散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記141225木(賀状作り完了投函 腕時計の誤動作補正)

2014年12月26日 19時16分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =10.6  5.7  64  52 
昨日も朝から年賀状作成に追われた。
結局、文字だらけの自分のことばかり書いている、過去のスタイルから抜け切らない見苦しい年賀状になったが、投函期限をオーバーしているので、そのまま印刷することにした。
ただ、ちょっとした思い付きで、ワードの作図機能を使って、メッセージ欄を加え、そこに手書きの短いメッセージを加えることにした。

文書面は刷り上がり、一昨日には宛名面も刷り上がっているので、そのまま投函可能である。
しかし、ここ何年も、PCのみで賀状を作っていて、メッセージを入れていないので、今年はメッセージ欄を使ってメッセージを入れることにした。
午後になって手書きのメッセージを入れ出したが、ありきたりの1行のメッセージですらなかなか筆が進まない。
その間に一昨日に気付いたことだが、腕時計の時間が数時間ずれていた。
このままでは、外出や日常生活に支障をきたすので、電池切れと思いこみ、夕方から家電量販店に行き腕時計の電池を交換する予定だった。
気掛ける直前に、再度腕時計を見ると、時間だけがずれていて分や秒はあっていた。
そこで、取説を引っ張り出し、機能を調べると、世界時間が表示できるようになっていて、分と秒が正確な値を表示しているので、別の都市の標準時間らしいことが分かった。
衛星電波は受信されているようだ。
そこで取説にしたがって、東京の時間表示に設定すると、正しい時刻を表示するようになった。
これで、梅田まで行く手間が省けた。
腕時計のボタンが袖口に当たって誤動作したのだろう

その後残っていた年賀状のメッセージを一気に書いて夜に、郵便局へ投函しに行った。

夕食後は、7食分の副食を作り始め12時ごろに途中まで作り、中断し片付でから床に就いた。
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昨日記141224水(クリスマスイブ・キリスト教の出会い 年賀状作り 30年前の話)

2014年12月26日 14時07分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・晴 最高/最低℃ 平均/最低% =11.1  2.9  71  54 
昨日25日(木)は意図的に起床時間を遅らしたうえ、集中的に年賀状制作を必死に行い、更に食材の買い出しと副食製造7食分が重なり、腕時計トラブルで時間を取られ、その関係で「村ぶろ」に投稿した「二日酔い対策」が気になりこのブログに投稿したりしため、昨日記141224を書けなくなりましたことをお詫びし、今日それを書きます。

12月24日はクリスマスイブだが、社会人になって以来、この日に何か特別なことが起きたことはない。
両親がいたころでサラリーマン時代は、なんとなくとりあえずクリスマスケーキを購入して持ち帰り、みんなで食べたが、一人暮らしの時はそうしたこともなく、世間が華やかな分、逆に盆正月同様普段は感じたことのない孤独感を感じる。
特にひどかったのは、アメリカにいたときで、ドミトリーに居ても、アメリカ人のみならず、中南米出身者も里帰りし、大学の寮(語学留学生も一緒に入居していた。)はガラガラになり、残るはアジア系留学生のみとなり、学校のカフェテリアも閉まり、多くのレストランも閉まっていて、散々な目に合った。
日本では、TVは盆と年末年始には特集番組ばかりとなるので、私にとってつまらない番組が多く、余計に日常生活では全く感じない孤独を意識する。

だが最近は、孤独を意識する間もなく、年賀状に投函期限にせかされて、その意味で大変な思いをすることが多い。
投函枚数は、ギャラリーをやめてからは激減し、20枚前後に推移しているが、ひどい悪筆のためすべてパソコンに頼ることになった。
ところが、毎回画僧処理とか、ワードやパブリッシャー特有のソフトの使い方やレイアウトで悩まされたり、それ以前の粋な画像がなかったりで毎年、文面も含め12月初めから悩み、24日前後にやけくそで一気に仕上げるのが通常で、非常にセンスも面白味もない出来の悪いものしか作ったことがない。
しかも、宛名面も自分でアクセスとワードを組み合わせ、差し込み印刷しているが、数年前まですんなりと印刷できたことはなかった。

更に今年は、気がかりなことがあった。
PCの基本ソフトをXPから8.1に変更したことによるデータ移動に絡む様々な問題である。
詳細を書くと長くなるので結論から言うと、午前中はアクセスの設計に集中し、元になる名簿が確定し、その後住所の誤りもチェックし、午後からはワードとアクセスを連動させて差し込み印刷ができるよう調整し、何とかクリアできたが、ひやひやした。
技術的にめどがついたので、夕方になって郵便局に年賀状を買いに行った。
年賀状の文面は未完成だったが、とりあえず宛名面の試し刷りもうまくいったので、一気に発送分の宛名刷りを行い成功し、トラブルを覚悟していただけにほっとした。

以前は、年賀状については、出す人や控える人を選択するのに苦労し、お世話になった人には新たに出していたが、画廊をやめてしばらくしてからは、賀状を受け取った人だけに出すようにしたら枚数が激減し、投函数と受け取り数がほぼ一致するようになり、楽になった。
従って、お世話になった人にも賀状が来なければ出さないことにしている。

日中は、ほぼ終日宛名印刷に時間を取られたが、その後すぐに文面にかかろうと思ったが、すぐにいい案も浮かばなかったので、気分転換も兼ねて、クリスマスイブでもあるので久しぶりに教会に行こうと思った。
以前にもクリスマスイブに、カトリック玉造教会聖マリア大聖堂のクリスマスミサに一般で参加したことが何度もあるし、ルーテル教会にも行ったことはある。(ルーテル教会ではバッハの曲が聴ける。)
この大聖堂には大きなパイプオルガンもあり、クリスマスミサの荘厳な雰囲気と敬虔な祈りに接することが出来る。
それにバロック音楽等に出てくるミサ曲等のカトリックの典礼も肌感覚で知ることが出来る。
最近大聖堂が工事していたので、念のためネットで調べると、工事中でミサは小聖堂で行われるとあり、行くことをやめた。

私はクリスチャンではないが、キリスト教との接点は非常に多い。
先ずクラシックの楽曲に、宗教曲が非常に多く、大好きなバッハの曲にも名曲が多い。
中学校の地区の合唱コンクールに参加したときは、グノーのアベマリアを歌っていて、なんとなくキリスト教に親近感を持った。(合唱部は、1年生の時音楽の先生からボーイソプラノとして強制的に入れられた。)
アメリカにいたときの米人ルームメイトEは、ルーテル派の宣教師で、シカゴの教会でも説教をしていたようだ。
また、Eの案内で私の行った英語学校のクラスメイトだったメキシコ人修道僧のいるカトリック修道院に、何度か修道僧を訪ね遊びに行ったことがあり、修道僧の生活を聞いた。
ある時は、若い日本人修道僧がいて、枚方か北摂か忘れたが、沈黙の家という修道院に属しているといっていた。
4-50年前、私は、田葉井製作所の労働組合(現・エスペック 東証1部だが当時町工場だった。)(全金同盟)結成の発起人の一人で書記長も務めたが、その時に祭り上げた組合長は、熱心なクリスチャンで、私が10年間務めた田葉井製作所をやめるときのプレゼントに、組合長からの餞別に英和両方記載の新約聖書をもらった時には驚いた。
本格的に聖書を読んだのは、画廊をやっていたころ、バッハのマタイ受難曲を知ってからだ。
それ以前から聖書の解説書を読んでいたことはあった。
ただ、マタイを聞くには、正確に聖書の内容を知っていなければならないので、新約聖書をすべて読んだ。
また、アメリカにいたときに、イリノイ大学の英語学校でレベル4の認定レポートで選んだのが、マックス・ウエーバーの資本主義とプロテスタントの関係を明らかにした名著の記述と、現実の当時(30年前)の諸国のGDPと宗教の関係と日本の儒教(陽明学 朱子学)の関係を独自に私自身の考えで論じたペーパーをA4で10枚余り書いた。

当時(30年前)米人の元ルームメイトEもシカゴ大学大学院に入学し、南米の貧困層の社会構造と宗教の関係(プロテスタントとカトリック)の研究に取り掛かろうとしていて、その中でマックス・ウエーバーの研究を参考にしようとしていた。
その後、私は彼と、彼の研究フィールドのベネゼラの奥地のアマゾン源流(コロンビア・ベネゼラ・ペルー)の国境地帯に探検旅行ツアーに出かけた。
彼は、最終的にシカゴ大学の博士号を取得し、卒業記念で中国に行き、立ち入り禁止地区の奥地に潜入したといっていた。
その後、画廊をしていた時に、4文字の苗字を持つ中国人高官が来た時に、米人Eの話を聞き、彼にきな臭さを感じた。
Eはその後、一時期パナマの奥地で原住民にルーテル派の宣教活動をしていた。
当時、パナマはノリエガ将軍の独裁政権で、アメリカと対立していたころと思う。
同時に外人の友人、私にとっても友人のLに対しても疑念を持ったことは、過去のブログにいろいろ書いているし、FBでの行動分析をすると、すべてピタリあてはまっている。(例えば、最近ではLの突然のイラク行。その後イスラム国に米人殺害され、その時に救出作戦の失敗がニュースとして大きく伝えられた。)

キリスト教のクリスマスから、意図しない話に飛んでしまった。
その他、画廊時代に来客の方に熱心なクリスチャン(カトリックがプロテスタントか忘れたが社会的地位のある方で、カルトや新興宗教ではない。)がいて、クリスチャンの本質を語ってくれた。
彼らは、聖書の奇跡のみならず、日常に起きる奇跡(神の恵み)を体験し、信徒どうし告白しあっているという。
キリスト教では、カトリックやプロテスタントに係わらず、魂が大きな問題という。
その話に、合理主義者の私は、なかなかついていけなかった。
このようなことを考えると、バッハの曲にしろ、クリスマスにしろ奥が深い。

夜になって、夕食後年賀状の文面作りに没頭し午前1時過ぎまで試行錯誤したが、うまくいかなかったので翌日に持ち越し、床に就いた。


追:今修正を加えようとすると「自動保存された記事データが存在します。」のポップが、情報機関関係に触れる時はよく出るサインだ。
以前反映するをクリックすると、いくつかの部分が消えていたことがある。


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