散歩者goo 

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昨日記141223火(副食作り 参鶏湯パーティー )

2014年12月24日 12時25分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日は、昼から必死に副食の製造をおこなった。
とりあえず、途中まで7食分の副食を作り、その後その中の1食を先行して昼食用に仕上げて、昼食をとった。
昼食を素早く済ませ、すぐに残り6食分の制作に取り掛かり、4時半ごろにやっと完成した。
ほぼ1日おきにやってくる副食作りは面倒なことだが、本来は毎食前に行わなければならない作業であり、もっと言えば、極端に分業化した人類社会に置いて、食事は主婦が作るものという概念が定着し、近現代ではさらに分業化し、食料品生産や食事提供サービス・外食が発展し、多くの人達は自分の食事はお金を払って提供してもらったり、主婦に作ってもらうということが普通の姿だと勘違いするようになった。
私のような貧困の独居老人になると、外食するお金もなく、業者提供の惣菜ですら経済的に負担になるため利用できず、仕方なく手間暇かけて自炊することになって、初めて日々の食事を作る作業の大変さや大切さがわかる。
食事作りは時間と労力がかかり大変なのである。
妻という立場であれば、家族のために家事をするという意識があり、家族の喜びと感謝を代償に喜んで家事をこなす。
しかし独居老人の場合、そうした代償もなく手間と労力がかかるだけで、むなしく感じる。
それでも、こうした作業は命をつなぐために避けられない作業である。

そうであるなら、こうした家事をいやいややるのでなく、家事をすることで体を動かし体力がつき頭の老化予防にもなるという積極的な意味づけをし(事実そうであるが)、更に工業生産の改善の発想を取り入れて、作業やメニューに改良を加え、完成度を高くするといったことに喜びを見つけ、そうしたことを励み(代償)にすることをしないとやっていられない。
現実に副食製造作業に様々な改善を加えることにより、QOL(生活の質)が向上するが、それは徐々に効果を表すので長い目で見つめる忍耐が必要である。
実際、最近になって調理方法を見直し、バッチ式量産体制(グループにし、その中での標準化した流れ作業)にして生産性は随分高くなった。

夕方から天野画廊で行われている参鶏湯パーティーに出かけた。
中之島や御堂筋一帯は、光のルネサンスが開催されていて、多くの人でかなり混雑していた。
画廊前は人通りもなく音も聞こえず、しんとしていて、暗かった。
このパーティーに初めて参加する前の年は、ギャラリーの前を通り過ぎて音一つ聞こえないので、何も開かれていないと思い、そのまま帰った。
その翌年やはり画廊の周辺でうろうろしていると、知人の作家がいて一緒に裏の路地から入り画廊に連れて行ってもらった。
昨日はそのまま開いていた裏の扉から入り、画廊にたどり着いた。
画廊内は、多くの人で盛り上がっていた。
久しぶりに会う人も少しいたが、知らない人は三分の二以上いた。
相手が顔を覚えていて、こちらは忘れていた人もいたりして、恥ずかしい思いもした。
その後も、パラパラと人が入ってきた。

具体美術全員をよく知っているという人と話をすると、どうもいろんなところで事実と違う点が多かったので間違いを指摘した後、更にいろいろ言うので聞き流した後無視し他の方に向いていると、向こうからこちらにやってきて、顔を間近に突き合わせての睨み合いになった。
無論腕力で負ける気はしなかったが、つまらぬことでこの場を乱してもと思い、こちらが折れて何も起こらずに済んだ。
その後、彼はほかの知人と話した後帰った。
彼の知人に話を聞くと、以前はいい作品を作っていた作家(現在の作品は不明)とのことだが、多少酒が入り、調子に乗り誇張した話しをしたり、作家の名前を間違えて話たのだろうと思ったが、こうした話は酔っ払いによくある話だ。
表現に係わる人の中には、自分を実際以上に大きく表現したり、権威づけするためにほらを吹く人を何人も見てきたが、その中の一人なのだろう。
持ち寄りの鍋パーティーなので酒はたくさんあり、酒を酌み交わしながら初対面の人も含めよく顔を合わせる人や、懐かしい人や、美人も含めいろんな人と話でき楽しい時を過ごした。
(改めて、このパーティーを準備開催していただいた天野さんに、お礼と感謝します。)

サラリーマン社会を定年退職したままであれば、その場限りのお金で楽しみを買う旅行会社のパックツアーに参加することはあっても、こうした呑み会に参加することは考えられない。
今月は、忘年会シーズンでもあり、こうした呑み会に何度か参加して楽しい酒を飲ませてもらった。
貧乏はしていても、心豊かな生活を送れる方が、いいのかもしれない。
追記:昨日初めて敬老優待乗車証にチャージし、淀屋橋まで行った。

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