コメント (4)
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