永遠の真理を現わした風景:宇治興聖寺

2007年08月10日 | 歴史教育

 先日、四国の大学の集中講義に行く途中、京都に立ち寄って、この暑い盛りに、道元禅師の最初に建てた禅道場・宇治興聖寺に行ってきました。

 ここでは『正法眼蔵』のすばらしい巻がいくつも書かれています(場所は移転しているそうで、正確にはもう少し離れた場所のようですが、雰囲気は十分わかる気がしました)。

 特に「山水経」の巻の冒頭には、「而今(にこん)の山水(さんすい)は古仏(こぶつ)の道現成(どうげんじょう)なり、ともに法位(ほうい)に住(じゅう)して、究尽(ぐうじん)の功徳(くどく)を成(じょう)ぜり」(今ここの山と川には、永遠なる仏の道・真理・真理の言葉がありありと実現している。どちらも真理の位にあって、尽きることのない功徳を表現している)という名句があって、それは実際にはどういう風景を目の前にして語られたのか、行って自分の目で見てみたいと思っていました。

 宇治川は、そのほとりに有名な平等院もあり、まさに名勝の地でした(残念ながらお天気のせいかあまりいい写真は撮れませんでしたが、参考までに)。












 今回はいささか暑すぎて興聖寺まで20分(?)くらい歩くのもなかなか大変でしたが、薄日でかえってじっとりと暑い中、ペットボトルを片手に水を飲み飲み行ったかいはありました。











 ここは涼しい秋の紅葉の季節にでもぜひもう一度来たい所です。

 『源氏物語』宇治十帖の場所でもあり、興聖寺は紅葉の名所でもあるそうです。

 秋から中級講座で『正法眼蔵』「仏性」の巻を講義しますが、書かれた現場を見てきたことで、いっそう深く味わうことができそうな気がしています。



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明るい日と重い日

2007年06月25日 | 歴史教育

 おとといは、サングラハの関係者で、コスモス・セラピーのインストラクター資格を取得している若者の結婚式でした。

 二人は、長い長いそして誠実な付き合いの末の結婚でした。

 花嫁さんは清楚なマリア・ヴェールがよく似合ってほんとうにきれいでした。

 一番最初のスピーチをさせてもらいましたが、メッセージは「かけがえのない存在になりあうこと」でした。

 それぞれが137億年の歴史を担っていのちを与えられ、出会いを与えられて、繰り返しのきかない有限な人生で、愛を深め、無条件にかけがえのない存在になっていくチャンスを与えられた、というのが結婚ということだと思うのです。

 彼らはきっとそうなってくれる、と信じられるしとても楽しみにできるカップルです。

 親しい若者たちが幸せになっていくのを見させてもらえるのは、前の世代としてとても幸せなことです。

 心からおめでとう!

 二次会では、H大やM大の教え子、サングラハの仲間たちと、楽しく語り合いました。

 いい一日でした。

 かみさんと心から「いい結婚式だったね」と語り合いました。


 昨日は、おとといの結婚式で心は明るくてやや余裕があり、体のほうは少し疲れていたので、久しぶりにほとんど仕事をせず、ビデオに録ったままになっていた『男たちの大和』を見ました。

 小さい頃聞かされた太平洋戦争―大東亜戦争に従軍した方の体験談や、特に原爆映画の体験などが、私の思想的探究の原点になっているので、これは見るとまたとても重いものを感じるだろうと予想していて、なかなか見る気になれなかったのですが、ようやく見たわけです。

 予想どおり、簡単に言葉にすることのできない、重いものを感じました。

 ただ、今一言だけ言うとすると、「指導者が愚かか賢いかが無数の国民の幸不幸を決めてしまう」という思いが改めて強く強く湧いてきたことです。

 若い兵たちの心の美しさと、彼らの心の美しさをもっと生産的に活かすことのできなかった指導者たちの愚かさ……

 美化-理想化しないように気をつけているのですが、それにしても近代スウェーデンの指導者たちの賢さと比較してしまいます。この差はなんだろう?……と。



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誠実さがすべての根本である:十七条憲法第九条

2007年02月27日 | 歴史教育


 「信」は、儒教では5つの基本的徳目、仁・義・礼・智・信の1つです。

 仏教では、心の善の働きの第一にあげられています。

 第九条の「信」は、まず儒教的な意味で語られています。

 群臣・官僚・リーダー同士での誠実さに基づく信頼関係という意味です。

 自ら省みて恥じるところがなく、他に照らしても恥じるところがなく、そして天の声を聴いても間違いないと思われる態度のことを「信・誠実」といいます。

 太子は、あらゆる事にそういう信の態度をもって臨むように、といわれます。


 九に曰く、信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。

 第九条 誠実さは正しい道の根本である。何事にも誠実であるべきである。善も悪も、成功も失敗も、かならず誠実さのあるなしによる。官吏たちがみな誠実であれば、どんなことでも成し遂げられないことはない。官吏たちに誠実さがなければ、万事ことごとく失敗するであろう。


 いうまでもなく、「隠れてやってバレなければ平気だ。隠れてうまくやったものの勝ちだ」という考え方は、信の真っ逆さまです。

 誠実さがなければ、ついそう考えて悪に走る、というのは当たり前のことです。

 しかし、太子は誠実さは善悪だけではなく、事の成否をも決めるのだ、といっておられます。

 誠実でなくても短期間なら人をだまし世をあざむいてうまくやる、つまり個人的に成功することはできます。

 しかし、人も世も中長期だまし通せるほど甘くはないのではないでしょうか。

 誠実でない人は、結局人との持続可能な信頼関係を形成できません。

 他者の持続的な協力なしには、大きな事は成功しません。

 他者の持続可能な協力を得るには、持続可能な信頼関係を確立しなければなりません。

 まして「和の国・日本」の建設というきわめて困難な大事には、リーダー間の深い信頼関係が必須です。

 そのためには、各人に深い誠実の心が必要なのです。

 信=誠実と信頼関係――実はこれは人間同士だけではなく、人間を超えた大いなる何ものか(神仏・天)との関係にも言えることで、仏教的な意味も含まれていると思います――があれば、「何事か成らざらん」、どんな困難なプロジェクトでもきっと成功する。信がなければ、必ず失敗する。

 この「何事か成らざらん」という言葉は、第一条にあった言葉の繰り返しで、つまり十七条のちょうど真ん中・核心にあたる部分で、もう一度強調されているのだ、と理解していいでしょう。

 「和の心、信の心をもって当たれば、どんな困難なことも実現可能である」というのが太子の信念であり、千四百年を経た今でも響いている日本国民へのメッセージなのではないでしょうか。

 そのメッセージを聴き取れるかどうかに日本の将来がかかっている、と私には思えてなりません。



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民のために働き続ける覚悟を:十七条憲法第八条

2007年02月21日 | 歴史教育


 本(『聖徳太子『十七条憲法』を読む』大法輪閣)でも書きましたが、実のところ、この第八条は全十七条の中でもっともうまく読み取れないところでした。

 一読すると、まるで「役職はサービス残業当たり前」という話のように感じられるからです。

 人間を大切にする心を持っておられる太子も、さすがに勤務時間に関しては労働基準法のない時代の意識しかなかったのかな、と。


 八に曰く、群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退(まか)でよ。公事盬(いとま)なし。終日(ひねもす)にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝(まい)るときは急なることに逮(およ)ばず。早く退(まか)るときはかならず事尽くさず。

 第八条 もろもろの官吏たちは、朝早く出仕し夕方遅くに退出せよ。公の仕事には油断する暇はない。一日すべてでも終わらせがたい。だから、朝遅く出仕するならば、緊急のことに間に合わない。早く退出するならば、かならず仕事を成し遂げられなくなるだろう。


 しかし、繰り返し全条を読むうちに、この条は例えば第五条の「それ百姓の訟(うったえ)は、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)るを、いわんや歳を累(かさ)ねてをや。…ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず」や、第六条の「人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。…民に仁なし」、そして直前の第七条の「それ賢哲、官に任ずるとき…官のために人を求む」といった文脈で、菩薩的リーダーへの勧告として読む必要があることに気づきました。

 菩薩の衆生への慈悲、士大夫(したいふ、儒教でいうエリート、士・さむらいの語源の一つ)として民への仁を志とした人間にとっては、生きることは使命を果たすことであって、楽をすることやもうけることや地位を得ることのためにあるのではありません。

 そういう意味で、生きることは働くことなのです(それはもちろん過労死しない程度の最小限の休養も必要ないということではないでしょうが)。

 さまざまな苦しみ・問題を抱えている数え切れない数の民たちのための公・大きな家の仕事には、切りも終わりもありません。

 「終日(ひねもす)」、朝早くから夜遅くまで一日中取り組んでも、まだ時間が足りません。

 まして、朝気の向いた時間にゆったりと出てきたり、気が向かないから夕方早く帰ってのんびりしようなどと思っていたのでは、民たちのための緊急の「事」・事態への対応がどんどん遅れ、手遅れになりかねません。

 可能なかぎり、力の及ぶかぎり働き続ける覚悟がないのなら、リーダーにはならないことです。

 本当のエリートとは、民たちのために働くように選ばれた者なのですから。

 「きみたちがエリートであるということは、勤務時間自由の特権階級ということではない。時間の許すかぎり、力の及ぶかぎり、力尽きるまで、民のために働く覚悟をせよ」というのが太子の言いたかったことなのではないでしょうか。

 この個所は、ふつうの人(凡夫)に対する強制的な就業規則ではない、ということに注意して読む必要がありました。

 これは、菩薩への布施と精進の勧告なのです。

 この条をそう読めた時、「私もどこまでできるわからないけれど、精一杯そうしたい、そうありたい」と熱い思いが湧いてきました。

 まあ、でも、論理療法を学んで以来、「ありたい」と「あらねばならない」とは区別して考えるようになっているので、あくまでも「ありたい」にとどめて、無理はしないつもりですが……。

 でも、有限な人生、自分で自分に納得のいく生き方はしたい、と思うのです。




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賢者による政治:十七条憲法第七条

2007年02月11日 | 歴史教育
 
 第七条は、しばしば「プラトンの哲人国家の理想に似ている」と評されるところです。

 確かに「賢者による人民のための政治」という点では似ています。

 しかし、十七条憲法の「賢哲」は哲学者というよりは「聖」です。

 そして「賢哲」「聖」は第二条との関連でいえば、「菩薩」だと解釈すべきでしょう。

 太子が目指したのは、「菩薩による衆生のための政治」だったのではないでしょうか。


 七に曰く、人おのおの任あり。掌(つかさど)ること、濫(みだ)れざるべし。それ賢哲、官に任ずるときは、頌(ほ)むる声すなわち起こり、姧者(かんじゃ)、官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。世に、生まれながら知る人少なし。よく念(おも)いて聖(せい)となる。事、大少となく、人を得てかならず治まる。時、急緩(きゅうかん)となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(かん)なり。これによりて、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危うからず、故に、古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。

第七条 人にはそれぞれ任務がある。職掌が乱れてはならない。賢者が官に就く時、たちまち賞賛の声が起こり、邪なものが官に就いている時は、災害や混乱がしばしばある。この世には生まれながらにして聡明な人は少ない。よく真理を心にとめることによって聖者になる。事は大小にかかわらず、適任の人を得るとかならず治まるものである。時代が激しくても穏やかでも、賢者がいれば、自然にのびやかで豊かになる。これによって、国家は永久になり、人の群れは危うくなることがない。それゆえに、古代の聖王は、官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けたりはしなかったのである。


 前条で、太子は官僚たちの現状を厳しく叱ったといってもいいのですが、それだけではなく、善は善として誉める・顕彰するという方針も示しています。

 第七条ではさらに、「それにふさわしい人が官職に就いた時は、賞賛の声が起こるのだ。賞賛されたかったら、それにふさわしい人間になる努力をせよ」とプライド・名誉心に訴えて、官僚たちに人格的成長への意欲を湧かせようとしているかのようです。

 人間には天から命が与えられ、そして天命・天職が与えられるものだ、というのは儒教の基本的人間観・職業観です。

 この世に生まれてきた以上、おのおのが人生で果たすべき任務があるのです。

 自分にはどういう任務・職掌が与えられているのか、それを取り違えてはならない、といわれています。

 高い地位すなわち大きな権限を委託される地位には、それにふさわしい賢者が就くべきであり、私利私欲の強い邪まな人間が官職に就くと国家は大きく乱れてしまう。社会的混乱だけではなく天災まで襲ってくるのです。

 とはいっても、生まれつきそれにふさわしい智慧を持っている人はほとんどいません。

 しかし、真理をよく学びいつも心に留めるようすれば、誰でも聖者つまり菩薩になる潜在可能性を持っている、というのは太子が大乗仏教から学んだ人間観です。

 それにふさわしい菩薩的リーダーがいれば、どんなに厳しい歴史的状況にあってもその国は平和でおのずからゆったりと豊かになりうる、国家は持続可能になり、共同体が危機を脱出できる、というのです。

 太子の時代は、隋の拡大政策の影響で朝鮮半島が脅かされ、その影響を受けて高句麗、百済、新羅の間にも紛争が絶えないという厳しい時代でした。

 しかし太子が摂政になって間もなく、2度の新羅出兵が企てられながら太子の近親者の死(偶然ではない?)によって中止されて以降、太子が亡くなるまでは日本は対外戦争を行なっていません。

 近いところでは、第二次世界大戦中、ヨーロッパ全域が戦乱に巻き込まれているという厳しい状況の中、ハンソン首相の指導下でスウェーデンがあえて徹底的な武装中立・平和を保ったことが思い出されます。

 賢明なリーダーの率いる国は、どんなに困難な状況にあってもなお平和で豊かな国を持続できる、愚かなリーダーが率いる国は、天災と人災で大混乱に陥る、というのは歴史が実証しているところでしょう。

 「それゆえに、古代の聖王は、官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けたりはしなかったのである」というのは、トップ・リーダーの人材抜擢の大原則として現代にもそのまま通用するものです。

 そして太子の時代と違って、代議制民主主義の国・日本では、そもそも人材を抜擢する(例えば組閣)トップ・リーダー(総理大臣)を選ぶサブ・リーダー(国会議員)を選ぶのは、一人の聖なる王ではなく、多数の民(国民)です。

 賢者を自分たちの代表として選出できるような、賢い国民が多くいれば、どんなに困難な時代であっても、必ず乗り切れる。多数の国民が賢くなければ、愚かなリーダーが選ばれ、愚かなリーダーに率いられた国は必然的に持続不可能になってしまうでしょう。

 それはあまりにもシビアな「当たり前の話」ですが、これからの日本はどうなるのでしょう、というより、私たち国民は日本をどうしたいのでしょうか。



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勧善懲悪という当たり前のこと :十七条憲法第六条

2007年02月08日 | 歴史教育

 聖徳太子の目指す「和の国」は、第十五条を先取りしていえば、「公(おおやけ)」です。

 「おおやけ」という読みは「大きな家」を意味しています。

 日本を、リーダーとメンバーがそれぞれの果たすべき役割を果たしながら、助け合って穏やかに睦まじく暮らしていける大きな家族のような国にすることが、太子の夢だったといっていいでしょう。

 (これは、戦中・戦後スウェーデン社民党のリーダーだったハンソンの「国家は国民の家でなければならない」という思想とまったくといっていいほど一致しています。)

 最終的には、すべての人が礼あるふるまいができるようになって、強制的な規制なしに自ずから治まる、いわば究極の「自治」を目指していたと考えられます(第四条参照)。

 そこに到るためには、当面は、まず徳のあるリーダーたちが模範・礼を示し、人々がそれをみならって礼を身につけていくという「徳治」でいきたいと思っていたのではないでしょうか。

 しかし、そもそもサブ・リーダーたちからして、無明に覆われ、礼を知らないどころか、争いや貪りの心でいっぱいという現状を見ると、それも難しいので、まずせめてしっかりとした「法」を確立することによって治めること、「法治」を考えざるをえなかったのでしょう。

 第六条には、そうした「法治主義」的な言葉が語られています。


 六に曰く、悪を懲(こ)らし善を勧むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここをもって、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見てはかならず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、国家を覆す利器(りき)なり。人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。また佞(かだ)み媚(こ)ぶる者は、上に対しては好みて下の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)いては上の失(しつ)を誹謗(そし)る。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本(もと)なり。

 第六条 悪を懲らしめ善を勧めるのは、古くからのよいしきたりである。だから、他人の善を隠すことなく、悪を見たらかならず正せ。へつらい欺く者は、国家を覆す鋭利な武器のようなものであり、人民を絶えさせる鋭い刃の剣のようなものである。またおもねり媚びる者は、目上に対しては好んで目下の過失の告げ口をし、目下に向かっては目上の過失を非難する。こういう人間はすべて、君に対しては忠誠心がなく、民に対しては仁徳がない。これは、世の中の大乱の元である。


 ここで、「古くからのよいしきたり」と訳したのは、太子は、中国古典の話だけではなく、日本の稲作共同体の伝統をも思い起こさせようとしているのだと解釈したからです。

 慣習法であれ成文法であれ、法によって治めようとすると、貪りを元に動いている人間は、法の網をかいくぐって私腹を肥やそうと画策します。

 集団のメンバーの中に、悪事についてのかばいあいや逆になすりあいがあっては、せっかくの法も効果が薄れてしまいます。

 集団が健全に機能するためには、「信賞必罰」が必須です。

 ところが、もともと私利私欲が動機で中間管理職的なポストについた豪族・官吏たちは、しばしば自己保身のために上役の不正に加担したり、しないまでも見て見ぬふりをしがちだったのでしょう。

 また同じく自己保身のために、下から突き上げを食らうと、「悪いのは私ではない。上の人間なのだ。私は言われてやっているだけで、しかたないのだ」といった言い訳をしたりしたようです。

 この風景は、いまでもあちこちの組織で見られるありふれた人間模様、凡夫の風景です。

 しかし、中級官僚たちのそうしたふるまいは、国民の大きな家・共同体としての国家を崩壊させ、その結果人民の生活も崩壊させてしまいます。

 そうしたふるまいは、リーダーへの忠誠心がないというだけでなく、そもそも民たち・生きとし生けるものすべてを支え慈しむというサブ・リーダーの本来の役目を忘れた行為です。

 前条に続き、この第六条の「君に忠なく、民に仁なし」という言葉にも、太子の民への思いゆえの臣へのきわめて強い怒りが表現されているように感じます。

 上司と部下の板ばさみの中でついつい自己保身だけを考えがちになる中間管理職的な官吏たちに、「そんなことをしていたのでは、国が大混乱に陥ってしまうではないか。そうしたら苦しむのは多くの民だ。君たちの天から託されている仕事は民を慈しむことではないのか。そのためには、自己保身を図っていないで、上下に関わりなく公正に、善行は勧め表彰し、悪行は告発し罰しなければならないではないか」と厳しく勧告をしています。

 こんなある意味では当たり前のことを憲法に書かなければならなかった太子の思いは、察してあまりあります。

 そして、現代日本社会の中間管理職的な人々の姿を見たとしたら、太子はどう思われ、どう言われるでしょうか。

 ともあれ、太子の勧告は、現代でもまた繰り返さなければならないものだ、と私には思えます。



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リーダーの役割としての公正な裁判:十七条憲法第五条

2007年01月28日 | 歴史教育

 前条で述べられたように、リーダーが手本を示し、メンバーがそれを学んで、内発的な秩序が自然に生まれることが望ましいのですが、人間の集団はなかなかそうはいきません。

 ふつうの人間の集団ではメンバーはほとんど全員凡夫であり、無明から生まれる自己中心性の傾きを多かれ少なかれ持っていますから、どうしてもメンバー同士の争いが起こりがちです。

 しかし、もし集団のメンバー一人一人やその中のサブグループ同士が物理的力で抗争して、その勝敗でものごとが決まるのだとしたら、そこには暴力のバランスしか生まれないでしょう。

 暴力のバランスによる秩序は一時的かつ不安定で、けっして持続せず、何よりもメンバー全体の幸福につながりません。

 ですから、共同体が持続的に安定するためには、メンバーのトラブルを調整・調停し裁く権力を与えられたリーダーが必要なのです。

 リーダーの最大の任務の1つは、共同体のあり方ができるだけメンバー全員にとってよいものになるように調整することです。

 人間社会におけるリーダーとその権力は、もともとそういう共同体の必要によって生み出されたものだと思われます。

 本来、共同体全体の利益になるようメンバーを指導し調整するためにリーダーとその権力があるのであって、リーダーのために共同体があるのではないのです。

 ですから、言うまでもなく、本来、リーダーは私利私欲のためになるものではありません。

 まして、リーダーの行なう調停や裁判が私利私欲のために行なわれるようなことがあってはならないのです。

 争いを裁く上での公正さは、リーダーの最重要の条件の1つです。

 菩薩は「貪り」という根本的な煩悩を超えなければなりませんが、「貪らない心(不貪)」こそ、リーダーの根本的条件なのです。

 供応や賄賂への期待は、言うまでもなく貪り・私利私欲の心から生まれるものであり、菩薩的リーダーのもっとも避けるべきものです。

 しかし、第五条を読むと、〈太子〉の時代の実情は、ほとんど逆で、宴会を好み、賄賂を求める豪族・官僚が多かったことがうかがわれます。


 五に曰く、あじわいのむさぼり(餮)を絶ち、たからのほしみ(欲)を棄てて、明らかに訴訟を弁(さだ)めよ。それ百姓の訟(うったえ)は、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)るを、いわんや歳を累(かさ)ねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりをもうすを聴く。すなわち財あるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。乏しきものの訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず。臣道またここに闕(か)く。

 第五条 〔役人たるものは〕飲み食いの貪りを絶ち、金銭的な欲を捨てて、民の訴訟を明白に裁くように。民の訴えは一日に千件にも及ぶほどである。一日でさえそうであるのに、まして歳を重ねていくとますますである。このごろは、訴えを取り扱う者が私的利益を得るのが通常となってしまい、賄賂を取ってから言い分を聞いている。そのため、財産のある者の訴えは、石を水に投げ入れるよう(に通るの)である。貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるよう(に聴き入れられないの)である。こういうわけで、貧しい者は、どうしていいかわからなくなる。こうしたことでは、また君に仕える官吏としての道が欠けるのである。


 成文法がなく慣習法だけだと、力があってしかも公正さを欠く権力者の勝手気ままに曲げられる危険があります。

 この時代、民の訴えも、族長への付け届けの高で、受け付けてもらえるかどうかが決まってしまうという実態があったのだと推測されます。

 氏族が次第により規模の大きな国家へとまとまりつつあり、訴訟の件数も激増していたでしょう。

 こうした時に社会の平和が維持されるには、公正で迅速な裁判が不可欠です。

 ところが、「このごろは、訴えを取り扱う者が私的利益を得るのが通常となってしまい、賄賂を取ってから言い分を聞いている」という状態だったようです。

 「そのため、財産のある者の訴えは、石を水に投げ入れるよう(に通るの)である。貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるよう(に聴き入れられないの)である」という比喩は状況を巧みに表現していて、臨場感があります。

 太子が、民と豪族たちの関係の現状をよく知っていたことの現われでしょう。

 「ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず」という言葉には太子の民への深い思いやりが感じられ、「臣道またここに闕く」という豪族・リーダーたちへの厳しい忠告には、深い嘆きと怒りが感じられます。

 私たちの国は、いまだに利権のために政治家や官僚になり、賄賂によって公正でない公的決定が行なわれることが頻繁にあるという状態にあるようです。

 そういう意味で、幸か不幸か、『十七条憲法』は「済んだ過去の話」ではなく、依然として未来に向かう理想・到達目標としての意味をまったく失っていない、と思うのです。


*中途になっていた『十七条憲法』の授業、ようやく再開です。1~4条までの記事がだいぶ前になってしまいましたので、読者のみなさんの読みやすさを考え、少しだけ修正したうえで、近い日付に移動しました。更新記録をごまかそうという意図はありませんので、ご了承下さい。


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リーダーが模範を示す:十七条憲法第四条

2007年01月25日 | 歴史教育

 第一条から第三条までで、日本の目指すべき理想「和」が宣言され、それを妨げる無明の心と党派心が指摘され、その曲がった心を正すには仏教が必要であることが示され、民とすべての生き物を庇護し支えることこそリーダーの使命であると語られ、憲法のもっとも重要なポイントが語られていました。

 第四条は、それを実現する上でのリーダーのあり方について語っています。要するに「模範を示す」という、ある意味では当たり前の話です。

 人間は、生まれつきいい(適応的で倫理的で幸福になれる)生き方ができるような本々の能力(つまり「本能」)をもっておらず、教えられてはじめていい生き方を身につけることができる生き物です。

 すでにいい生き方ができている人に模範・手本を示してもらってその真似をする――「学ぶ」は語源的に「真似ぶ」から来ていることはご存知のとおりです――ことによって、ちゃんとよく生きていけるようになるのです。

 そういう人間の本質からして、大人・リーダーの責任は重大です。第四条は、そういうリーダーの模範を示す責任について語っています。


四に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民を治むる本は、かならず礼にあり。上、礼なきときは、下、斉(ととのお)らず。下、礼なきときは、かならず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは、位次乱れず。百姓(ひゃくせい)礼あるときは、国家おのずから治まる。

第四条 もろもろの貴族・官吏は、礼法を根本とせよ。そもそも民を治める根本は礼法にあるからである。上に礼法がなければ、下も秩序が調わない。下に礼法がなければ、かならず犯罪が起こる。こういうわけで、もろもろの官吏に礼法がある時は、社会秩序は乱れない。もろもろの民に礼法がある時は、国家はおのずから治まるのである。


 集団の重要な地位にある人は、法を守ることは当然ですが、まずそれに先立つモラルやエチケットつまり「礼法」を守って、人間としてのいい生き方の模範を示す責任がある、というのです。

 人々を治める――これはもちろん支配・搾取・抑圧するという意味ではなく、穏やかに秩序を保って平和に幸福に暮らせるようにするという意味です――には、根本的に生き方の模範を示すことが必要なのです。

 上に立つ人が、エチケット、モラル、さらには法にまで違反するようでは、下の人々がちゃんとするはずがありません。

 上に立つ人のモラルが乱れていれば、下々は犯罪さえ犯すようになるのです。

 しかし上に立つ人が、法律遵守することは当然、それ以上に品格のある行動をして模範を示せば、人々も「ちゃんとした人間はああいうふうに生きるものなのだ」と、それに倣って秩序を守るようになる、というのです。

 そして人々がエチケットやモラルをちゃんと守るようになれば、まして法律を犯すようなことはなく、強制しなくても自然に国が平和になっていくのだ、と太子は言っています。

 まさにそのとおり、話としては当たり前の話ではないでしょうか。

 しかし、毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。

 これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。

 一日も早く、第四条の当たり前の話・理念が、同時に当たり前の事・現実であるような国になってほしいものです、いや、したいものです、ぜひそうしましょう。

 そう思われませんか。



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本当の日本のリーダーとは:十七条憲法第三条

2007年01月24日 | 歴史教育

 「十七条憲法」の第三条は、戦前もっとも誤読・誤用されたところです。

 しかし、第一条から続いている文章の流れ〈コンテクスト)で、しかもこの条文全体を素直に読んでみてください。


 三に曰く、詔(みことのり)を承(うけたまわ)りてはかならず謹(つつし)め。君(くん)をば天とす。臣(しん)をば地とす。天は覆(おお)い、地は載(の)す。四時(しいじ)順(したが)い行ないて、万気(ばんき)通うことを得。地、天を覆わんとするときは、壊るることを致さん。ここをもって、君言(のたま)うときは臣承る。上行なうときは下靡(なび)く。故に詔を承りてはかならず慎(つつし)め。謹(つつし)まずば、おのずから敗れん。

 第三条 詔を受けたならば、かならず謹んで受けよ。君は天のようであり、臣民は地のようである。天は〔民を〕覆い、地は〔民を〕載せるものである。四季が順調に移り行くことによって、万物の生気が通じることができる。地が天を覆うようなことをする時は、破壊に到るのである。こういうわけで、君が命じたなら臣民は承る。上が行なう時には下はそれに従うのである。それゆえ、詔を受けたならばかならず謹んで受けよ。謹んで受けなければ、おのずから事は失敗するだろう。


 戦前、この条は要するに「天皇陛下の命令には絶対服従せよ」という意味に読まれ、それが聖徳太子の教えだと説かれました。しかし、そうでしょうか。

 確かに最初に「詔を受けたならば、かならず謹んで受けよ」と言われてはいます。

 しかし、そこだけを読まず、前と後を続けて読んでいくと、「何であれ詔ならばいつも無条件・無批判に盲従せよ」ということではないようです。

 それは特に、この後にちゃんと、「なぜ、どういう詔を謹んで受けなければならないのか」説明されているからです。

 「君すなわち天皇すなわちトップ・リーダーの役割は天の命を受けて天の代理として民およびすべての生きとし生けるものを覆う・庇護することにあり、臣すなわち高級官僚すなわちサブ・リーダーの役割は大地のように民およびすべての生きとし生けるものを載せる・支援する・支えることにある」と言われています。

 トップ・リーダーとサブ・リーダーが協力しあって本質的なリーダーとしての役割を果たすならば、四季は順調に巡り――つまり異常気象になったりすることなく――万物のいのちの気が活き活きと通うことができる、というのです。

 ここで太子が言いたいのは、トップ・リーダーがその役目を果たすかぎりにおいて(つまり条件付きで)、サブ・リーダーはその命令を天の命令のように謹んで受けなければならない、ということではないでしょうか。

 太子は、いうまでもなく儒教の「天命」「天子」という思想を踏まえて語っています。

 そしてここでは言及していませんが、もちろん、天子が天命にそむいた場合は、天命が変革される、つまり「革命」がありうるのだという考えも知っていたはずです。

 それを知った上で、自らを「日出る処の天子」と名乗ったにちがいありません。

 天子は、天に代わって人と人の間に平和と幸福を、人間と自然の間に調和と安定をもたらすことが役割なのです。

 太子の視野には、人間だけでなく、自然と人間の関係も入っていることが、第三条からはっきりと読み取れる、と私は思います(これは従来あまりちゃんと読み取られていなかったのではないでしょうか)。

 そうした天命である「和」を実現するためのリーダーとしての君・天皇には、臣・官僚たちは真心から従うように、というのがこの個所で語られていることです。

 ところが、サブ・リーダーが、自らの私利私欲のために権力を獲得したくてトップ・リーダーの座を狙うのは、地が天を覆おうとするようなもので、天地自然の理に反しており、それでは集団が大混乱し破壊に到ってしまうではないか、と(ここには、蘇我馬子への痛烈な警告が隠されていると思われます)。

 今、天皇(およびその代理・摂政として太子)が天命を受けて真心から「和の国日本」を創造しようとして詔(特に第一条)を発している以上、それには誠心誠意従ってほしい、という命令・呼びかけです。

 そうしないと、すべての人、すべての生き物を幸せにしようという、この大きな国家プロジェクトは失敗してしまうだろう(そうなってしまえば、結局、誰も幸福にはなれないのだ)、というのです。


 これは、現代にもそのまま通用するリーダーの本質論ではないかと思います。

 努力した(その結果勝った強い)人(だけ)が経済的に報われるような経済成長だけを目指すリーダーは、聖徳太子の国のリーダーとしてはまったく失格だ、とあえて言わざるをえません。

 今、日本では、例えば国民健康保険料が払えなくて(払わなくて、ではありません)、病気になっても医者にかかれない人が急増しています。

 8年連続で、今年も自殺者が3万人を超したそうです。

 ここで私が挙げるまでもなく、こうした問題は山積しています。

 現状を見れば日本は、「緑の福祉国家」どころか急激に「福祉国家」からもはるかに遠ざかりつつあります。

 日本をこんな国のままにしておいていいのでしょうか。

 日本の原点・「十七条憲法」の心をしっかり自分の志にした、本当の「日本のリーダー」の登場が待ち望まれます。



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曲がった心を正す方法:十七条憲法第二条

2007年01月23日 | 歴史教育

 「十七条憲法」の第二条は、いわば仏教の国教化宣言です。

 ここには、なぜ太子が仏教を国教とするのか、きわめて明快な理由が示されています。

 人間の心は無明によって曲がってしまっている。そのために憎みあい、争いあい、自然の循環を乱してしまう。

 しかし、本来どうすることもできないほどの悪人はいない。すべての人には「仏性(ぶっしょう)」が具わっている。

 仏が存在し、その真理の教え、つまり縁起の理法、すべてはつながって1つだという教えがあり、それを体得した集団・僧伽があって、その真理を人々に教えるならば、人々は教化され真理に従うことができるようになる、というのです。

 そうなれば、平和と調和に満ちた国、日本を創出することは不可能ではないのです。


 二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは、仏(ぶつ)と法と僧となり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、甚だ悪しきものなし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

 第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、仏と、その真理の教えと、それに従う人々=僧である。それは四種類すべての生き物の最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人が、この真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば〔真理に〕従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって曲がった心や行ないを正すことができようか。


 しかも、太子は、すべてはつながって1つ、縁起の理法は人間だけでなくすべての生き物のいのちの根拠でもあり、すべての国が到達すべき普遍的な事実であることをしっかりと認識しておられます。

 「いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん」というのは、太子がただ仏教を頭から信じ込んでいたのではなく、それがあらゆる時代、あらゆる人に通用する普遍的真理であることをつかんでおられたことを示しています。

 かつての教条的な左翼の先入見――私ももっていました――と異なり、太子は、自分は理解したり本気で信じたりしてもいないのに、「民衆の阿片」、つまり人々をだまして服従させるためのイデオロギー(虚偽意識)として、仏教を導入-利用したのではないようです。

 自ら、深く理解して、その普遍性・妥当性に信頼を置かれたので、和の国日本を創るために指導者から始まってすべての国民の心を浄化する有効な方法として導入されたのだ、と思われます。

 しかも、仏教を排他的に採用したのではなく、仏教に不足している倫理的な教えの部分については儒教を併用し、従来の神道も十分に尊重しています。

 「神仏儒習合」という日本の心の基礎は、太子が作られたものだといっていいでしょう。

 ところで、歴史学的には、聖徳太子の3つの経典への注釈書『三経義疏(さんきょうぎしょ)』はすべて後代のものであるという説が強く、それどころか太子の存在そのものさえ疑う説もありますが、「十七条憲法」と『三経義疏』をちゃんと読むとそこには一貫した思想があり、同じ人の書いたものと考える方が自然なくらいです。

 この一貫した思想をもっていたのは、誰なのでしょうか? 実証史学では、そういうことは問題にされていないようです。

 しかし、私はそうした問題に深入りする気はありませんし、論争をする気もありません。

 そうではなく、かつて古代の日本にはこんなにすぐれた国家理想があった、その理想を掲げたすばらしい国家指導者がいた、という日本の〈物語〉の意味を読み取りたいと思っているのです。




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開花の支度

2006年12月05日 | 歴史教育




 今日の大学の授業は、「十七条憲法」第四条から第八条まででした。

 帰り道、葉が散って疎らになった木立ちを見上げていて、ふと気づきました。

 コブシの枝先には、もう銀色の柔毛に包まれた蕾があるのです。

 冬の初めに春の開花の支度をしっかりと始めています。

 まだかなり先のことなのに、植物のいのちの営みはなんと確かなのだろう、と感心しました。



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日本の精神性の原点

2006年11月29日 | 歴史教育

 教えているどの大学・学部でも唯識の話が終わりました。

 レポートの提出が始まっていますが、今年も唯識をしっかりと理解した学生がたくさんいるようで、とても喜んでいます。

 私は、授業でよく言うのですが、「山の高さはどこで測るんだろう? 麓か中腹か頂上か? 決まってるよね」と。

 「山の高さは頂上で測るんだよね。で、その場合、山の頂上が広いかどうか、あるいは山の裾野が広いかどうかというふうなことは、山の高さを測る上で参考にされるんだろうか?」

 「もちろん、されない」と。

 「文化の高さもそれと同じなんじゃないかな? しかも広さはそれほど問題じゃない。要するに頂上が高いかどうか、が問題なんだ、と僕は思うんだけどね」

 「ところが、明治以来、日本人は西洋近代の文化の高いところと、日本の近代化されていない一般の部分を比べて、日本は程度が低い、劣っている、遅れていると感じてきたというところがあるんじゃないだろうか?」

 「歴史的にはやむをえない事情もあるんだけど、しかしそれは正当な比較の仕方じゃないよね」

 「比べるなら、高いところと高いところ、頂上と頂上を比べるのがフェアな比べ方だと思うんです」

 「そして、例えば唯識という高み・深みと、エックハルトでもフロイドでもユングでもアドラーでもいいけど、そういう西洋の心に関する洞察の高み・深みを比べたら、東洋-日本はまったく見劣りがしない、どころか、ある面でははるかに高い・深いと正当に主張することができる、と僕は思うんだよね」

 「君たちは、日本の戦後教育の基本方針のために、そういう日本の高み・深みを教えられないままに育ってきて、欧米に劣等感をもってきたわけだけど、これでもう劣等感をもつ必要はなくなったわけだよね。もっとも、比較して優劣を競うというのは、しばしばあまりにも不毛だから、優越感をもつ必要もないんだけどね」

 「そして、授業はこれで終わりじゃないんだよ。これから、日本の精神的伝統のもう1つの高み・高峰、聖徳太子の話をするからね」と前置きをして、昨日、火曜日から聖徳太子「十七条憲法」の話を始めています。

 ご存知だと思いますが、明治憲法でも現行憲法でもなく、聖徳太子「十七条憲法」こそ、日本最初の憲法です。

 そこには、日本という国が国のかたちを創り始めたその時に高々と掲げた国家理想、「和」の精神が謳い上げられています。

 「和」とは、人間と人間の平和、人間と自然との調和、2つの意味が含まれています。

 604年に公布されたものですから、なんと1400年以上前に、日本はいわば「緑の福祉国家」の理想を掲げていたわけです。

 私たちは、一方ではその始まりの古さを誇りにしていいと思いますし、もう一方ではその実現の遅さを恥じるべきではないかとも思います。

 いずれにせよ、私たちには帰るべき、帰るに値する原点があるということは、とても幸いなことだ、と私は思っています。

 教育基本法も憲法も、この原点に立ち帰ったところからこそ本当に改正する――正しく改める――ことができるのだと思います。

 大変失礼ながら、そして残念ながら、与党も野党も、原点を忘れたところで議論しているように見えてしかたありません。

 これまた我田引水ですが、拙著『聖徳太子『十七条憲法』を読む』(大法輪閣)を読んでくださっている国会議員は、私の知るかぎり1名。とても共鳴してくださっているらしいのは、うれしいような、悲しいような……。

 なんとか、教えている数百人の学生だけでなく、国の責任あるリーダーのみなさん、そして国民のみなさん全員に原点に立ち帰っていただきたいものだと願わずにはおれません。



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山陰の旅

2006年11月15日 | 歴史教育

 一昨日から山陰に来ています。

 仕事は、天台宗の布教師会の研修会での講演です。

 コスモス・セラピーのイントロ、「つながりの心を育む」という話をしてきました。

 みなさん、とても熱心に聞いて下さったようです。

 これでまた、コスモス・メッセージ=生きる意味を伝えて下さる方が増えるでしょう。

 「みなさんは、希望の法師です」というダジャレは全然通じませんでしたが。

 その後、1泊のばして、出雲大社と松江に来ました。

 一度来てみたかった小泉八雲の旧居は、武家屋敷としてはつつましい、ほとんど茶室のような簡素なたたずまい、3方を瀟洒な庭に囲まれて、実に好ましい感じの家で、これだけでも来てよかったと思いました。












 こんなところで、原稿が書けたらいいだろうな、という思いが切実でした。


 やはり、古い日本には美しいものがあったのですね。



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宗教同士なのになぜ戦争をするのか?

2006年10月26日 | 歴史教育

 「宗教は愛とか慈悲ということを教えているはずなのに、どうして宗教同士で戦争をするんでしょう?」

 宗教についての授業や講演をしていると、非常にしばしば出される質問です。

 先日の授業の後、学生に書いてもらった授業への感想・質問の文章にも、おなじような質問がありました。

 思わず、「テキストの24ページ以下の『〈宗教〉には未来はない』のところを読んで下さい。テキストは買ってありますか?」とコメントを書きたくなって、今年は『コスモロジーの創造』(法蔵館)をテキストにしていなかったことを思い出しました。

 なので、ポイントを引用しておくことにします。

 「まず明確にしておくと、未来がないという〈宗教〉とは、みずからの派の教祖―教師、教義、教団、儀式、修行法などの絶対視、つまり言葉の悪い意味での『信仰』と『服従』を不可欠の条件として、人を富や癒しや調和、生きがい、安心、あるいは救い、死後の幸福な生命、悟り……といった肯定的な状態へ導く(と自称する)システムとグループを指す。

 これには……私の知りえたかぎりでの大多数の既成宗教、新宗教、新新宗教が含まれる(「すべて」ではない)。……そしてこれには、一見非宗教的であっても、自己絶対視の体質を抜けられない〈イデオロギー〉をも含めるべきだろう。」

 「何を根拠にしようと、自己絶対視は、かならず人を敵と味方に分断する。敵を生みだす思想は、かならず敵意を生み出す。  自己を絶対とみなしている宗教やイデオロギーにとって、自己の味方でない他者は、せいぜい布教し、改心させる(時には洗脳する)対象ではあっても、そのままで認めうる存在ではない。そして、いくら布教しても信じない他者は、哀れむべき存在であり、それにとどまらず、布教に反対する者は憎むべき呪われた存在とみなされることになる。

 事と次第では、神(人類、人民、民族、国家、正義、真理……などに置き換えてもおなじことだが)に反する者は、神に呪われたものであり、したがって神に代わって我々が殺してもよい、という結論にまで到る。

 建て前上、「布教・説得はしても強制はしない」などと寛容な構えを見せても、自己絶対視は心情としていやおうなしに敵意、すなわち憎悪・殺意を含んでしまう。だから、寛容でありうるのは、集団がまだきわめて小さいか、あるいは逆にかなり大きくなって余裕がある時のことであって、余裕がなくなると、とたんに敵意を剥き出しにする。

 しかも行き詰まると、「敵」は、外だけでなく内にもいるように見えてくる(「うまくいかないのはあいつのせいだ」などと)。したがって、憎悪・殺意は、ほとんど必然的に、外だけでなく内にも向かう。」

 「その点について、『キリスト教の本質』(上下、船山信一訳、岩波文庫)などにおけるフォイエルバッハの宗教批判の言葉は、古典的でいまさらのようだが、依然として日本の市民――特に七〇年代以後の若い世代――の大多数の常識にはなっていない、どころかほとんど知られてもいないらしいから、改めて引用しておきたい。……

  ……信仰そのものの本性はいたるところで同一である。信仰はあらゆる祝福とあらゆる善とを自分と自分の神へと集める。……信仰はまたあらゆるのろいとあらゆる不都合とあらゆる害悪とを不信仰へ投げつける。信仰をもった人は祝福され神の気に入り永遠の浄福に参与する。信仰をもたない人はのろわれ神に放逐され人間に非難されている。なぜかといえば神が非難するものを人間は認めたりゆるしたりしてはならないからである。そんなことをしたら神の判断を非難することになろう。(邦訳下、122頁)

  ……信仰は本質的に党派的である。……賛成しないものは……反対するものである。信仰はただ敵または友を知っているだけであってなんら非党派性を知らない。信仰はもっぱら自己自身に心をうばわれている。信仰は本質的に不寛容である。(同、126~127頁)

 右であれ左であれ、人間に平和と幸福をもたらすと自称した思想が、なぜ憎悪と悲劇を生み出してきたのか。それは、絶対視された物差しによって、天国・ユートピアに入る資格のある者とない者の心情的な絶対的分離=敵意をもたらすからである。自己を絶対視する思想としての〈宗教〉には、原理的にいって、人類規模の平和をもたらす力はない。そういう意味で、未来はないのである。

 もちろん、悲しいことながら、ここ当分人類は争い続けるだろうし、争い続けながらも生き延びている間は、建て前として平和を叫びながら実際には平和をもたらせない〈宗教〉も生き延びるだろうし、そういう意味でなら、まだしばらく宗教に未来はある(それどころか、現象的には、一時、宗教紛争、宗教戦争の元になるような宗教の勢力はかえって増大するかもしれない)。

 しかし、繰り返すが、人類規模の平和な未来の実現ということからいえば、もはや宗教に有効・妥当性はない、と思う。」

 〈コスモロジー〉というキータームを使って、言い換えてみましょう。

 他の生物のように生まれつきの本能によって外界を知覚するのではなく、言葉によって外界を認識するようになった人間という生き物は、外界=世界についての言葉のまとまり、つまりコスモロジーなしには生きられません。

 過去の人類が生み出してきた呪術的・神話的宗教は、特定の人間集団が生き延びるためのコスモロジーでした。

 同じ呪術・神話を信じることによって、集団の合意が形成され、共通の目標に向かって協力することができたのです。

 当然、信じる者は集団のメンバーであり、信じない者は集団のメンバーではないのです。

 コスモロジーは、合意を形成し共通の目標に向かって協力することで集団が生き延びるためのものですから、これを信じるか信じないかは集団にとっては死活問題でした。

 まだ信じていないよそ者は怪しく感じられ、教えても信じようとしないよそ者は敵と見なされます。

 特定の集団にとっては合意-協力、つまり愛し合う根拠であるコスモロジー=宗教は、他の集団に対しては無視し、敵意を抱き、敵対する根拠にもなりうる潜在的可能性をいつも持っていますし、状況次第ではいつでも実際に現実化してきました。

 宗教の説く「愛」は、仲間に対してのみ有効で、外部に対しては敵意を生み出しかねないものだったのです。

 それは、とても残念ながら、「あなたの敵を愛しなさい」と教祖が語っているはずのキリスト教でも、歴史的実態としてはかなりの程度、そうでした(です)。

 そういうわけで私は、「宗教同士なのに、どうして戦争するんですか?」という問いに対しては、「宗教同士だから、戦争するんです」と答えることにしています。

 ただし、それは呪術的・神話的宗教のことで、理性・哲学的宗教や霊性的宗教は、つながりコスモロジーという点で現代科学のコスモロジーとも調和し、人間同士の永続する平和を実現するための合意ラインになりうる、というのが私の考えです。

 詳しいことは、よかったら、このブログの過去の記事や、テキスト……に今年は指定しなかった『コスモロジーの創造』を読んでみてください。



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黒岩重吾の小説:天風の彩王 藤原不比等

2006年10月06日 | 歴史教育
 大学の後期の授業では、ゴータマ・ブッダから大乗仏教そして唯識と、仏教の話をします。

 少し前に「無自性(むじしょう)」という言葉の説明をしました。

 「自性」とは、「それ自体の変わることのない本性」というふうな意味です。

 私たちは、私自身の変わることのない本性というのがあると思い込んでいるけれど、よく考えて見るとそれは変わるんですよ、という話をします。

 例えば、私は私を好きな人にとっては「いい人」という性質があるように見える。ところが私をきらいな人にとっては「いやなヤツ」という性質があると見える。

 私の性質は「いい」のか「いやな」のか、その人と私の関係性(縁起)によって変わって見えるのです。

 また、最初は「いい人」と思っていたのが、付き合っているうちに「いやなヤツ」に思えてきたり、その逆もあったりで、時間性でも変化します(無常)。

 他人にとってだけではなく、その時の気分で、自分自身でも自分の性質は「すばらしい」と思えたり、「だめ」に思えたりします。

 そして、だめであっても努力しているとかなりよくなったり、すごくすばらしくなったりもすることができます。変化つまり成長するんですね。

 それはともかく、最近、ちょっとスウェーデン漬けで脳味噌までスウェーデン臭くなりそうなので、電車の中での読み物はちょっと味を変えて、黒岩重吾『天風の彩王 藤原不比等』(上下、講談社文庫)を読みました。

 私が、黒岩重吾のものを読むと言ったら、意外そうな顔をする方がいます。

 何しろ黒岩作品の基本テーマは権力欲や財産欲や性欲でドロドロしているのが人間だということのようですから、「爽やかに生きたい」をモットーとしている私には合わないと思っていただけるようです。

 これは、ちょっと善意の誤解というところもありますが、実のところ私も黒岩のテーマが特に好きなわけではないので、現代ものはほとんど読んだことがありません。

 そういうテーマで読むのならドストエフスキーです。

 しかし、確かに人間にはそういうところも強くあると思うことと、古代史の小説が他にはあまりないので、日本精神史を考えるうえで古代のイメージを描く1つの手がかりとして読んでいるわけです。

 『天風の彩王』を読み終わってみて、私の不比等のイメージと黒岩のイメージはまるでといっていいくらい違うなあ、と思いました。

 それは、天智天皇、天武天皇などなどについてもすべて同じです(聖徳太子だけはいくらか近いところもありましたが)。

 そして仏教、とりわけ唯識を学んでいるので、どちらかが絶対に正しいとは考えません。

 すべてのものは「無自性」なので、「唯識(ただ心のあり方しだい)」でまるで違って見えたりするのが当たり前だと思うのです。

 『日本書紀』や『続日本紀』などを読む場合も、私はそこに古代のリーダーたちの理想を読み取ることができるのではないかと思って読むので、理想が読めてきます。

 しかし、「人間なんてそんなものじゃない。理想なんてウソだ。本心は権力欲や財産欲や性欲ばっかりなんだ」と思って読むと、そうも読めるのです。

 私は、どちらが正しいかということより――それは絶対的には決定できないと思いますし――どちらが自分(たち)が生きるのに勇気づけになるかということのほうを大切にしたいと思っています。

 しかし、とはいえ、黒岩の古代史作品は今まで読んだものはすべてそれなりに面白く読めました。

 ぜひにとは言いませんが、多かれ少なかれ権力欲、財産欲、性欲について身に覚えのある男性諸君には、娯楽として読む分にはけっこうおもしろいですよ、と言っておきます。

 これが終わったので、次はまたスウェーデンものになりそうです。



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