戦争などしている時ではない

2022年02月25日 | 持続可能な社会

 

 言っても聞く耳を持たない人には届かず、聞く耳のある人ならすでにわかっていることなので、改めて言ってもすぐに効果はないにしても、それでも言っておきたいことがあるものです。

 

 全人類が共通の祖先から生まれたいわば一つの親族であるという事実――これは疑いようのない生物学的事実だと思われます――からすれば、戦争はしてはならないことですし、その事実を自覚していれば、決してしたくならないはずのことです。

 

 しかしきわめて残念なことに、国家、民族、宗教、イデオロギーなどなどが違っていると、全人類の本質的一体性が見えなくなり、分離していると錯覚して対立・抗争することになります。

 

 確かに人類には、国家、民族、宗教、イデオロギーなどの違いはありますが、それは現われたかたちとして区別できるということであって、本質的には分離しているということではありません。

 

 これまでさまざまな形でお伝えしてきたとおり、区別できるかたちはあっても、人類そして世界は事実としてすべてつながっていますし、究極のところ一体です。

 

 例えば、同じ一つの地球に住み、同じ一つの地球大気を分け合って吸い、地球全体を循環する同じ一つの水を分け合って飲んで生きています。

 

 区別を分離・分断と考え、対立・抗争するのは、自他共に不幸をもたらす悲しむべき錯覚――仏教用語では分別知といい、知恵のように見えて実は無明です――というほかない、と筆者には見えます。

 

 気候変動が人類の持続可能性を根本から脅かしている今、人類は一致してその課題に取り組むべき時であり、戦争つまり仲間割れなどしている時ではないと思われます。

 

 全人類、とりわけそのリーダーたちが、一日も早く錯覚から目を覚まして、戦争を止め、平和で持続可能な世界を創り出してくれることを、強く強く、願望、希望、希求してやみません。

 

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日本再生は可能なのだろうか? 再録

2021年03月12日 | 持続可能な社会

 昨日は東日本大震災から10年の節目でした。

 ここのところ何人もの方から、「最近の危機的状況について、どう考えているんですか」とコメントを求められていることも併せて、一言書いておこうと思いました。

 といっても、筆者はこれまで繰り返し基本的には同じことを言ってきましたので、新しい話はありません。

 3・11の震災の後、6月に『日本再生の指針』(太陽出版)という本を出し、そこでまさにこれが震災後の日本再生の指針だと考えていることについて述べました。

 ゲラ刷りの段階で、元国立環境研究所所長の大井玄先生に読んでいただいて、光栄なことに「本書は、私がこれまでに見てきたものの中で、本当の『日本再生』に向けたもっとも的を射た指針である。」という推薦の言葉をいただきました。

 にもかかわらず残念ながら、これまでそれほど多くの読者に読んでいただくことはできていませんが、筆者としては、10年前にも「今こそ読んでほしい・読む必要のあること」を書いたつもりでしたし、今も変わらずそう思っています。

 そこで、10年経った今、新しい文章を書くより、もう一度「はじめに」を掲載して、読んでいただいたほうがいいと考えました。




 『日本再生の指針――聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」』 はじめに

 三・一一の大地震―津波―原発事故以前も、これから日本はどうなるのだろう、どうしたらいいのだろう、自分には何ができるのだろう、と不安・とまどい・問いをもっていた心ある市民・国民はたくさんいたのだと思う。しかし、とはいってもとりあえずしばらくは何とかこの日常が続くだろう・続いてほしいと思ってきたのではないだろうか。大震災以降も、被災地以外では元どおりの日常が戻ってきているかのような空気(実は錯覚だと思う)もある。

 しかし少していねいに情報を収集―分析していれば、このままでは日本という国が衰退―崩壊していく可能性は決して小さくないことに深い危惧の念を抱くことになったのではないか。それは、真実を知れば知るほど絶望に近い恐怖にまでに高まるはずだ、と筆者は考えている。

 リーマン・ショック、ドバイ・ショックの後、景気の低迷、政治の混迷は続いていて、三・一一以前も、実は日本の政治・経済・社会システムはそのままでは続かない、つまり持続不可能であることは、わかる人にはわかっていたのではないだろうか。自然資源の大量使用―大量生産―大量消費―大量廃棄―自然環境の大規模汚染・荒廃という近代の産業・社会システムがエコロジカル(生態学的)に持続不可能であることは、すでに多くの識者が指摘してきたとおりである。

 大地震―津波―原発事故、とりわけ放射能による環境汚染は、日本という国のそういう持続不可能性をあまりにも悲惨で明らかなかたちで私たちの目に突きつけたのだ、と筆者は解している。今までどおりではもうやっていけないのだ、と。

 震災以前から筆者は、日本をいかにしてすべての国民が安心・安全に暮らせる「持続可能な国」にするか、その道筋・大筋を明らかにするための探究を行なってきた。自分で言うのもなんだが、いわば「渾身の力を注いで」きた。本書は、その成果の主要なしかし一部である。

 日本という国の原点・出発点は日本初の憲法つまり国のかたちである聖徳太子「十七条憲法」にある。そこには、日本がどうすれば人間と人間の平和と自然と人間の調和に満ちた永続しうる国になれるか、国家建設の理念・理想と実現のための基本的方法が示されていた。

 しかしそれはもちろん古代のものであるから、現代に適用するには現代の産業・経済・政治・社会システムを具体的にどうするかのビジョンを加える必要がある。そして、国際自然保護連盟やOECDなど信頼しうる諸機関の国際的評価を見れば、「持続可能な国づくり」を計画的に着々と進めていて世界の先頭を切っているのがスウェーデンであることは定評だと言っていい。

 ならば、「十七条憲法」の「和の国・日本」という原点からスウェーデンの「エコロジカルに持続可能な国家・緑の福祉国家」というモデルの到達点へ、いわばぐいと直線を引けば、その延長線上に、これからの日本をどう再生・復興し、持続可能な国にしていくか方向が明らかになるはずである。本書は、そのことを七回にわたって述べた講義録である。

 元の講義および雑誌連載は、三・一一以前のものなので、原発のこと、復興のためのアイデアなどは十分書き込まれていない。しかしそれらをも含む「日本再生」の大筋を示す指針としてはこれで十分だと思う。そして、確かに絶望に近い状況ではあるが、こうした指針に沿って日本人が本気で行動すれば、まちがいなく希望も見えてくるはずである。

 ……と大上段に振りかぶった筆者の構えをどう受け止めてくださるかは、もちろん読者にお任せするほかない。

 (後略)



「日本再生」の指針―聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」
クリエーター情報なし
太陽出版



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公開学習会延期のお知らせ

2020年02月18日 | 持続可能な社会

 先日お知らせしました下記の学習会ですが、大変残念ながら3月中旬には新型ウィルス肺炎の本格的流行期に入っているのではないかという危惧があるため、流行期が過ぎるまでということで延期にさせていただくこととしました。

 よろしくご了解・ご海容のほどお願い申し上げます。

 みなさんのご健康を心からお祈り申し上げ、催行できるようになりましたら、ぜひご参加いただけますようお願いいたします。

 

 

 

 上掲チラシのとおり、「持続可能な国づくりを考える会」の公開学習会を行ないます。

 環境の危機は他人事ではありません。私たち全員に降りかかってくる問題です。

 趣意書にも書いたとおり、事態は改善どころか予想以上に悪化の一途をたどっています。

 このままだと、どうなるかは明らかです。取り返しのつかないところまで行くでしょう。

 「どうなるのだろう?」と不安を感じながらも「どうにかなるだろう」と日々を過ごすという姿勢は、もう終わりにすべき時なのではないでしょうか。

 これからどうすべきか、ご一緒に考えませんか。

 

・日 時 3 月 14 日 13 00 〜 17 00
・場 所 フォーラムミカサエコ 7 F(JR神田駅西口徒歩3分)
・参加費 1000 円 (当日お支払いください)
・申込先 「持続可能な国づくりを考える会」
      事務局申込担当:増田満
      Email : mit.masuda@nifty.com FAX. 042‐792‐3259

 

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警告はすでに1972年に

2019年10月22日 | 持続可能な社会

 「持続可能な国づくりを考える会」のブログにタイトルのような記事を書きました。

 考えてみると、地球環境の危機についての警告はすでに半世紀近く前になされていたのですね。

 人類総体としては、警告への適切な反応-行動ができないままで来ていることが残念でなりません。

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台風に思うこと:あえて言えば想定内だった

2019年10月19日 | 持続可能な社会

 

 「持続可能な国づくりを考える会」のブログに、タイトルのような記事を書きました。

 ぜひ、読んでみてください。

 

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台風について

2019年10月13日 | 持続可能な社会

 またしても記録的な台風でした。

 型どおりの言葉になってしまいますが、亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

 今のところ、親族、友人、知人には被災した人はいないようで、たくさんの「無事でした」という知らせをいただいています。

 その一つに次のような返事をしました。

 「こんばんは。 

 無事でよかったですね。

 それにしても、あまりにも広域の激甚災害で心が痛みます。復興に時間がかかりそうです。

 そして、こういう被害が今後ますます増えるかと思うと、非常に心配です。 

 地球全体が後戻りできないところまで行く前に、意識と行動と社会システムの根本的変容が起こることを祈らずにはいられません。 

 特に日本人にとって、この二連続の大型台風が心に響く警告になれば、まだ亡くなった方も報われるのではないでしょうか。」

 地球環境はこの十年が正念場だと科学者は言っています。

 耳を傾け、危機感をもって理解し、そして適切な行動をしたいものです。

 

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猛暑と豪雨にふれて

2019年08月29日 | 持続可能な社会

 去年、埼玉県熊谷市で摂氏41.1度を記録。2013年に高知県四万十市で記録された41度を上回り、観測史上最高気温となりました。 

 今年も暑い夏でしたが、最高気温は今のところ去年よりは少し低い新潟県上越市で観測された40.0度のようです。 

 温度はほんの少しとはいえ去年よりはましだったので、雨についても西日本豪雨のようなことがなければと願っていましたが、非常に残念なことに北九州の豪雨が起こってしまい、まだ進行中です。 

 亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方に心からお見舞い申し上げます。これ以上被害が広がらないことを、切に祈っています。 

 素人が改めて言うまでもありませんが、これは気候変動・温暖化の顕著な現われで、憂うべきことにたまたま不運にも去年だけ、今年だけということとは思われません( 過去記事:温暖化はこのままではとまりそうもない(再録)暑い夏と持続可能な社会(再録)参照)。 

 まずは、自分がどうしたらエコロジカルに持続可能な生き方ができるかということから始めるとしても、さらにどうしたらエコロジカルに持続可能な国づくりができるのか、さらにどうしたらエコロジカルに持続可能な世界にできるのかというところまで、考え行動していく必要があるのだが……と改めて思う日々です。

 

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異常気象の深刻化,それでも希望

2018年09月02日 | 持続可能な社会

 また大きな台風が日本列島に接近しています。

 自分のところもですが、特に豪雨被害に遭われたばかりの地域にまた豪雨ということにならないよう、被害が最少であることを祈るばかりです。

 異常気象が続き、どんどん深刻化しているようで、非常に心配です。

 短期的な対処はもちろん必要ですが、この深刻な傾向に対する根本的な対応をする必要があると思います。

 以下は、2006年8月30日の「全体状況は悪化しているが希望もある!」というブログ記事の再録です。

 ほぼそのままお読みいただきたいと思い、再録しましたが、2つだけコメントしておきます。
 ①経済と福祉と環境のバランスを目指してみごとな方向付けをしてきたスウェーデン・北欧諸国も、難民問題では苦しんでいるようで、なかなか現実政治の世界でヒューマニズムの理想を実現するのは難しい、と改めて感じさせられています。
 ②メキシコ湾流が2010年頃止まるかもしれないという予想は、幸いまだ当たっていませんが、危険が去ったわけではないようです。

             * 

 ここで確認を共有したいのですが、すでに60年代半ばに警告はあったし、さまざまな人やグループが誠実で真剣な努力を重ねてきたことはまちがいありません。

 しかし、地球環境は全体としては悪化しています。まず、このことをはっきり認識しなくてはいけないと思います。

 お話ししてきたように、最新のデータを見ても、全体としての地球環境はさらに悪化するばかりで、近い将来での改善の見込みは立っているようには感じられません。拾っていくと目の前が真っ暗になりそうな話ばかりです。

 さまざまな真剣で誠実な努力が、悪化の速度を遅くするうえで大きな貢献をしたことは確かですし、一生懸命やってこられた方にケチをつけようという気持ちはまったくありません。しかし、冷静にみると、にもかかわらず全体状況はあきらかに悪化しているのです。

 かつて私の研究所で、大井玄先生(元国立環境研究所所長)に講座をもっていただいて、1960年代には世界で4番目の面積があったアラル海――カスピ海の東にあり、カザフスタンとウズベキスタンの国境にまたがっています――が干上がってなくなりつつあることを、現場で見てこられた体験を通して報告していただきました。

 また、大井先生からコピーをいただいたペンタゴン(アメリカ国防省)発表のレポート(鳥取環境大学環境問題研究会訳)によると、温暖化→氷河の溶解と降水量の増大→北大西洋の淡水化→暖流であるメキシコ湾流が止まる→ヨーロッパのシベリア化→食糧不足に伴う世界規模の政治の不安定化、紛争の危険が増大していることが予測されています。しかもメキシコ湾流が止まってしまうのは、早ければ2010年頃かもしれないというのです。

 深刻にならざるをえない事例は、この他、挙げていけば無数にあります。そうした状況に対して、「今、多くの環境学者たちは非常な無力感に陥っています。私もそういう気持ちがします」と大井先生はいっておられました。日本でもっとも豊富で正確なデータに接する立場におられた方の言葉は、非常に重いものがあります。

 しかし、それに対して筆者は、あえて3つのことを申し上げてきました。

 1つは、「無力感」に陥る気持ちは十分、十二分にわかりますが、でも論理的・正確に捉えると、力が「ほとんどない」は、「まったくない」ではなく、「すこしはある」ことであり、そのことをちゃんと確認すれば、まず無力感から「微力感」くらいにはなるはずではないか、ということです。論理療法的に言えば、「無力感」は、非論理的な考え方から生まれた不適切な否定的感情ということになるでしょう。

 そして、私はいつもいうのですが、「微力でも協力すれば強力になる」のではないでしょうか。

 さらに2つめは、それだけを集中的に見れば「ある」、つまり環境問題解決のための力や方策はまちがいなくあるのであり、しかも確率的には―つまり比較すると―きわめて低いとしても、潜在的には大きな可能性を秘めていると考えることもできるのであり、私たちはその可能性に賭けるほかないのではないか、ということです。

 「大きくて自分一人の力ではどうすることもできない」と感じられるような危機(あるいはその情報)に直面した時、私たちが取りうる態度の選択肢がいくつかあり、どんなに小さくてもあるのならその可能性に賭けるというのが最善の選択だ、と筆者は考えています。

 それに関わって、筆者がこれまでにご紹介してきたような危機のデータを知ってから、それをまわりの方に伝えようとして受けた反応には、典型的に次のようなものがありました。

①「そういう話を聞いていると気持ちが暗くなるだけだから、聞きたくありません」。
 これは、非常に多く見られるもので、無視・逃避、あるいは抑圧という態度です。

②「今までもいろいろ大変だといわれてきたけど、結局どうにかなってきたじゃないですか。今回もおなじじゃないんですか?」。
 これは、危機の過小評価、たかをくくるという態度です。

③「個人でどうにかできるようなことじゃないでしょう。人類が滅びるとしても、それはそれでしかたないんじゃないですか?」。
 これは諦め、責任放棄という態度です。

④「何かしたいんですが、私に何ができるかわからないんです」。
 これは、問題意識を持っていながらまだ解決の方向性が見つからないという状態の場合もありますが、あえて率直にいうと、思考停止、勉強不足にすぎないこともあります。

⑤「私は環境には気を使っていて、~をやっています。これ以上、何をすればいいんですか」。
 これは、いわゆる「環境派」の市民の方によく見られるもので、環境問題は、近代という時代、近代産業主義の行き詰まりを示しているということ、地球規模の問題だという時間と空間のスケールへの認識不足であることが多いのではないでしょうか。

 いうまでもありませんが、これらのどの態度も問題解決にはつながらない、と筆者には思えます(こういうことをはっきりいうから、嫌われるんでしょうね、あーあ)。

 「大きくて」=地球規模で、「私一人の力ではどうすることもできない」=個人は微力なのなら、「地球規模の影響力のある強力な人間集団を組織して解決に当たる」というのが、唯一ありうる問題解決への道だと思います。これは、理の当然だと考えますが、いかがでしょう。

 では、地球規模の影響力のある強力な人間集団はあるでしょうか。『サングラハ』第75号(2004年5月)では、以下のように考えていました(とても残念ながら情報不足=勉強不足でした)。

                       *

 …資本主義経済―だけでなく社会主義経済を含む近代産業主義経済―には、一時的かつ局地的に―つまり近代、先進国で―貧困を克服できたというプラス面はあっても、原理的にいって、エコロジカルに持続可能な社会を構築できないという決定的な限界があると思われます。(中略)

 まず環境破壊について簡単に言えば、原因は近代の産業主義にあると思われます。そして、資本主義国では産業は国に所属した私企業が担っており、社会主義国では国家が産業をコントロールすることになっています。つまり、全体としての産業主義を変更することのできるのは国家だけであって、民間のエコロジー運動でもなければ国連の環境機関でもありません。

 もちろん国家主導でやったとしても、近代産業主義的な経済システムから真に持続可能な経済システムへ移行するのは、きわめて困難です。しかし、他に道がないとしたら、その困難な道を志向するほかない、と筆者は思うのです。(中略)

 筆者は、これまでも公言してきたとおり、まず日本を自然成長型文明を志向する国家にしたい、そしてそういう日本が世界のオピニオン・リーダーとして世界に働きかけることによって、世界全体を自然成長型文明へと移行・変容させたい、と考えています(略)。

 これは、どんなに大げさな夢のように聞こえても、ほとんど不可能なくらい困難に見えても、ほんとうによりよい世界を望むのなら、他には考えようがないのではないか、と思っています。
                       *

 しかし、幸いなことに、「近代産業主義的な経済システムから真に持続可能な経済システムへ移行する」という課題に、国家単位で取り組んでいる国があったのです。

 その代表がスウェーデンですが――繰り返し紹介してきましたが、小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)をお読みになっていない方はできるだけ早くお読みになることを強くお勧めします――それだけではなく、北欧諸国はみな「持続可能な社会」を政府主導で目指しているようです。

 それは、北欧諸国にとって、必ずしも「大げさな夢」でも「ほとんど不可能なくらい困難」でもなく、今実現しつつある目標なのです。

 そして、特にスウェーデンは、これまでも国連の環境政策に大きな影響を与えてきましたが(例えば、1972年、スウェーデン・ストックホルムでの国連環境会議開催!)、さらにEU加盟後はEU全体の環境政策にも大きな影響を与えつつあります。

 環境(と経済と福祉の巧みなバランスの取り方)に関して、スウェーデンはこれからますます、世界のオピニオン・リーダーになってくれることでしょう。

 スウェーデンの現状を知ったことは私にとって、「希望ある衝撃」でした。

 その衝撃が、「日本も〈緑の福祉国家〉(=エコロジカルに持続可能な国家)にしたい! スウェーデンに学びつつ」のシンポジウムの企画につながっています。

 まず日本がしはじめたのではなく、「日本も…したい!」であるのは、日本人としてはちょっとだけ残念ですが、そんなことにこだわっている場合ではありませんね。

 どこの国が掲げたのであれ、希望は希望です。


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今年はなぜ台風が多い?

2018年08月24日 | 持続可能な社会

 筆者の住むところでは、幸い台風20号の影響は大したことはありませんでした。

 心配してくださったみなさん、有難うございました。

 被害に遭われた地域のみなさんには、心からお見舞い申し上げます。


 それにしても、今年は台風が多いようです。

 原因は何か、ネット上ではどんな情報があるのか検索してみましたが、大まかに言えば、①日本の南の海水温が高いこと、②西からのインドモンスーンという南西風と東からの貿易風がぶつかって上昇気流が発生し熱帯性低気圧に発達しやすい状況にあること、③太平洋高気圧の張り出しが弱いこと、などの条件が組み合わさったことによるようです。

 そして、台風の観測が始まった1951年から2017年までで観測史上最多は1967年の39回なので、今年はそこまで行くかどうか、まだわからないようですが、少なくとも観測史上第2位くらいにはなりそうだと予想されています。

 そうしたメカニズムやデータの当否について、素人の筆者が全体としてコメントをすることはできませんが、もっとも大筋として、改めて以下のことは言えそうに思います。

 海水温の上昇 ← 猛暑 ← 温暖化 ← 大量の温暖化ガス(二酸化炭素など)の排出と蓄積 ← 「資源の大量使用―大量生産―大量消費-大量廃棄という近代の産業メカニズム」、というふうに主要な(唯一ではないとしても)原因を遡って推測することができるのではないでしょうか。

 今年、来年が、観測史上最多になるかどうかも問題ですが、遡った原因をどう変えていくのかこそが大問題なのだと思います。


 猛暑のせいか、こころのところブログ記事を更新していなくても、閲覧者数が夏前の倍くらいになっています。

 もっともアクセス数の多い記事は、環境庁が環境省になって始めて出された『平成十三年版 環境白書』(4月小泉内閣の成立後5月付けで公刊)掲載の図「問題群としての地球環境問題」を引用・掲載した「環境問題と心の成長3」という記事でした。

 読んでくださったみなさん、有難うございます。ぜひ、続けて関連記事をお読みください。

 そして、これから私たちはどうすればいいのか、どうすべきなのか、ご一緒に考えていた開けると幸いです。
 
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異常気象が通常になることを恐れる

2018年08月06日 | 持続可能な社会

 「人間の生活力の強さ!人間はどんなことにもすぐ慣れる動物である。
私はこれこそ人間に対する最上の定義であると思う。」

 上記は、シベリア流刑という異常事態を体験したロシアの作家ドストエフスキーの言葉です。

 ここのところの「経験したことのない」「命に危険のあるレベル」「災害といってもいい」猛暑も、何日も続くと、「うんざりだ」と言いながらも、人間は慣れてくるのでしょうか。

 それは、人間の生活力の強さという意味ではいいのかもしれませんが、異常が通常になり、そうするとまるで正常であるかのような錯覚が生まれ、異常を正常に戻す努力をしなくなる危険が大きいと思われます。

 最近、気候変動・温暖化に対して中長期的にどう対処すべきか、メディア等であまり話題になっていないように思えるのですが、どうなのでしょう(私の認識不足なのでしょうか)。

 ちゃんと異常事態、緊急課題として議論されているのでしょうか。

 この傾向は今後も続くと予想されており、続いていくと当然ながら「またか」と通常のことになってしまうでしょう。

 しかし、異常は、たとえ通常化しても、本質的には異常なのであって正常ではない、と思われます。

 慣れてはいけないことがある。異常事態を「またか」ではなく「またしても異常」と感じ、感じるだけでなく認識し、それにふさわしい行動を取ることが必要だ、と私は考えますが、読者はどう考えられますか?。
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先延ばしのツケが回ってきている?

2018年07月29日 | 持続可能な社会

 経験したことのない進路の台風が、私の住んでいる香川からは遠ざかりつつあります。かなりの雨が降りましたが、幸い被害はほとんどないようです。

 より西はまだ大雨が予想されています。被害ができるだけ少ないようお祈りしています。

 こうした異常気象は、環境問題の根本的解決に向けて本格的に有効な行動をしてこなかったツケが回ってきているということなのではないでしょうか。もう先延ばししている余裕はないのではないでしょうか。

 以下、また過去の記事を再録させていただきます。ご一緒に考えていただけると幸いです。

               *

「もっとも多いのは先送り・先延ばし」‘06.9.10


 先進工業国の多数は、本音では今の資源浪費型の高度産業社会――これは必然的に大量生産-大量消費-大量廃棄社会です――をやめたくないようです。

 しかし本音を公式の場で言うとデータと矛盾しますから、建前的には「持続可能な社会」というコンセプトを受け入れるようになっています。

 例えばインターネットで「持続可能な社会」というキーワードで検索してみると、官民通して建前としての受け入れ-浸透の度合いは、驚くばかりです。

 しかし、そこで語られていることをよく読んでいくと、実際的にはスウェーデンなどの行なっている政策とは根本的に異なった方向のものが多いようです。

 そして、官の多くが本音ではないようで、実際にやることを見ていると、最優先・最重要課題としてお金や人やいろんなことをどこまで注ぐかを持続的に観察していると、いつも問題先送り気味になっているように見えます。

 日本でいうと35年ずっと問題先送りです。世界各国の多数もそうです。そのツケがそろそろはっきり回ってきそうだということでしょう。

 もちろん、問題先送りといっても、最初から先送りをしようというわけにはいきませんから、公式にはどうするかというと、「対策を策定しましょう」ということになります。

 「まず事実を確認しましょう」ということで、研究調査が始まります。研究調査で暫定的な結論を出すためだけでも○○年かかるとかいう話になります。

 その間、疑わしきものはどんどん放置されます。疑わしきものが放置されるということを30年もそれ以上もやっていて、疑わしきものはどんどん増えてきているのです。

 法律は「疑わしきは罰せず」の原則で行くべきでしょうが、環境は「疑わしきは対策をする」でなければならないと思うのですが。

 そのあたりのことを小澤徳太郎さんは、「スウェーデンは予防志向の国であり、日本は治療志向の国だ」といっておられます。

 近代科学以来、化学物質は1千数百万種作られたのだそうです。このうちのどれくらいが内分泌攪乱物質つまり環境ホルモンなのか、1千数百万種について、誰が研究してどういうマニュアルをつくって、どうやってコントロールをするのでしょうか。人類-科学者は、化学物質を1千数百万種作って、まだやめていないのです。

 ともかく、問題があることは事実ですから、「問題があります。研究しましょう。事実を認識しましょう」とさんざんすったもんだとやったあげく、そこで学者間の学説の違いによって割引きが必ず起こります。

 いちばん深刻に予測する人とさほど深刻に予測しない人の間の中間くらいの結論しか公式には出せないのです。そこでまず割引きが起こります。

 次に対策策定がなされるのですが、この対策策定というのは公文書だけ見ると(例えば典型的には「環境基本計画」ですが)、結構がんばってやってくれるのだと思って期待するのですが、実行段階を見ていると、書いてあることの半分も実行されないように見えます。ここでもまた割引きが起こるわけです。

 こういうふうにして、どんどん割引きが起こるという人間的なマイナス要素が必ず加わってきますから、対策策定の内容に対してある程度の実行というふうにしかなりません。対策策定そのものが危機のいちばん深刻な予想に基づいてなされないうえに、実行段階では割引きされますから、結局、問題の根本的解決は先延ばしになるだけです。

 というわけで、国際自然保護連合の「国家の持続可能性」ランキングで上位に評価されている、スウェーデン、フィンランド、ノールウェー、アイスランドなどの北欧は解決に相当接近しており、オーストリア、カナダ、スイス、そしてドイツ、デンマーク、ニュージーランドがある程度接近しつつあるのを別にすれば、日本を含め多くの先進工業国では、公式の世界での建て前が第2のシナリオ、実態は第3のシナリオに限りなく近いということが起こってきたし、今でも続いているように思えます。

 しかし、環境問題の緊急性からいえば、本当は先延ばしなんかやっていられるような状況ではない、と思います。
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ありうる近未来の3つのシナリオ

2018年07月28日 | 持続可能な社会

 早くから環境の危機に警鐘を鳴らし続けてこられた石弘之氏が、『地球環境報告Ⅱ』(1998年、岩波新書)で「2020年ごろがひとつのヤマ場となると考えている」と書いておられました。
 不幸にして予測は前倒しでみごとに的中してしまったと思われる昨今の状況です。

 経験したことのない猛暑が少し和らいだら、経験したことのない台風が接近中。被害が最小限であることを祈るばかりです。

 そうした中、改めて「では、ありうる近未来のシナリオはどうなのだろうか」と考えてみて、かつて書いたことがそのまま当てはまると思われましたので、これも再録します。

 近未来の「ソフトランディング(軟着陸)」を望み、なんとしても「ハードランディング(墜落)」を避けたいと思われるみなさん、ご一緒に考えてください(前掲の西岡先生はソフトランディングは無理だろうとおっしゃっていますが)。

                 *

 「ありうる近未来の3つのシナリオ」‘06.9.7

 このような現状のまま進むと、どういうことが起こるか、大まかにみて3つのシナリオが描けると私は考えています。

 第1は、環境危機の本質をはっきり認識して、ではどこへ向かうべきなのか明確に目標設定をして、本格的な実行をして、実際に持続可能な世界秩序を創り出すというもっとも望ましいシナリオです。

 後でもう少し詳しくお話しますが、こういうシナリオの手法はスウェーデンが採用しているもので、「バックキャスト」ないし「バックキャスティング」といいます。

 このシナリオは、先にお話ししてきたような日本の条件を考えると、そうとうに困難ですが、不可能ではないと思います。日本政府の環境関係者も、最近、手法としては「バックキャスティング」で行くことを決定したそうです。問題は、目標が「循環型社会」では不十分だと思われるという点ですが、それでも大きな前進であることはまちがいありません。

 ところが、繰り返しお伝えしているとおり、幸いかつ驚くべきことに、スウェーデンを代表とする北欧諸国は、第3のシナリオを着実に実行しつつあるようです。

 実は、1999年の初版では、このシナリオはきわめて困難で実行不可能かもしれないという思いがあって、第3にあげたのですが、スウェーデンの実例をとおして、これは条件次第では実行可能だと考えるようになり、第1に変更しました。

 もちろん、このシナリオはまだ少数の「環境先進国」で採用されているもので、世界全体としてはまだまだですが、しかし確実に実行されつつあり、国際社会の世論形成に影響を与えつつあるということは大きな希望です。

 第2は、一見それに近いのですが、形式上「対策策定」をして「実行」していることになっている、というシナリオです。

 特に先進国ではどこでも、環境問題に対してそれなりに対策を策定して、実行していることになっています。

 日本も、環境庁ができて、環境省に格上げになり、いろいろな研究機関が作られ、そこにたくさん優秀な官僚や研究者がおられて、いろいろ資料を作りあげて、環境基本法が制定され、環境基本計画などいろいろなプランを作っておられるのですが、それは、実行といっても、残念ながらある程度の実行であるように見えます。

 問題が起こってからそれに対応して対策を立てるという手法を「フォアキャスト」「フォアキャスティング」といいますが、従来の日本の「公害対策」「環境対策」はこの手法で行なわれてきました。

 これは、次の100パーセントの問題先送りよりはましですが、結局のところ、崩壊の若干の先延ばしにしかなっていないのではないか、と私は見ています。

 第3は、問題先送りです。

 環境問題を最優先課題にしていない人々が主導権を握っている国では、当然問題は実質的にはかなり後回し―先送りになっていきます。

 経済大国としてはまずアメリカ、それから大きな人口を抱えこれから経済大国になろうとしている中国やインド、そして残念ながら実質的には日本も、そしてもっとたくさんの国がそうであるようです。

 1998年の時点で、国連環境計画の顧問、東大大学院の国際環境科学の教授を経て、現在北海道大学大学院の公共政策の教授をしておられる、日本の代表的な環境問題専門家の一人である石弘之氏が、『地球環境報告Ⅱ』(岩波新書)で、「この『先伸ばし』の限界は、いつごろ世界的に顕在化してくるだろうか。私自身、さまざまな分野の研究者と将来の見通しを検討しているが、2020年ごろがひとつのヤマ場となると考えている。……このままでは生産や人間生活を支える基本となる水、森林、土壌、水産資源などがそのころまではもちそうもないからだ。」(p.208)と書いておられました。

 そして、最後に「日本はタイタニック号ではないだろうか、と思うことがよくある。だれもが、前方に氷山があることは知っている。まさかこの不沈艦は沈むことはない、科学技術をもってすれば容易に回避できる、と氷山の存在をことさら無視しているのではないだろうか。氷山の破片が漂いはじめている事実は本書中で報告したとおりである。」(p.213)と書いておられましたが、基本的には状況は変わっていないのではないでしょうか(石氏自身、その後もブログでそういう趣旨のことを訴え続けておられます)。

 そうすると、早めにみてまず2020年くらいと予測される世界的な環境危機による大混乱の中に、日本も巻き込まれていくことが想定されます

 国連大学が昨年10月に発表した警告によれば、「2010年、5千万人もの人々が地球環境の劣化による問題から逃れることのできない生活を強いられているであろうという予測がされている。これを受け、国際連合大学の専門家達は、この新しい『難民』の分野を定義、認知、そして支援することが緊急課題であると考えている。」

 「地球環境の影響を受けて移住を余儀なくされる人々は、すでに、現在およそ1,920万人程度と計算されている『援助対象者』と同程度の人数であり、近い将来、この数字を上回るとされている。また、赤十字の調査でも戦争による移民よりも地球環境問題を原因とし、住む場所を失う人々の方が多いという調査結果が出ている。」ということです。

 人類が突然絶滅するというSFパニックもののような事態を想定するのは現実的ではないと思いますが、世界全体として大きな混乱が生じることはまちがいないでしょう。

 そしてそういう状況が急激に進むと、100年以内に世界全体がそうとう悲惨な状況になり、人口が非常に少なくなって、荒廃しきった環境条件の中でわずかな人類が細々と生き残るという事態に到ることも、まるで想定できないことではありません。

 とはいっても、それまでの国の政策の違いによって、それぞれの国の状況にはかなり大きな格差が出るでしょう。

 バックキャスティングで政策的に対応した国は「ソフトランディング(軟着陸)」できるでしょうし、フォアキャスティングで対策的に対応した国やさらにほとんど先送りした国はさまざまな程度の「ハードランディング(墜落)」をすることになりそうです。

 これからの世界は、大まかにいってこの3つシナリオしかないだろうと思います。

 といっても実際には第1から第3まではグラデーションですから、人類全体としてどのあたりに到達できるか、それが問題だ、ということになります。

 ぜひ、まず日本の、そして世界の国々すべてのリーダーたちが、「エコロジカルに持続可能な社会」に向けて、バックキャスティングの手法を採用し、最善のシナリオを選択するように働きかけていきたいものです。
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温暖化はこのままではとまりそうにもない (再録)

2018年07月26日 | 持続可能な社会

 昨日の再録記事の冒頭に、日本人は、すべてを水に流す癖が強く、大事なことについて健忘症が激しいという傾向がある、と書きました。

 天気予報では、明日あたりから猛暑が少し和らぐと言っています。

 猛暑が少し和らぐと、地球温暖化の記事やニュースが少し減るのかもしれません(そうならないことを願いますが)。

 ところで、温暖化を疑う説、CO₂が温暖化の主な原因であることを疑う説、IPCCの信頼性を疑う説があることは承知しています。

 筆者はそれらについて素人であるにもかかわらず、温暖化説・CO₂主要原因説・IPCCをほぼ信用して大丈夫だと思うに到った大きな理由の一つは、以下の記事にあるように、世界的な専門家であられる西岡先生に直接お目にかかってお話をうかがい、「この方は専門家としても人間としてもきわめて信用できる」と感じたことでした。
 
 大筋は変わっていないと思われますし、12年前に(もっと前から)すでにここまでの警告がなされていたことを確認していただきたいので、読者のご参考に再録します。

             *

 「温暖化はこのままではとまりそうにもない」’06.8.29

 先日、シンポジウムの発題者の一人である国立環境研究所の西岡秀三先生にお会いしてきました。

 西岡先生は、いわゆる地球温暖化・気候変動に関して日本を代表する研究者のお一人です。

 いただいた資料(国立環境研究所『地球環境研究センターニュース』2006年3月号)によれば、西岡先生は、「決して望ましくないがありえそうな気候変化物語」と題して、温暖化問題の現状を次のように考えておられます(赤い字の部分が引用、太字による強調は筆者)。


 ……工業化以前から0.6度の全球平均温度上昇が見られ、大気中の温室効果ガス濃度が上昇していることは事実と誰もが認める。……懐疑論者の問題提起は相変わらず続いているが……1970年代から大規模に開始された地球科学研究の集積、多要因を考慮したシミュレーションの結果からは、化石燃料の温室効果ガスが気温上昇の原因であるとの解釈が確定されてきている。


 氷河や永久凍土が溶け始め、南に住んでいるはずの生物が北に移動し始めており(先日西岡先生も出演しておられたNHKの番組では、沖縄や八丈島のエイが瀬戸内海に侵入してきていること、沖縄のチョウが神奈川県大磯まで来ていることなどを報道していました)、世界中で異常気象が発生しています。

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)では、「こうした変化が専門家の予想以上に早く進展しつつあることに危惧の念を示した(2006年1月)。」とのことです。


 気候変化で確かなことが一つある。大気中の温室効果ガスを増やし続けている間、気候は変化し続ける。気候変化をとめるには、大気中の温室効果ガス濃度をどこかで一定にする、すなわち年間の排出量と吸収量を斉しくせねばならない。地球の吸収量(陸域と海洋による)に等しくするには今の排出量を半分にまで減らす、大幅な減少が必要なのである。


 温室効果ガスの「今の排出量を半分にまで減らす」ことは、したいかしたくないかとか、できるかできないかではなく、ほんとうに持続可能な世界を創り出すためには必須の条件なのです。

 大量生産-大量消費-大量廃棄――廃棄されるものには温室効果ガスも含んでいます――というタイプの「経済成長」は、温暖化問題からしても、原理的にいって不可能ではないでしょうか(西岡先生がそこまで言っておられるわけではありませんが)。

 しかし、「改革なくして成長なし」が日本政府の方針であり、当面、すぐにはこの原理的な事実を飲み込むことができないでしょう、はなはだ残念ですが。


 気候システムには大きな慣性がある。今すぐ排出量を地球の吸収量にまで減らし、大気中の温室効果ガス濃度を今のままに保ったとしても、これまで平衡温度まで上げ切れなかった熱慣性分の上昇が今後も続き、究極にはさらに1度上がる。減らさないで今の排出量を維持し続けると、究極的に2~6度の上昇となる……。今の温暖化傾向からはもう逃げられないのである。少なくともこれからの数十年間、世界は温暖化した地球の上で生きていくことになる。

 この温暖化傾向にブレーキをかけることが出来るだろうか?気候の安定化に向けて、危険な目に遭わぬままソフトランディング出来るだろうか?答えは多分ノーである。このままでは危険なレベルを超えて温暖化が進む。そして、その後でそれをなんとか安全なレベルに押さえ込むための努力をすることになるだろう。危険なレベルを一旦は超える、いわゆるオーバーシュートしてしまう可能性は必至のようである。オーバーシュートしっぱなしでは破局に進む。それからも懸命な抑止努力がいるのは当然である。

 これは、悲観的とか楽観的とか評することのできない、客観性をもった予測です。
 これまで、様々な心ある人々の行なってきた努力は、オーバーシュートをとめるには不足していたらしい、というほかありません。
 それは、不足していたからダメだというのではなく、もっと、そして適切な努力をする必要がある、ということです。

 西岡先生は、きびしい予測をしておられますが、しかし絶望はしておられません。


 いつになったら温室効果ガスの本格的な削減が始まるのだろうか?人間社会のさがから見て、温暖化の被害が目で見て明らかになるか、突如起こりかねない大災害への恐怖を感じないと、本気の削減には進まないであろう。ただ、これからの10~20年の間に、科学の観測と予測がこれまで以上に警告を発するであろうし、これに応じて危険の切迫感は世界にみなぎることは予想できる。
 望まれることでは勿論ないが、気候変化の場合、主として途上国のあちこちから報告される毎年の干ばつ・飢饉・水不足のようなじわじわ進む被害の報告よりも、欧州の洪水頻発や14兆円の被害を出したカトリーナのような先進国で起こる大災害、さらにはabrupt change といわれる、気候システムの構造を変えてしまうような変化(海洋熱塩循環の停止、凍土地帯のメタン放出)あるいは、起きれば確実に被害を長期にわたって及ぼすグリーンランドや南極氷床の融解への懸念が、global participation に向けた交渉を加速する可能性が高い。……こうした abrupt change の兆候が様々に確認され警告されてきて、ようやく世界中で温室効果ガスの排出利用を削減しようという機運が盛り上がる。いよいよ世界は画期的な低炭素社会への覚悟をせねばならない。

 しかし、そうしたきびしいプロセスを経ながらも、最大の努力をして対応したとき、2050年頃から、温室効果ガスの排出が削減の方向に転じ、「今世紀末には排出量が吸収量に等しくなり、気候も安定するだろう。」といっておられます。

 とはいっても、それは「最大の努力をして対応したとき」であって、努力なしや努力不足では、そうはならない、ということでもあります。

 究極の持続可能世界とは、入りと出がバランスする世界である。そのトップを切って、大気への温室効果ガスの出入りを等しくすることに成功しそうだ。やれば出来る。22世紀の歴史書は、人類生存に成功した輝かしい21世紀の努力をたたえ、エネルギーに頼らない豊かな生活をうちたて、持続可能な社会へ導いた世紀と記すであろう。


 後の世代のために、おどろくほど長い展望をもって、最大限の努力をすることが、今の私たちに求められている、と思います。

 しかし、よく考えて見ると、それはいのちをより豊かにして次の世代につなげてから世を去るべき「ご先祖さま予定者」としては当然の任務なのではないでしょうか。

 それは大自然・コスモス・天の命ずること、つまり私たちの天命だといっていいと思います。

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日本人よ、茹で蛙になる前にジャンプせよ!(再録)

2018年07月25日 | 持続可能な社会

 殺人的猛暑で実際にたくさんの方が熱中症で亡くなっています。心からご冥福をお祈りします。

 今年は、「経験したことのない」「命に危険のあるレベルの」という表現のされる猛暑ですが、この傾向は、すでに十年以上前から続いているものですし、さらに続くとかなり確実に予想されるものです。

 私たちは、どうすればいいのでしょうか。相手が自然だからとあきらめるしかないのでしょうか。

 そういう面とそうではない面がある、と私たちは考えています。

 8年前に書いた記事を再録しますので、どうぞお読みいただいて、ご一緒に考えていただけると幸いです。

               *


「日本人よ、茹で蛙になる前にジャンプせよ!」‘10.9.2


 日本人は、すべてを水に流す癖が強く、大事なことについて健忘症が激しい――あくまでも傾向であって、そうでない人もいますが――と思えます。

 「夏ってこんなに暑かったっけ?」

 「今年は暑いねえ」

……ではなく、ちゃんと最新のニュースで記録を確認すると、以下のとおりです。


113年間で最も暑い夏に=記録ずくめ、55地点で最高値更新-気象庁

 気象庁は1日、今年の夏(6~8月)の平均気温が平年より1.64度高く、統計を開始した1898年以降で最も高かったと発表した。全国154の観測点のうち55地点で記録を更新し、特に北日本と東日本では過去最高になった。
 同庁は、この極端な猛暑を異常気象ととらえ、専門家らを集めた検討会を3日に開き、要因などを分析する。(後略)

 (2010/09/01-20:03)

時事ドットコム
気象庁発表リリース


 このまま行くと、やがて日本人全体が茹で蛙になることは確実だと思われ、すでに明快な先駆現象が出ています。


熱中症の死者 全国で475人

9月2日 4時16分

梅雨明けから先月までに、熱中症とみられる症状で亡くなった人は、大阪や兵庫などで70人以上が死亡していたことが新たに判明し、全国で少なくとも475人に上ることがわかりました。室内で死亡して見つかり、その後、熱中症と判明したケースを警察などが明らかにしたためで、専門家は1人暮らしの高齢者などが亡くなったケースを調べ、予防に役立てる必要があると指摘しています。……東京23区の死者数を公表している東京都監察医務院の福永龍繁院長は「1人暮らしの高齢者が多いので、どうしても遺体で発見される例が多い。亡くなった方から得られたデータというものを、今生きている方の健康作りや、熱中症の予防というものに役立てる必要がある」と話しています。(後略)

NHKニュース


 「熱中症」で「孤独死」そして「遺体――この暑さですから、おそらくしばしば腐乱死体――で発見」とは、なんとつらい話でしょう。

 たとえ若者であっても、明日――5,60年後――は確実に我が身です。このままで行っていいんですか?

 日本人のみなさん、なんとかして1億総茹で蛙――「総」ですからあなたも含まれます――になる前に、もうかなり熱くなってしまった鍋の中から思い切ってジャンプしませんか? 

 「身近なエコ」とか「ハチドリのひとしずく」では、気持ちはわかりますが、実際問題として追いつかないのではないでしょうか?

 それは、かつてB29に竹やりとバケツリレーで対抗しようとしたようなもので、本当に涙ぐましい努力ですが、役には立ちそうにありません。

 環境問題に関しては、涙ぐましい努力をして敗戦するより、冷静に見込みのある方法を選択して、しかも情熱的に、一丸となって戦って勝ちたいものです。


 熱くなった鍋からどこを目がけてジャンプすればいいのか。

持続可能な国づくりの会 HP ブログ を参照してください。」
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暑い夏と持続可能な社会(再録)

2018年07月24日 | 持続可能な社会

 昨日は熊谷で41・1度と観測史上最高の暑さになりました。東京都内も観測史上初の40度超えだとのことです。

 気象庁は「経験したことのない暑さ」「命に危険を及ぼすレベル」と言っています。

 新聞などもこの暑さが温暖化によるものであることを報道し始めているようです(まだ強調度が足りないと感じますが)。 

 そうした状況に合わせて、猛暑―異常気象ー温暖化ー気候変動とエコロジカルに持続可能な社会の可能性についての過去記事の再録をしています。

 読んでいただき、一緒に考えていただけると幸いです。

             *
 

 「暑い夏と持続可能な社会」’07.8.20


 猛暑が続いています。

 暑さのせいと、仕事のせいで、なかなか記事を更新できませんでした。

 それにしても暑いですね。これは紛れもなく「地球温暖化」の影響です。

 仕事の1つは曹洞宗大本山永平寺の雑誌『傘松(さんしょう)』に書き始めた「環境問題と心の成長」2回目の原稿でしたが、そこでも「地球温暖化」のことにふれておきました。

 4月7日の朝日新聞の、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書の記事を紹介したことがありましたが、要点だけ再掲載します。

 近未来予測を拾ってみると、2020年代(気温上昇幅 0.5~1.2度程度)に次のようなことが起こると危惧・警告されていました。

 ・ 数億人が水不足による被害にさらされる
 ・ サンゴ礁の白化現象が広がる
 ・ 生き物の生息域が変化し、森林火災の危険性が増す
 ・ 洪水と暴風雨の被害が増える
 ・ 栄養不足、下痢、呼吸器疾患、感染症による負担が増える
 ・ 熱波、洪水、干ばつにより病気になったり、死亡したりする確率が増える
 ・ 感染症を媒介する生物の分布が変わる
 ・ 北米では、河川の流量が減り、現在のような水需要は満たせなくなる

 賢明な読者はすでにお気づきのとおり、2020年代ではなくすでに「熱波、洪水、干ばつにより病気になったり、死亡したりする確率が増える」、「洪水と暴風雨の被害が増える」、「生き物の生息域が変化し、森林火災の危険性が増す」という事項は現実のものになっています。

 これから、さらに深刻になっていくことが予想されています。

 被害を最小限にとどめるには、最大限の努力が必要で、それには必然的に資源の大量消費―大量生産―大量消費―大量廃棄という流れになってしまう「経済大国」「経済成長」という社会の方向性を根本的に転換する必要があると思われます。

 社会の方向性を転換するには、強力な政治的指導が必要です。

 そのためには、そういう指導のできる政治勢力が必要です。

 しかし、現状の日本にはそういう政治勢力は見当たりません。

 ならば、新たに創るしかありません。

 しかし、すぐには創れそうにもありません。

 ならば、まず創るための準備をするしかありません。

 というきわめて単純明快な論理の展開の結果、昨年11月のシンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!――スウェーデンに学びつつ」1)2)をふまえて、「持続可能な国づくりの会」を設立することになりました。

 来週の日曜日、26日に設立総会を行ないます。

 総会の後で学習会の講師として話します。

 暑いさなかですが、できるだけのことをやっています。

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