『コスモロジーの心理学――コスモス・セラピーの思想と実践』(青土社)が出ましたので、その元になった記事は徐々に削除していく予定ですが、新年にあたり基本を新たに心にとめるという意味と削除以後のネット読者のために、コスモロジーの要点――二〇一〇年一〇月八日第三〇回全国筋ジストロフィー東京浅草大会講演です――を掲載しておくことにしました。
私たちは、もっとも広いスケールでいうと宇宙の中で生きています。
生きているということは、何年か前に誕生したということですが、一三七億年前に宇宙もまた誕生した、と現代科学の標準的仮説では言われています。
今日は、一三七億年前に誕生した宇宙の中で私たちが十数年から数十年前に誕生して今生きていることの意味を、一三七億年を一年三六五日に縮尺した「宇宙カレンダー」を参照しながら考えてみたいと思います。
常識からは想像しにくいことですが、誕生直後の宇宙は一〇のマイナス三二乗センチメートルに凝縮した一つのエネルギーの玉だった、とされています。
この一つのエネルギーが爆発的に拡大しはじめ、その拡大のし方にゆらぎ・ムラがあったためにできたのが現在の多様なものが存在する宇宙だと言われています。「ビッグバン理論」です。
そして、ビッグバン理論が正しいとすると、最初に一つだったものはどんなに拡大しても一つですから、宇宙のすべてのものは今でもエネルギー・レベルで見ればすべて一つ、ということになります。
さて、一三七億年前に宇宙が誕生しなかったら、私も誕生していなかった、と思いますが、どうでしょう? 気づいてみると、宇宙の誕生は私の誕生の前提条件・大前提・最大の初期条件なのです。
そして宇宙が誕生して一〇~三〇万年くらい経ったら水素原子が誕生していますが、私たちの体の六〇~七〇%が水分であり、水は水素原子2個と酸素原子1個が結合したものですから、水素が誕生しなかったら、人間は生きていられない、私は誕生していないと思われます。水素について考えただけでも、私のいのちには一三七億年宇宙の歴史が詰まっていると言えるのです。
五月十三日(一〇〇億年前)頃に私たちのいるこの天の川銀河が誕生したらしいのですが、天の川銀河が誕生しなくても、私は誕生したということはありうるでしょうか?
八月三十一日(四六億年前)には、原始太陽から地球などの惑星が分離して太陽系が誕生し、地球が誕生しています。
否定的な言い方から肯定的な言い方に変えましょう。四六億年前に地球が誕生したので、四六億年後に私が誕生することができたわけです。
九月十六、七日(三八~四〇億年前)、地球の海の中で一匹の単細胞の生物というかたちで生命が誕生したと言われています。
そしてさまざまな種の生命の遺伝子・DNAの研究によって、すべての生命はそのたった一匹の単細胞生物から枝分かれして進化したことが明らかになっています。
すべての生命のご先祖さまである一匹の単細胞生物が誕生してくれたので、四〇億年くらいたったら私が誕生することができたということになります。
これらは、ずいぶん遠い昔の話で「私に何の関係があるのか?」と感じるかもしれませんが、よく考えてみると、すべて私の生命の誕生につながっている・関わっていることです。
宇宙が誕生し、天の川銀河が誕生し、太陽系が誕生し、地球が誕生し、生命が誕生したから、私が誕生することができたのです。
ですから、遡って考えれば、それらは、すべて私の誕生の準備だった、と解釈することができる、そう解釈するほかないのではないでしょうか。
時間が短いので途中を割愛するしかありませんが、十二月五日(一〇億年前)、たくさんの細胞がつながりあい助け合って一つの生命体になっている多細胞生物が誕生します。
この多細胞生物も、実は私たちのご先祖さまで、私たち人間はいまやご先祖さまよりずっと複雑になっていて、六〇兆くらいの細胞がつながりあい助け合っている生命体です。
十二月十五日(先カンブリア紀、六億年前)の蠕虫も私たちのご先祖さまで、私たちは神経組織とそれによる感覚能力という進化の遺産を受け継いでいます。
考えてみると、多細胞生物や蠕虫が誕生したから、私が誕生することができたのですね。
十二月十八日(オルドビス紀、五億一千万年前)、最初の脊椎動物=魚類が誕生していますが、魚も私たちの先祖で、神経管と知覚(特に目・鼻)という遺産を受け継いでいます。
十二月十九日(シルル紀、四億三千九百万年前)には、植物の陸地移住が始まり、二十日(デヴォン紀、四億八百万年前)頃には、それを追いかけて動物(昆虫)が陸地移動します。
十二月二十一日(デヴォン紀、約四億年前)、それらを追いかけて魚類が両生類に変身して上陸します。そこで本格的な耳が誕生したようです。
十二月二十二日(石炭紀、三億六千二百万年前)には爬虫類が誕生し、私たちの脳で言えば脳幹にあたる食欲、性欲、闘争、逃走の本能の中枢が誕生します。
二十五日(三畳紀、二億四千五百万年前)、恐竜と哺乳類が誕生しています。私たちは、哺乳類から感情の中枢である大脳辺縁系を受け継いでいます。
二十九日(新生代第三紀、六千五百万年前)に霊長類が誕生し、大脳新皮質を中枢とした知能が発達します。
三十日にはヒト科生物(ホミニド)が誕生し、三十一日(第四紀)になって人類(サヘラントロプス・ チャデンシス、六〇〇~七〇〇万年前が最古?)が誕生します。人類では前頭葉が発達し、言葉を使った認識ができるようになります。
こうした進化のプロセスはすべて、根源までたどると一つのエネルギーとしての宇宙の働きですから、宇宙の自己組織化・自己複雑化の歩みであることになります。私たち人間もまたまぎれもなく宇宙進化の産物であり、宇宙の一部です。
ここではごく要点しかお話しできませんでしたが、こうした長いたくさんの出来事がすべて私につながっています。
そのつながりのたった一個所でも切れていたら、私は誕生せず、今日ここにはいないのです。
ところが、一三七億年のすべての出来事がちょうど私が生まれてくることができるように、一個所も切れないで私のいのちに届いています。
世界的な遺伝子学者の木村資生先生は、「生き物が生まれる確率というのは、一億円の宝くじに百万回連続で当たったのと同じくらいすごいことだ」と言っておられますが、まして人間といういのちとして生まれるのはもっと確率の低い、ほとんどありえないくらいの確率のことが、にもかかわらず起こったという意味で、「奇跡」というほかありません。
では、宇宙は奇跡的な自己組織化・複雑化のつながりの果てに、なぜ人間といういのちを生み出したのでしょう。
それは、宇宙が宇宙自身の姿を認識しその美しさに感動するためだ、と私は解釈しています。
人間は、宇宙の自己認識器官、自己感動器官なのです。宇宙の中に人間‐私が存在する宇宙的意味は、そこにあると思われます。