昨日の再録記事の冒頭に、日本人は、すべてを水に流す癖が強く、大事なことについて健忘症が激しいという傾向がある、と書きました。
天気予報では、明日あたりから猛暑が少し和らぐと言っています。
猛暑が少し和らぐと、地球温暖化の記事やニュースが少し減るのかもしれません(そうならないことを願いますが)。
ところで、温暖化を疑う説、CO₂が温暖化の主な原因であることを疑う説、IPCCの信頼性を疑う説があることは承知しています。
筆者はそれらについて素人であるにもかかわらず、温暖化説・CO₂主要原因説・IPCCをほぼ信用して大丈夫だと思うに到った大きな理由の一つは、以下の記事にあるように、世界的な専門家であられる西岡先生に直接お目にかかってお話をうかがい、「この方は専門家としても人間としてもきわめて信用できる」と感じたことでした。
大筋は変わっていないと思われますし、12年前に(もっと前から)すでにここまでの警告がなされていたことを確認していただきたいので、読者のご参考に再録します。
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「温暖化はこのままではとまりそうにもない」’06.8.29
先日、シンポジウムの発題者の一人である国立環境研究所の西岡秀三先生にお会いしてきました。
西岡先生は、いわゆる地球温暖化・気候変動に関して日本を代表する研究者のお一人です。
いただいた資料(
国立環境研究所『地球環境研究センターニュース』2006年3月号)によれば、西岡先生は、「決して望ましくないがありえそうな気候変化物語」と題して、温暖化問題の現状を次のように考えておられます(赤い字の部分が引用、太字による強調は筆者)。
……工業化以前から0.6度の全球平均温度上昇が見られ、大気中の温室効果ガス濃度が上昇していることは事実と誰もが認める。……懐疑論者の問題提起は相変わらず続いているが……1970年代から大規模に開始された地球科学研究の集積、多要因を考慮したシミュレーションの結果からは、化石燃料の温室効果ガスが気温上昇の原因であるとの解釈が確定されてきている。
氷河や永久凍土が溶け始め、南に住んでいるはずの生物が北に移動し始めており(先日西岡先生も出演しておられたNHKの番組では、沖縄や八丈島のエイが瀬戸内海に侵入してきていること、沖縄のチョウが神奈川県大磯まで来ていることなどを報道していました)、世界中で異常気象が発生しています。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)では、「こうした変化が専門家の予想以上に早く進展しつつあることに危惧の念を示した(2006年1月)。」とのことです。
気候変化で確かなことが一つある。大気中の温室効果ガスを増やし続けている間、気候は変化し続ける。気候変化をとめるには、大気中の温室効果ガス濃度をどこかで一定にする、すなわち年間の排出量と吸収量を斉しくせねばならない。地球の吸収量(陸域と海洋による)に等しくするには今の排出量を半分にまで減らす、大幅な減少が必要なのである。
温室効果ガスの「今の排出量を半分にまで減らす」ことは、したいかしたくないかとか、できるかできないかではなく、ほんとうに持続可能な世界を創り出すためには必須の条件なのです。
大量生産-大量消費-大量廃棄――廃棄されるものには温室効果ガスも含んでいます――というタイプの「経済成長」は、温暖化問題からしても、原理的にいって不可能ではないでしょうか(西岡先生がそこまで言っておられるわけではありませんが)。
しかし、「改革なくして成長なし」が日本政府の方針であり、当面、すぐにはこの原理的な事実を飲み込むことができないでしょう、はなはだ残念ですが。
気候システムには大きな慣性がある。今すぐ排出量を地球の吸収量にまで減らし、大気中の温室効果ガス濃度を今のままに保ったとしても、これまで平衡温度まで上げ切れなかった熱慣性分の上昇が今後も続き、究極にはさらに1度上がる。減らさないで今の排出量を維持し続けると、究極的に2~6度の上昇となる……。今の温暖化傾向からはもう逃げられないのである。少なくともこれからの数十年間、世界は温暖化した地球の上で生きていくことになる。
この温暖化傾向にブレーキをかけることが出来るだろうか?気候の安定化に向けて、危険な目に遭わぬままソフトランディング出来るだろうか?答えは多分ノーである。このままでは危険なレベルを超えて温暖化が進む。そして、その後でそれをなんとか安全なレベルに押さえ込むための努力をすることになるだろう。危険なレベルを一旦は超える、いわゆるオーバーシュートしてしまう可能性は必至のようである。オーバーシュートしっぱなしでは破局に進む。それからも懸命な抑止努力がいるのは当然である。
これは、悲観的とか楽観的とか評することのできない、客観性をもった予測です。
これまで、様々な心ある人々の行なってきた努力は、オーバーシュートをとめるには不足していたらしい、というほかありません。
それは、不足していたからダメだというのではなく、もっと、そして適切な努力をする必要がある、ということです。
西岡先生は、きびしい予測をしておられますが、しかし絶望はしておられません。
いつになったら温室効果ガスの本格的な削減が始まるのだろうか?人間社会のさがから見て、温暖化の被害が目で見て明らかになるか、突如起こりかねない大災害への恐怖を感じないと、本気の削減には進まないであろう。ただ、これからの10~20年の間に、科学の観測と予測がこれまで以上に警告を発するであろうし、これに応じて危険の切迫感は世界にみなぎることは予想できる。
望まれることでは勿論ないが、気候変化の場合、主として途上国のあちこちから報告される毎年の干ばつ・飢饉・水不足のようなじわじわ進む被害の報告よりも、欧州の洪水頻発や14兆円の被害を出したカトリーナのような先進国で起こる大災害、さらにはabrupt change といわれる、気候システムの構造を変えてしまうような変化(海洋熱塩循環の停止、凍土地帯のメタン放出)あるいは、起きれば確実に被害を長期にわたって及ぼすグリーンランドや南極氷床の融解への懸念が、global participation に向けた交渉を加速する可能性が高い。……こうした abrupt change の兆候が様々に確認され警告されてきて、ようやく世界中で温室効果ガスの排出利用を削減しようという機運が盛り上がる。いよいよ世界は画期的な低炭素社会への覚悟をせねばならない。
しかし、そうしたきびしいプロセスを経ながらも、
最大の努力をして対応したとき、2050年頃から、温室効果ガスの排出が削減の方向に転じ、「今世紀末には排出量が吸収量に等しくなり、気候も安定するだろう。」といっておられます。
とはいっても、それは「最大の努力をして対応したとき」であって、努力なしや努力不足では、そうはならない、ということでもあります。
究極の持続可能世界とは、入りと出がバランスする世界である。そのトップを切って、大気への温室効果ガスの出入りを等しくすることに成功しそうだ。やれば出来る。22世紀の歴史書は、人類生存に成功した輝かしい21世紀の努力をたたえ、エネルギーに頼らない豊かな生活をうちたて、持続可能な社会へ導いた世紀と記すであろう。
後の世代のために、おどろくほど長い展望をもって、最大限の努力をすることが、今の私たちに求められている、と思います。
しかし、よく考えて見ると、それはいのちをより豊かにして次の世代につなげてから世を去るべき「ご先祖さま予定者」としては当然の任務なのではないでしょうか。
それは大自然・コスモス・天の命ずること、つまり私たちの天命だといっていいと思います。