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昨日は、目覚ましをセットしていなかったので7時前に起きた。
なんとなくしゃきっとしないまま、昼を迎え日課であるブログを後回しにし先に昼食をとった。
夕方からNPO法人大阪美術市民会議が主催する「現代美術シンポジウム 大阪のアートシーン いま・むかし そしてこれから」に参加した。
中央公会堂で開催されたのだが、現在中之島周辺では光のルネサンスが行われ、交通規制がされていたりしていて、中央公会堂の地下のサンクスガーデン入り口付近で飲食物を販売していたので別の入り口よ思い込み、(近年違う入口からは何度も入った記憶がある。)中央公会堂を一周たがすべて入り口は閉じられていて入り口が分からず、結局元に戻り、地下に降りてサンクガーデンの横の東棟の入り口から入った。
東棟のエレベーターに乗ろうとすると、誰か私の名前を呼ぶ声が聞こえたので、周囲を見渡すとKさんが後ろにいた。
一緒に3階まで上がったが該当する催し物の気配はなく、西棟があることに気付き急いでサンクスガーデンに戻り西棟のエレベーターに乗りやっと会場に到着した。
会場は見たところ100人以上の人で一杯だった。
入って右壁の席に並んで着席し、Kさんと話していると急に具体美術の堀尾さんが現れビックリしたが、しばらくKさんと話をしてその後席に戻られた。
堀尾さんは、通路を隔てた横の席に座っておられたのだが、着席する前に横の席の人は後ろ姿しか見てなかったので気付かなかった。
その後、遠く離れた左壁の運営関係者らしい方が、こっちらを向いて、こちらに軽く会釈するような人がいた。
私はこのNPOの関係者は画廊関係者しかいない。
念のため私の周囲を見渡しても、それに気づいて会釈を返す人はいないので、やはり私宛のものと思った。
そして一瞬、ギャラリー時代にお世話になった学芸員だったHさんに似ていると思った。
しかし、まさか昔のHさんは行政側(昔の学芸員の記憶しかなく、現職は知らなかった。)なので、市民団体の集会に参加することはあり得ないだろうと思い、よく似た人が多分人違いで会釈しているのではないかと思いつつ、とりあえず会釈を返した。
その後、シンポジウムが始まり、NPO代表が海外出張中で代わりにH氏が挨拶に立たれ、違う仕事をされているので驚いた。
シンポジウム終了後、急いで私の非礼をお詫びにH氏の許に行った。
私は、この催しものに純粋に知的興味のみで参加している。
このNPOの構成メンバーのことは知らなかったが、このNPOは前回も国立国際美術館と共催でシンポジウムをしているので、それなりの地位のあるエリートの人達が集まっていのだろうと思っていて、地位も財産も学歴(工業高校卒)もなく破産も経験している貧困の独居老人である私にとっては、全く無縁の団体であると思っていた。
だが、現代美術と市民の関係は常々気になっている問題で、よくパーティーの雑談で作家やギャラリストたちとも話もしていた。
そうしたこともあって市民を巻き込んだ催し物には、出来るだけ参加するようにしていて、はっきりした目的を持った催しは、ギャラリーでの作家トークを含め、目的が町おこしへの利用であろうとも、私にとって共感できるし興味もあった。
その意味で、今回のNPOの催しも非常に関心を持っていたが、馴染みの天野画廊の天野氏は事務局を担当されていて、同じく知人の現代美術系ギャラリストも活動に積極的に参加しので、多少馴染みやすい団体と思っていたが、Hさんも中心になって活動しているとは思いもよらなかった。
今回の大規模なシンポジウムは、朝日、毎日、読売、産経のリタイヤした60年代から2000年代までと思われる一世を風靡した美術記者をパネラーとして招き進められた。
会場には、元府立現美センター館長や現大阪府の文化関係の幹部も出席していて、かなりハイレベルのシンポジウムだった。
しかし、議論の方向性は四分五裂し前に進まなかった。
これらに関する、議論の内容や、それに関しての私の考えもあるが、それを書くと非常に長くなるので、時間があれば、近日中に書きたい。
ただ、大きく感じたことは、過去の話を持ち出しても今の時代と環境が違うのでそれほど教訓にはならないかもしれないということや、過去の論客の権威や意見に頼ろうとしても余り意味がないと思った。
そして、当時関西で最も影響を与えていた一人といわれる、元読売新聞の美術記者の安黒正流氏の発言した、現代美術は難しくてよくわからん、という意味の発言は謙遜でなく本音ではないかと思った。
他の元美術記者の方も、それに近い話や、美術記者を始めたときはよくわからないので必死だったといった話をされていた。
この点についても考えてみたいと思う。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより
昨日は、目覚ましをセットしていなかったので7時前に起きた。
なんとなくしゃきっとしないまま、昼を迎え日課であるブログを後回しにし先に昼食をとった。
夕方からNPO法人大阪美術市民会議が主催する「現代美術シンポジウム 大阪のアートシーン いま・むかし そしてこれから」に参加した。
中央公会堂で開催されたのだが、現在中之島周辺では光のルネサンスが行われ、交通規制がされていたりしていて、中央公会堂の地下のサンクスガーデン入り口付近で飲食物を販売していたので別の入り口よ思い込み、(近年違う入口からは何度も入った記憶がある。)中央公会堂を一周たがすべて入り口は閉じられていて入り口が分からず、結局元に戻り、地下に降りてサンクガーデンの横の東棟の入り口から入った。
東棟のエレベーターに乗ろうとすると、誰か私の名前を呼ぶ声が聞こえたので、周囲を見渡すとKさんが後ろにいた。
一緒に3階まで上がったが該当する催し物の気配はなく、西棟があることに気付き急いでサンクスガーデンに戻り西棟のエレベーターに乗りやっと会場に到着した。
会場は見たところ100人以上の人で一杯だった。
入って右壁の席に並んで着席し、Kさんと話していると急に具体美術の堀尾さんが現れビックリしたが、しばらくKさんと話をしてその後席に戻られた。
堀尾さんは、通路を隔てた横の席に座っておられたのだが、着席する前に横の席の人は後ろ姿しか見てなかったので気付かなかった。
その後、遠く離れた左壁の運営関係者らしい方が、こっちらを向いて、こちらに軽く会釈するような人がいた。
私はこのNPOの関係者は画廊関係者しかいない。
念のため私の周囲を見渡しても、それに気づいて会釈を返す人はいないので、やはり私宛のものと思った。
そして一瞬、ギャラリー時代にお世話になった学芸員だったHさんに似ていると思った。
しかし、まさか昔のHさんは行政側(昔の学芸員の記憶しかなく、現職は知らなかった。)なので、市民団体の集会に参加することはあり得ないだろうと思い、よく似た人が多分人違いで会釈しているのではないかと思いつつ、とりあえず会釈を返した。
その後、シンポジウムが始まり、NPO代表が海外出張中で代わりにH氏が挨拶に立たれ、違う仕事をされているので驚いた。
シンポジウム終了後、急いで私の非礼をお詫びにH氏の許に行った。
私は、この催しものに純粋に知的興味のみで参加している。
このNPOの構成メンバーのことは知らなかったが、このNPOは前回も国立国際美術館と共催でシンポジウムをしているので、それなりの地位のあるエリートの人達が集まっていのだろうと思っていて、地位も財産も学歴(工業高校卒)もなく破産も経験している貧困の独居老人である私にとっては、全く無縁の団体であると思っていた。
だが、現代美術と市民の関係は常々気になっている問題で、よくパーティーの雑談で作家やギャラリストたちとも話もしていた。
そうしたこともあって市民を巻き込んだ催し物には、出来るだけ参加するようにしていて、はっきりした目的を持った催しは、ギャラリーでの作家トークを含め、目的が町おこしへの利用であろうとも、私にとって共感できるし興味もあった。
その意味で、今回のNPOの催しも非常に関心を持っていたが、馴染みの天野画廊の天野氏は事務局を担当されていて、同じく知人の現代美術系ギャラリストも活動に積極的に参加しので、多少馴染みやすい団体と思っていたが、Hさんも中心になって活動しているとは思いもよらなかった。
今回の大規模なシンポジウムは、朝日、毎日、読売、産経のリタイヤした60年代から2000年代までと思われる一世を風靡した美術記者をパネラーとして招き進められた。
会場には、元府立現美センター館長や現大阪府の文化関係の幹部も出席していて、かなりハイレベルのシンポジウムだった。
しかし、議論の方向性は四分五裂し前に進まなかった。
これらに関する、議論の内容や、それに関しての私の考えもあるが、それを書くと非常に長くなるので、時間があれば、近日中に書きたい。
ただ、大きく感じたことは、過去の話を持ち出しても今の時代と環境が違うのでそれほど教訓にはならないかもしれないということや、過去の論客の権威や意見に頼ろうとしても余り意味がないと思った。
そして、当時関西で最も影響を与えていた一人といわれる、元読売新聞の美術記者の安黒正流氏の発言した、現代美術は難しくてよくわからん、という意味の発言は謙遜でなく本音ではないかと思った。
他の元美術記者の方も、それに近い話や、美術記者を始めたときはよくわからないので必死だったといった話をされていた。
この点についても考えてみたいと思う。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより