コスモス・セラピー ’09前期授業の成果2

2009年07月28日 | 心の教育

 コスモス・セラピーの授業の効果は、感想を書いてもらうと、もちろん受けた人によっていろいろです。

 1は、「この授業を受けることによってあなたの世界観・人生観・価値観に肯定的変化がありましたか? 0から10までのスケールで答えてください」という設問に対する答えの数値です。
 2は、「授業全体への感想」
 3は、「自信のワークへの感想」です。

 前回は変化のスケールを10と書いた学生の感想を紹介しましたが、今回は続いて9の学生の感想です。


 3年女子

1 9
2 最初この授業どうなんだろうと思っていたんですが、本当に受けて良かったなと思います。おもしろかったし、自分の考え方が変わりました。
3 自分の持つ能力や長所いついて他者と比較するのではなく自分で思うものだということで、以前よりは自分に自信がついたと思います。


 2年女子

1……9
2……アイデンティティ・クライシスなど、様々なことがあったけれど、楽しかった。おもしろかった。
世界を見る目が、変わった気がする。

3……日、水、大地のフィーリングでペアを決める、という考え方がすごくいい!
 ペアがなかなか決まらないときの不安や、決まったときの感覚がすごく気持ちいい!
 自信のワークというよりも、実際に人と話すとき、共感的に聴くことや、相手の長所を探しながら聴いたり話したりすると、すごく会話が、より一層楽しくなったと思う。



 最初の学生の、「最初この授業どうなんだろうと思っていたんですが」という正直な感想、とても気に入っています。

 次の「アイデンティティ・クライシスなど、様々なことがあったけれど」という感想、アイデンティティが肯定的に変化するときにも揺らぎ・危機(クライシス)があることを示す典型的なケースです。




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環境問題と心の成長 12

2009年07月27日 | 持続可能な社会


 前近代のプラス面②持続可能な社会の先駆的実現

 日本の前近代・江戸時代のプラス面の第二は、自然エネルギーと有機的エネルギーのみによって驚くほどのリサイクル社会・持続可能な経済システムを作り上げていたことで、一定の人口(一説では幕末の人口は三千二百万人余り)ならば、このまま何百年でも生態系を壊さないで生活していくことができたという説もあるほどです。

 どのくらいリサイクルができていたかを示すユーモラスなエピソードがあります。

 当時、糞尿は、現代のように汚物として金をかけて処理するものではなく、畑の肥料として利用され野菜を育てる有用物でした。

 しかも、近郊の農家が江戸市中の長屋などに汲み取りに来て、代金を払って持って帰るくらい価値ある物だったのです。

 さてそこで、長屋の糞尿は長屋の持ち主の大家さんに権利があるか、それとも出した借家人にあるか、どちらが代金を受け取るかで、もめたという話があるのです。

 こうしたみごとなリサイクル経済の例は他にもたくさんあるのですが、長くなるので省略します(石川英輔『大江戸えねるぎー事情』講談社文庫、参照)。

 とはいっても前回にも指摘したように、しばしば飢饉もあり、医療が未発達で治らない病気も多く、多くの子どもが幼くして死んだり、また堕胎や間引きといった悲惨なことも行なわれたために人口が過剰にならないよう調節されていたのですから、すべてがよかったとはいえません。

 しかしともかく、江戸時代の日本は、ある面ではエコロジカルに持続可能な社会システムの形成という現代の課題を、すでに先駆的にかなりみごとに達成していたという評価もされています(鬼頭宏『環境先進国・江戸』PHP新書など)。

 江戸時代にさまざまなマイナス面があったことを無視するわけではありませんが、しかし大きなプラス面、相当な歴史的達成もあったと捉えるのが妥当ではないでしょうか。


 前近代のプラス面③つながりコスモロジーと倫理感 

 そして、そうした人間同士の平和と人間と自然との調和の達成を支えていた思想・世界観は、神仏・天地自然・祖霊をほぼおなじものと捉える「神仏儒習合」のコスモロジーだった、というのが私の推測です。

 連載の第7回でふれたような倫理の荒廃に関わって、私はここ十年以上、機会のあるごとに「小さい頃、何といって叱られましたか」という聴き取り調査をしています。

 それは、かつての日本人が「なぜ悪いこと――例えば盗みや殺人――をしてはいけないのか、なぜよいことをしなければならないのか」、つまり倫理感をどのようにして子どもに教育していたかを確認したかったからです。

 聴き取りの結果出てきたもっとも典型的な答えは、「罰が当たるぞ」でした。

 では、誰が罰を当てるのかということですが、「神さま」か「仏さま」か「天」か、いちいち区別しなくても、親にも子にもなんとなくわかったのです。

 続いて、「悪いことをすると、地獄に落ちるぞ」というのがありました。

 それから、うそをついた時には、「うそをつくと、閻魔さまに舌をぬかれるぞ」と脅かされます。

 この2つは考えてみると、仏教の神話的な世界観に基づいた脅しです。

 それから、隠れて悪いことをしてばれると、「人は見ていなくても、お天道さまは見ているんだぞ」といわれました。

 これは、天=太陽への信仰、つまり日本古来の民俗神道的な自然崇拝と、儒教(道教も含まれるでしょうが)的な「天」の「道」という考え方から来ていると思われます。

 それから、きわめつけのパターンがありました。

 悪いことをした男の子は、お母さんに襟や首根っこをつかまれて、家に連れ込まれますが、どこに連れ込まれるのでしょうか?

 押入れという答えもありましたが、それは一時的な脅しで、効き目は十分ではなかったようです。

 それよりも仏間なのです。

 昔の地方の家には必ずといっていいくらい「仏間」がありました。

 お母さんは、悪さをした子どもを仏間に連れていき、仏壇の前で、「そこに坐りなさい」と正座させます。

 そしてお説教を始めるかというと、子育ての上手なお母さんは、ここでは始めないのです。

 仏壇にお灯明を灯し、お線香をあげ、正座してしばらく手を合わせています。

 それから、向き直ってお説教をするかというと、ここでもまだお説教は始まりません。

 それどころか、お母さんはただ目に涙をいっぱいに溜めて、「おまえがこんなに悪い子になって、私はご先祖さまに申し訳が立たない」というのです。

 これは、効く子には徹底的に心に染みて効いたようです。

 「オレは、ご先祖さまに申し訳が立たないとお母さんが泣くほど、そんなに悪いことをしたのか。ほんとうに悪かった。申し訳ない」と。

 (もちろん残念ながらそれでも効かない子もいたわけですが。)

 この叱り方というか諌め方のベースにあるのは、いうまでもなく、日本人の基本的な宗教ともいわれる「先祖崇拝」です。民俗神道といってもいいでしょうし、儒教の影響も強くあります。

 重要なことは、親たちはそれらのどれか一種類ではなく、適宜しかもほとんど無意識的に使い分けながら、どれもほとんど同じ意味で使っていたらしいということです。

 それは、周りの大人がすべて共有している考え方でもありました。

 例えば、叱られた子どもが、ワーンと泣いて隣のおばちゃんのところに駆け込むと、おばちゃんは「よしよし」と慰めてくれながら、「でもね、それはお母さんのいうとおりなんだよ。お母さんはおまえのことを思って、叱ってくれているんだよ」とやさしく言い聞かせ、納得させてくれたりしたものです。

 まちがっても、「それはお母さんが違ってる」といったりはしなかったようです。

 (そんなことを言おうものなら、子どもは「うちはよそと違っている。うちはうるさい。うちの親は抑圧的だ。うちの親は間違っている」と勝手な考え方をするようになるでしょう。実際、日本中の家庭でしばしばそうなっているように。)

 だから、子どもたちも何となく、「そうか、みんなそういっている。だから悪いことをしてはいけないんだな」と感じたわけです。

 こうした聴き取り調査から、日本の庶民の圧倒的多数がかなり最近まで、「神と仏と天と自然とご先祖さまはだいたい同じようなものなのだ」というふうな、理論的には漠然とした、しかし心情的・倫理的にはとても強い力をもった世界観を信じていたのだ、ということに改めて気づきました。

 重要なのは、これは仏教、神道(明治以後の天皇制神道ではなく日本古来の民族的宗教としての神道)、儒教のどれか一つだけで成り立っていたのではなく、それらが何となく同じもの・同じことなのだと捉えられていたということです。そういう精神性のあり方を私は「神仏儒習合」と呼んでいます。

 そして人間は、自由に・自分の思いどおりにではなく、そうした「よくはわからないが自分を超えた何か大いなるもの」の道、掟、法……に従って生きるべきだし、そうしてこそ「いい」――つまり倫理的に正しく、社会適応的で、かつ何よりも幸福な――人生が送れるのだという世界観・人生観が、かつては日本人全体に共有されていたのではないでしょうか。

 悪いことをした人間には悪い報いがある、いいことをした人間にはいい報いがある。

 しかもそれは現世でも来世でも、そうなる(因果応報、善因善果・悪因悪果)、悪いことをしたら悪いところ(最悪は地獄)へ、いいことをしたらいいこところ(もっといい境遇や最善は極楽)へ行くことになるのだ、と大多数の日本人が信じていました。

 お盆にお寺参りをすると、本堂に地獄、六道、極楽などの図がかけられていて、子どもはおばあちゃんなどから、「ああいうことになるんだよ」と言い聞かされました。

 その「いいこと・善」の内容も明快でした。

 ご先祖さまを敬い・祀り、家族、特に子孫の繁栄・幸福のために身を粉にして働くこと、村に尽くすこと、目上・お上には素直に従うこと……だったのです(儒教の五常や仏教の五戒や十善戒などと関連して)。

 そして、農業を基本とした社会でしたから、それを可能にするのは豊かな自然だということが実感されていましたし、そもそも自然は神でもあったのですから、それを大切にすること・敬うことが善であるのは当然でしょう。

 それは、例えば「花咲か爺さん」、「舌きり雀」、「笠地蔵」、「養老の滝」といった昔話・伝説にもはっきり現われています。

 つまり、かつて日本は「正直者」、「働き者」、「やさしい人」、「孝行者」が必ず幸せになる国だったのです。

 そういう考え方が、ほとんどの人に共有されていたからこそ、子どもにも効き目があったのです。

 すなわち、明治維新以前までの日本人のほとんどが精神的に共有していたのは、「神仏儒習合」のコスモロジーだったといってまちがいないでしょう。

 言い換えると、何を畏れるべきか、何を恥じるべきか、人は何のためにどう生きるべきか、何が正しくて何が悪いのか、日本人の心の健全さを支えていたのは、神・仏・儒、どれか一つの宗教ではなく、三つの宗教の総合的、まさに「習合的」な力だったと思われます。

 「神仏儒習合」を信じていた日本人には、神仏・天地自然・祖霊と分離した「個人」や「人間」という意識はほとんど皆無だったと思われます。

 それらの自分を超えた「大いなるなにものか(Something Great)」とのつながりの中で自分・人間というものを考えたのです。

 こうした世界観・価値観・人生観は、すべて他とのつながりの中で自分を捉えているという意味で「つながりコスモロジー」と呼ぶことができるでしょう。

 そうした「つながりコスモロジー」が、明治維新までは、全国津々浦々、どこに行っても通用する、いわば「暗黙の国民的合意」だったのではないかと思われます。

 そうした「つながりコスモロジー」が、人間同士の平和という倫理と人間と自然の調和という環境倫理をしっかりと成り立たせ、前近代の日本のプラス面を基盤から支えていた、というのが私の推測です。




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コスモス・セラピー ’09前期授業の成果1

2009年07月26日 | 心の教育

 先週で前期の授業が2コマ終わり、来週もう一回ですべて終わります。

 夏休み、といってもこれから月末か能率しだいではもしかすると8月の第1週くらいまで採点のためまさに「忙殺」されます。

 しかし、次のような期末の感想文をもらうと、今回もやってよかったと思えます(予め匿名で公表することがあるという了承を得ています)。

 1は、「この授業を受けることによってあなたの世界観・人生観・価値観に肯定的変化がありましたか? 0から10までのスケールで答えてください」という設問に対する答えの数値です。
 2は、「授業全体への感想」
 3は、「自信のワークへの感想」です。


  3年男子

1.10

2.この授業を受け、宇宙的視野で物事を見るということが身につき、自分の人生観や日々の生活に対してのプラスの変化がありました。自分を軽く見たり、ネガティブになってしまうときに、この授業で学んだことを思い出して、気持ちを持ち直したりできるようになりました。

3.自分の長所を考えて、はじめは全然思いつかなかったのですが、先生の解説を聞き、判断力やら決断力やら、自分にはこんなにいいところがあったのだと思い、目からうろこでした。自分自身に対して、より肯定的に見られるようになり、大変自分にとってためになる時間でした。ありがとうございました。


  4年女子

1.10!!

2.人生の授業という感じがしました。前向きに生きていこうと感じました!

3.初めて会った人と人生観・価値観の話をするのはめったにないことで、初めは戸惑いましたが、自分とは異なる考えの人の意見を聞くことはとても勉強になりました。これもの先生のお陰ですね!ありがとうございました!!

  2年女子

 1.私は事実として宇宙に認められているということを知り、絶対的な価値があると思えた。この授業を受けるまでは、自分に価値が全くないとも思えないが、そんなに価値があるとも思えませんでした。しかし、今は自信をもって価値があると言えます。今の私は、10の評価ができます。

2.とても変わった授業でしたが、面白かったです。こんなに私の人生に希望をもたせてくれた授業は初めてでした。ぜひみんなにこの授業をすすめたいと思います。

3.自分の長所をほめられるのは少しテレくささが残りますが、素直に嬉しかったです。

 この授業を受けて本当に良かったです。ありがとうございました。



 コスモロジー教育=コスモス・セラピーの効果の報告として、もっとご紹介したいと思いますが、長くなるので、今日はここまでにします。




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環境問題と心の成長 11

2009年07月24日 | 持続可能な社会


 前近代のマイナス面

 いうまでもなく江戸時代・前近代にはマイナス面がありました。それは、連載の第4回目にお話しした近代のプラス面をそのまま裏返せばはっきりしますが、念のために簡単に見直しておきましょう。

 ①まず、技術面では、生産のための動力は人力や畜力であり非効率的で、庶民は重労働を強いられました。
 医療技術は未発達で、幼児の死亡率は高く、寿命はかなり短かったのです。

 経済は、農業や漁業と若干の軽工業で営まれており、生産力の向上はごくゆっくりとしたものであり、社会資本・流通システムなども不十分で、例えば口べらしのための間引きや天災による飢饉での餓死など悲惨なこともありました。

 ②政治は、伝統的な慣習法で営まれており、庶民は「お上」の不合理な扱いに対して合法的に抵抗する手段を持っていませんでした。

 ③特に社会階層は固定的な身分制で、低い身分に生まれた人々は、差別を受け、一生そこから抜け出すことが困難でした(江戸も後期にはかなり身分制が流動的になってきたようですが)。
 そして個々人は、家や親族や村といったしがらみに拘束されて、自分の自由な意志で生きることができませんでした。

 ④文化の領域は、合理主義の目からすれば迷信・妄信といわれるような呪術的・神話的な宗教と、民主主義の目からすれば封建的身分制のイデオロギーと評される儒教によって営まれており、西欧近代のような科学合理主義的な精神は萌芽としてはあっても不十分でした。

 どれを取っても、現代の私たちには信じられないくらいのマイナスです。

 改めてこれだけ列挙すると、日本の前近代はやはり「ひたすら後れていていいところは何もなかった」ような印象を与えるかもしれません。

 実際、筆者も大石慎三郎氏などの著作に触れて学び直すまでは、そういう感じで捉えていました。


 前近代のプラス面①持続する平和

 しかし同じようにマイナス面を裏返すと明快になってくるのは、日本の前近代・江戸時代には大きなプラス面もあったということです。

 その第一にあげられるのは、二百六十年近くも平和な国家を持続させたことです。

 大石慎三郎氏はこう述べておられます。


  ……江戸時代は、約二百六十年余り続くが、その間、内外ともに、一度も戦争していない……一つの巨大民族が、約二百六十年もの間全く戦争せず、平和を楽しみ、その間に文化と富を蓄積していった歴史は、世界にも例を見ない。明治以降、たかだか八十年の間に、対外戦争を繰り返していた日本の動きからは、到底理解できないような状況である。……豊臣政権の残存勢力と戦った大阪冬の陣および夏の陣(一六一四~一五年)と、キリシタン一揆の勢力と戦った島原の乱が終わってのち、十七世紀後半からは、徳川体制化では大政奉還に至るまで、諸外国との戦いはもちろん、大きな内乱もなく、ひたすら平和の時代が続くのである。
             (市村佑一+大石慎三郎『鎖国 ゆるやかな情報革命』講談社現代新書3-4頁)


 先にも述べたようにヨーロッパの近代化は、15世紀末「大航海時代」に始まるアジア、アフリカ、ネイティヴ・アメリカ世界の植民地化と植民地獲得戦争と本質的に一体のものでした。

 大まかにまとめていってしまえば、近世と近代のヨーロッパはひらすら侵略し、たえず争い合っていたのです。

 それに対し日本は、秀吉の朝鮮侵略(1592~3年文禄の役、1597~8年慶長の役)の試みと失敗はありましたが、それ以後、基本的には侵略をしていないのです。

 もちろん、後の松前藩の蝦夷・アイヌに対する政策、薩摩藩の琉球に対する政策は他民族への侵略だったというほかないと思いますが、それは国を挙げて国策として意図的・持続的・広範囲に、というのではありませんでした。

 日本という国全体としては、侵略せず侵略されない平和国家を長期にわたって維持し続けたのです。

 15世紀末以降ずっと植民地化と植民地獲得戦争を続けていた近代ヨーロッパや、明治以降、たかだか80年の間に、対外戦争を繰り返していた近代の日本と、260年近くもひたすら平和な時代を続けていた前近代の日本とを比べて、読者はどちらをプラスと評価されるでしょうか。

 前近代の日本は、はたして「ひたすら後れていていいところは何もなかった」のでしょうか。

 西欧近代的な生産力―経済の発展ではなく、平和の持続をものさしとすれば、むしろこれは大きな世界史的達成だったと評価してもいいのではないか、と筆者は考えています。

 明治維新以降の日本人は、ともすればモデルを西欧に求めるために、歴史に関して近代と近代以前を論じる場合にもおなじことをやりがちだったのではないでしょうか。

 しかし、日本の前近代・江戸時代はヨーロッパの前近代とは決定的に異なる長期の平和の達成という大きなプラス面を持っていたことを、今、私たちは思い出す必要があると思うのです。


 鎖国は自衛手段だった

 そして、一般的・教科書的には日本が後れた原因とされてきた「鎖国」政策も、見方を変えるとヨーロッパ世界による植民地化のグローバリゼーションへの対抗措置というか自衛手段だったと理解できるようです。

 ここでも大石氏の所説を引用しておきます。


  戦国末期、ポルトガル船のわが国来航によって、極東の島国日本ははじめて世界史にとりかこまれることとなった(この段階の西欧人はメキシコ、ペルーの例でわかるように、凶暴きわまりない存在であった)。近世初頭は、世界史にとりかこまれたという初体験のもとでどのように生きてゆくかという難題に、日本が必死の努力をもって対応した時代である。そして〝鎖国〟という体制はその解答であった。
                                (大石慎三郎『江戸時代』中公新書、19~20頁)


 そもそも1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見は、実は黄金の国ジパングの富を求めた航海の怪我の功名だったらしく、1521年のコルテスによるアステカ帝国の征服や1532年ピサロによるインカ帝国の征服と、1543年のポルトガルによる種子島への鉄砲の伝来は、みなおなじ意図――つまり植民地化の野望――の流れにあったと推測してまちがいないようです。

 決して親切にも進んだ文明を後れた文明の人々に伝えようとした、ということではないでしょう(これはずっと後の「黒船」も同じだと思われます)。

 当時の日本が他のネイティヴ・アメリカなどのように暴力的な植民地化の憂き目に遭わなかった理由として大石氏は、日本人の知的素養が高かったことや、頂点だけ押さえればすべてを支配できるような統一的権力がまだ成立しておらず、それぞれかなり強力な軍事力を持った権力がばらばらに存在していて、メキシコやペルーでのような植民地経営方式を採れなかったことなどをあげています。

 わかりやすくいえば、野蛮人扱いをして、蔑視し、騙したり、脅したり、圧殺したりして思いどおりにするには、当時の日本人はあまりに賢くて扱いづらかった、ということでしょう。

 そして統一政権(織田、豊臣、徳川)が確立する過程で、日本人は鉄砲などについても西欧の軍事技術―軍事力にかなり追いつき、鎖国というかたちで西欧人が侵入してくることを拒否し、いわば水際作戦で食い止めるだけの力を蓄えたのです。

 文明(この場合は西欧文明)=善と思い込んでいると、鎖国は先進文明を取り入れる機会を逃した愚かな行為と思えてきますが、日本は交易の相手を西欧諸国の中では比較的無難なオランダと中国に限定することによって侵略を阻止しながら、必要最小限の文明は輸入するという巧妙な方法を選択したとも評価できるのです。

 しかも、言葉の印象で誤解されてきたのと異なり、それ以前の貿易額よりも「鎖国」以後の貿易額のほうが多いのだそうです。

 貿易という面でいえば、むしろ「限定的開国」だったともいえるようです。

 別の言い方をすれば、「鎖国は西欧文明の流入と西欧権力の侵入・侵略の両方を阻止した」といってもいいでしょう。

 そして、侵略しない・加害者にならないだけでなく、侵略されない・被害者にもならない平和な国を持続させるには、当時、鎖国以外の方法は考えにくかったのではないでしょうか。

 江戸期の日本について「天下泰平の夢をむさぼっていた」という言い方を聞かされてきましたが、私は最近、むしろ〔マイナス面もあったけれども一定のレベルで〕「和の国日本という夢を実現していた」と言い換えたいという気が強くしています。




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環境問題と心の成長 10

2009年07月22日 | 持続可能な社会


 近代以前の見直し

 前回、予定を変更して、スウェーデン・フィンランドの視察の簡単な報告を書かせていただきましたが、今回から話を元にもどして、近代以前のプラス面とマイナス面についてまとめていきたいと思います。

 日本の「近代以前」とは、いうまでもなくまず「江戸時代」のことです。

 関ヶ原の戦いで徳川氏が実質的な政治権力を掌握した1600年から明治維新までで計算すると268年、家康が征夷大将軍に任ぜられた1603年から計算すると265年という長い年月にわたって安定した――評価によっては停滞した――時代でした。

 かつて江戸時代・徳川時代は、それを倒した明治の体制にとっても、さらにその崩壊から生まれた戦後体制にとっても、基本的には批判・否定の対象であったため、質量とも圧倒的にマイナス面が注目・指摘されてきたようです。

 確かに連載の第4回目に述べたような欧米の近代化のプラス面と対照すると、江戸時代の日本は「太平の夢をむさぼっている」、近代化が遅れた・停滞した社会だったということになるでしょう。

 それは、学校教育での日本史とその教科書に大きく反映していて、戦後世代は江戸時代についてひたすら「後れていて・封建的で・因習的で・貧しくて・不自由で・古くて」……要するによくない時代だったという印象を与えられてきたのではないでしょうか。

 しかし、最近の日本史の学会では本格的な江戸時代の見直しが行なわれているようです。

 考えてみれば、それは当然のことで、何のプラス面もない社会を約300年にわたって続けさせたとすれば、その国民はよほど愚かな国民であり、しかもその愚かな国民がなぜか突然目覚めてアジア、アフリカ、ネイティヴ・アメリカの中で唯一欧米に植民地ないし半植民地化されることなく近代国家を形成することに成功したという、訳のわからない話になるからです。

 それはそうではなく、長く続くには続くだけの理由があったのであり、近代以前・江戸時代の日本には明らかに大きなプラス面もあったのではないでしょうか。


 江戸時代は「ずっとひたすら貧しく暗い時代」だったか?

 しかし直接プラス面を述べる前に、私たち戦後世代が教えられてきた江戸時代のマイナス面とその見直しについて見ておきたいと思います。

 まず江戸時代は絶えず天災・飢饉・飢餓に悩まされ、特に百姓は重税を搾り取られて、きわめて貧しく暗い時代だったという印象があるのではないでしょうか。

 しかし最近の研究(佐藤常雄+大石慎三郎『貧農史観を見直す』講談社現代新書、等)によれば、「百姓は生かさず殺さず…」という言葉で教えられた重税・搾取という印象は、初期にはある程度当てはまるとしても、中期以降次第に農業の生産力も上がってきて、税も一定額を納めれば、あとの余剰は百姓が自由に使うことができ、中農以上であれば比較的余裕のあるのどかで豊かな生活をすることができるようになっていたようですし、そうした社会全体の生産力の向上を反映して江戸や大阪などは世界でも有数の人口を抱える豊かな都市に成長していたようです。

例えば芭蕉や蕪村の俳句には、そうしたのどかで豊かな日本の風景が描かれていいます。

 もちろん天災・飢饉の時や低い階層に貧しさがなかったというわけではありません。

 しかし、少なくとも「江戸時代はずっとひたすら貧しく暗い時代だった」という「残酷物語」的な印象は、暗い面・厳しい時期に焦点を当てたすぎた印象のようです。

 それは、マルクス主義的な進歩主義史観の影響下にあった戦後日本史学界の主流の学者が書いた教科書によって描かれた、ある意味で「作られた」イメージでしょう。

 ところが、渡辺京二氏の画期的な名著『逝きし世の面影』(平凡社)によれば、江戸末期・明治初期の日本の農村は、明るく豊かで、「楽園(パラダイス)のようだった」という証言があるのです。

 これは、連載のテーマにとって非常に重要なので、かなり長くなりますが、何個所か引用・紹介させていただきます。

 例えばペリーは、第二回遠征の時に下田に立ち寄って、「人びとは幸福で満足そう」だと感じたようですし、ロシア艦隊の一員として1856年に来日した英国人ティリーは、函館での印象として「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」と言っています。

 1860年、通商条約締結のため来日したプロシャの使節団の遠征報告書の中には、「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」と述べられており、また1871年に来朝したオーストリアの外交官ヒューブナーは、「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」と書いているそうです。(第二章「陽気な人々」より)

 私も最初、そうした印象は初めて東洋を見た西洋人の「異国趣味(エキゾチシズム)」的な善意の誤解で「美化されているのではないか」という疑いの思いをもって読みはじめました。

 著者渡辺氏自身、次のように述べています。


  日本が地上の楽園などであるはずがなく、にもかかわらず人びとに幸福と満足の感情があらわれていたとすれば、その根拠はどこに求められるのだろうか。
 当時の欧米人の著述のうちで私たちが最も驚かされるのは、民衆の生活のゆたかさについての証言である。
 そのゆたかさとはまさに最も基本的な衣食住に関するゆたかさであって、幕藩体制下の民衆生活について、悲惨きわまりないイメージを長年叩きこまれて来た私たちは、両者間に存するあまりの落差にしばし茫然たらざるをえない。(第三章「簡素と豊かさ」より)


 しかし、丹念に集めたきわめて豊富で信頼できる資料を元に書かれた約600頁にもわたる本文全体を読み通した後では、それはむしろきわめて正確な観察―証言であることを納得させられ、とりわけ以下の個所などには深く感動させられてしまいました。


 プロシャ商人リュードルフはハリスより一年早く下田へ来航したのであるが、近郊の田園について次のように述べている。
 「郊外の豊穣さはあらゆる描写を超越している。山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている」。……

 ケンペルは二世紀も前に、「彼らの国は専制君主に統治され、諸外国とのすべての通商と交通を禁止されているが、現在のように幸福だったことは一度もなかった」と述べているが、結局彼は正しかったのではないか。……
 「……荒っぽくてきびしい司法行政を有するこれらの領域の専制的政治組織の原因と結果との関連性がどうあろうとも、他方では、この火山の多い国土からエデンの園をつくり出し、他の世界との交わりを一切断ち切ったまま、独力の国内産業によって、三千万と推定される住民が着々と物質的繁栄を増進させてきている。
とすれば、このような結果が可能であるところの住民を、あるいは彼らが従っている制度を、全面的に非難するようなことはおよそ不可能である」。(第三章「簡素と豊かさ」より)


 そして、本連載のテーマにとって特に重要なことは、右のような日本の豊かさは、農学的・生態学的視点からすると、そのまま自然を破壊することなく何百年も続けることのできるような循環型の生産システムによるものだった、と評価されているということです。

 つまり、多くのマイナス面にもかかわらず、日本の近代以前・江戸時代は、あるレベルで「エコロジカルに持続可能な社会」を確立していたと見ることもできるのです。

 そのあたり、次号以降さらに見ていきたいと思います。




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トランスパーソナル心理学重版のお知らせ

2009年07月17日 | 心の教育

 しばらく品切れでご不自由をおかけしていましたが、先般、拙著『トランスパーソナル心理学』(青土社、本体2200円税別)が久しぶりに重版になりました。

 1990年の初版ですから、足かけ20年、出されては消えていく本の多い時代に、絶版にならず生き残ってきたことは、支えてくださった読者のみなさんのおかげです。

 お待ちくださっていた読者のみなさん、本当にお待たせしました。どうぞお買い求めください。



トランスパーソナル心理学
岡野 守也
青土社

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シビアな社会の中で優しくあり続けるためには

2009年07月15日 | メンタル・ヘルス

*今日、O大のチャペル・アワーの講話をしてきました。純粋な、優しい心をもった若者が学校を出て社会に入ると、しばしば折れてしまうのを見てきて、何とか賢く強くなってほしいと思い、現役の学生諸君にメッセージを送りました。100人以上のキリスト教とはこれまでほとんど無縁だったらしい学生諸君が、真剣に耳を傾けてくれました。「残念ですが、今日用事があって出席できないんです。後で、話の要点だけでも教えてもらえませんか」という学生もいたので、原稿を掲載することにしました。




 わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。(マタイによる福音書10・16)


 前回もいいましたが、いうまでもなく聖書はキリスト教の聖典です。

 そのためにキリスト教徒でない学生のみなさんのなかにはしばしば、「聖書はキリスト教徒にとっては意味があるかもしれないが、キリスト教徒でない自分には意味がない」と思っていて、「キリスト教大学で義務だから」と感じながらしかたなく学んでいる人がいるようです。

 しかしちゃんと読んでもらうと、キリスト教徒であるないに関わらず意味のある、よりよい人生のヒントになる言葉がたくさん含まれています。

 せっかくキリスト教大学に来て、キリスト教の授業があるのですから、それを有効利用して、これからの人生のためになるヒントをしっかりと自分のものにしてもらうといいのではないかと思っています。

 さて、今日のこの箇所は、直接的にはイエスが弟子たちを宣教・布教のために外部へ派遣する時の注意の言葉です。

 しかし、基本的にはいつも自分を保護してくれ、少々の失敗など許してくれる家庭や、そこまで優しくはなくてもやはり生徒・学生を大切に育てようという基本姿勢のある学校から、やがてシビアな・厳しい社会に出て行かなければならない学生のみなさんにもヒントになることが語られていると思います。

 話に入る前に注意しておくと、いうまでもなく、「狼」とか「羊」とか「鳩」というのは喩えです。

 特に狼の名誉のためにいっておくと、動物行動学の学者が詳しく観察した本当の狼は人間が勝手に思い込んでいるのよりもはるかに平和な生き物であるようです。

 それはともかくとして、まず社会というのは「狼の群れ」のようなものだといわれています。

 それは、狼はいつも餌・食い物になる生き物を求めているということです。

 そこに「羊」のように優しいけれども弱い生き物が入っていくと、当然ながら「食い物」にされてしまう、というのです。

 もしその肉がまずくて食い物にもならないようだったら、当然見捨てられてしまいます。

 現代の日本社会は、みなさんもおわかりのとおり資本主義社会であり、利益追求が原理であり、利益をめぐって会社同士が闘っている競争社会です。

 そこに入っていく、具体的にいうと就職するということは、ほとんどの場合、利益追求に貢献することを求められるということです。

 (もちろん、多少条件は悪くても、あえて「非利益団体」に就職するという選択肢もないわけではありませんが。)

 基本的に利益追求のために存在している会社がみなさんを雇用する目的は「利益」です。

 残念ながら、みなさんの人格や生活や幸福は最終的目的ではありません。

 比較的社員を大切にしてくれる「いい会社」もありますし、なるべくそういう会社を選んで就職できることを祈りますが、いい会社でも会社の利益に反してまでみなさんを守ってくれるということはないでしょう。

 会社自体、他の会社と利益追求の競争をしていて、生きるか死ぬかの闘いをしているわけで、あなたが会社の利益に貢献するかぎりはいい待遇をしてくれますが、貢献できなくなってもあなたを待遇してあげるという余裕・優しさはあまりありません。

 特にこんな大不況の時代になってくると、ほとんど、まったくといっていいくらいなくなりつつあります。

 そういう意味で、イエスの時代だけでなく現代の日本もとてもシビアな・厳しい社会です。

 イエスは、そういうシビアな社会に入っていくに際しては、純粋で優しくて弱くてというだけではダメだといっています。

 「蛇のよう」な賢さが必要だというのです。

 聖書では「蛇」というのは世界の始めての人間であるアダムとイヴを誘惑して「知恵の木の実」を食べさせ、神から楽園を追放される原因を作ったずる賢い生き物として描かれています。

 イエスという人は、私たちに愛情豊かで純粋で、でも弱い人間になることを求めているという誤解をしている人がいますが、この箇所を読むとまるで違うことがわかります。

 この社会で生き延びるためには、蛇のようにずる賢いくらい賢くあっていい、それどころかそうである必要がある、といってるのです。

 学生のみなさんが仕事について話す場合、よく聞くのは「やりたい仕事」という言葉です。

 確かにどうせやるのならば自分のやりたい仕事であったほうがいいでしょう。

 しかし、そこで多くのみなさんが見落としているのは、雇う側・会社が「やらせたい仕事」は何か、ということです。

 雇う・雇われるという関係では雇う側が圧倒的に主導権をもっていることはいうまでもありません。

 そして、雇うには雇う目的、「やらせたい仕事」があるのです。

 会社がやらせたい仕事をやる人材を求めているのであって、自分のやりたい仕事をやりたい人間を求めているのではありません。

 それはシビアな事実です。

 会社のやらせたい仕事の目的は、基本的に「競争社会にあって競争に勝って利潤をあげること」です。

 そういう会社の「やらせたい仕事」が先で私の「やりたい仕事」はその後、あえていえば、後の後だという、そのシビアな事実をしっかりと認識するのが、賢さの第一歩だ、と思います。

 しかし、それだけではありません。

 会社がやらせたい仕事は何かをしっかりと見極めたうえで、自分のやりたい仕事とどう一致させることができるか、せめて妥協させることができるかをしっかりと見抜くのが、賢さの第二歩だ、と私は思うのです。

 これまた残念なことに、社会は私を中心に・私のために回っているわけでありませんから、必ずしも私の希望と社会の要求は完全には一致しません。

 それどころか、一致しないことのほうが多いようです。

 そのことをシビアに認識して、覚悟して、腹に収めて、どの程度一致させることができるか、せめて妥協できるかをシビアに見極める賢さが、ぜひ必要だと思います。

 しかし聖書の話は、そこで終わりではありません。大事なのはむしろその次です。

 「蛇」のような賢さをもった上で、しかし「鳩」のような素直さ・純粋さ・優しさをもち続けるように、といっているのです。

 鳩は古代ユダヤでも現代日本でも、平和の象徴です。

 平和ということは、ただケンカをしないという消極的なことではありません。むしろ、積極的に協力あるいは連帯していくということです。

 人間の本質は競争やまして闘争にではなく、協力・連帯・愛にある、というのがイエスそしてキリスト教の基本的な主張です。

 そして、イエスやキリスト教がいおうというまいと、事実、人間は、人と競い争っている時には決して心が安らかでなく、幸福ではありません。

 協力しあい連帯し愛しあっている時にこそ、安心感や幸福感を味わうことができるというふうに、もともと出来ているのではないでしょうか。

 強がったり、つっぱったり、すねたり、かっこつけたりしないで、そういう人間の本質を素直に認める必要がある、と思います。

 しかし、ここで分析・解明している時間の余裕がありませんが、さまざまな歴史的・社会的な事情があって、古代のユダヤ社会も現代の日本社会も人間の本質を実現した社会ではなく、むしろ人間の本質には反したような社会です。

 そういう社会の中にあって、人間にとっていちばん大切な素直で優しい心を決して失うことなく、しかもちゃんと生き延びていくには、相当に、ずる賢いくらい賢くある必要があるのですが、その結果、ひたすらずる賢いだけになって、肝心の素直で優しい心を失ってしまっては、いわば本末転倒です。

 意識的に「鳩のように素直でありなさい」「素直で優しくあり続けなさい」とイエスは命令形で語っています。

 そうしないと、たとえ社会での闘いに勝てたとしても、生き残れたとしても、決して人間として本当にいい、クォリティ・質の高い人生を送れないからです。

 クォリティ・オブ・ライフ=人生の質という言葉がありますが、クォリティ・オブ・ライフの高い人生を送りたいのなら、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」というのが聖書の勧めですし、私のみなさんへの勧めでもあります。

 昔々の映画に『カサブランカ』というのがありましたが、その中でハンフリー・ボガードという男っぽくて強い男優の主人公がいう名セリフがあります(*記憶違いを指摘してくださる方がありました。レイモンド・チャンドラー『プレイバック』に出てくるセリフだそうです)。

 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない」。

 私は、それに加えて、現代社会での強さは肉体的・筋肉的強さだけではなく、なによりも「賢さ」という心の強さ・メンタルタフネスであり、そういう強さがなければ生きていけない、けれどももう一方、確かに素直で優しい心を保ち続けなければ、生きている意味を感じられなくなる、といいたいと思います。

 さて、いかがですか、聖書には学ぶ値打ちのあるいい言葉がある、と思いませんか。




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環境問題と心の成長 9

2009年07月11日 | 持続可能な社会

   環境問題と心の成長 9


 *以下の記事は、すでに書いたスウェーデンに関する記事とかなり重なっていますが、連載記事なので、省略しないで掲載することにしました。関心をもっていただけた方は,
関連記事をお読みください。





 環境先進国・北欧への旅

 私事のようで恐縮ですが、テーマに深く関わっていますので、予定を変更して、最近(2008年2月18日~27日)、行ってきた環境視察の旅で感じたことを書かせていただこうと思います。

 企業の社会的責任として本気で環境問題に取り組んでいる株式会社はせがわの依頼で、スウェーデン・フィンランドの環境に対する取り組みの視察に講師として同行してきました。

 寒さの厳しい時にあえて北欧というのは、暖かいところに生まれ今も暖かいところに住んでいて寒さの苦手な私にはかなり覚悟のいることでしたが、「やはり行っておかなければならない」という気持ちでお引き受けした、作家小田実さんの本の名前を借りていえば「義務としての旅」でした。

 なぜスウェーデン・フィンランドなのかというと、この2つの国は環境についても福祉についても経済についても、実にたくみな国づくりをしていて、3つをみごとにバランスさせており、これからの日本にとって非常に重要なモデルになると思われるからです。

ちなみに、ここのところ信頼していいと思われるさまざまな組織・調査機関が種々の「国際比較ランキング」を公表しています。

国際自然保護連合が環境や福祉や経済といったさまざまな要素で評価した「国の持続可能性ランキング」では第1位スウェーデン、第2位フィンランドでした。ちなみに日本は残念なことに第24位です。

 またアメリカの有名な総合雑誌「リーダーズダイジェスト」が調査した「環境的住みやすさランキング」では世界の141カ国のなかで第1位フィンランド、第4位スウェーデン、日本は第12位です。

 福祉の充実度が両国とも世界の最高水準にあることはいまさら言うまでもないでしょう。2006年、イギリス・レスター大学の研究者ホワイト氏が178カ国を対象に調査・査定した「国民の幸福度ランキング」というのもあるのですが、これでは第1位デンマーク、第2位スイス、第6位フィンランド、第7位スウェーデンです。そして日本は、なんと90位です。

 そこまで環境や福祉に力を入れている――つまり国家予算を使っている――と経済に問題が生じているのではないかと思われるかもしれません。

 しかし経済の「国際競争力ランキング」では、世界経済フォーラム(WEF)の評価によれば、2006年度、第1位スイス、第2位フィンランド、第3位スウェーデンで、日本はここまで経済に集中してきているにもかかわらず第7位にすぎません。

 国際経営開発研究所(IMD)というより産業主義的な機関の評価では、国際競争力の第1位はアメリカとなっていますが、それでもスウェーデンは第9位、フィンランドは第17位、日本は24位です。

 そしてドイツに本部のある民間組織が行なった2005年の「政府の透明度ランキング」では、第1位アイスランド、第2位フィンランド、第6位スウェーデン、日本は第21位です。

 こうしたいくつもの国際比較評価を見てみると、スウェーデン・フィンランド(より広く言えば北欧)が福祉と環境という現代の大きな問題についてしっかりとした解決への道を歩みながら、経済的にも豊かな、実にバランスの取れた「いい国」をつくっていることはまちがいなさそうです。

 今回の視察は、そうした文献その他から得た「まちがいなさそう」と考えられる情報について、現地に行って実感的にも「まちがいない」と感じられるかどうかを確かめることが一つの目的でした。

 そして、まちがいないとしたら、なぜスウェーデン・フィンランド、北欧諸国ではそういうことが出来たのか、特に国民性つまり国民の心がどうなっているのかを直接に人々に触れて知りたいというのが、もう1つの、ある意味でより重要な目的でした。

 第1の目的については、スウェーデンが1996年に国の方針として発表した「エコロジカルに持続可能な社会」を25年計画で構築するというヴィジョンは、着々と実行されつつあると見てまちがいないという、確かな感触を得ました。

ここ2年あまりの学びがスウェーデンに集中していたので、フィンランドや北欧全体についてはまだ知識不十分の類推ですが、それもまちがいなさそうです。

 スウェーデン・北欧にはできて、日本にはできていない。それはなぜか、ということが本連載のテーマと深く関わっているので、私事のようですが、あえてお話しているわけです。

 内容については、今後の連載で徐々に掘り下げていくことにして、結論だけ先に言ってしまえば、それは国民の心の成長度の違いによると判断してまちがいないでしょう。

 あるいは、北欧の人々は近代的なばらばらコスモロジーに陥ることなしに健全な合理性を身に付けて近代化をすることができ、その上でさらに近代を超えるような成長に向かっている。

 それに対し日本人は急速でかなり無理のある近代化をせざるをえなかったために、極端な近代的ばらばらコスモロジーに陥り、心の成長が停滞している、というふうにいってもいいでしょう。

 迫る危機

 フライトは、フィンランド航空で成田昼過ぎ発。ロシア上空を地球の自転とちょうど逆に十時間ほど飛ぶので、フィンランドの首都ヘルシンキの空港までずっと昼間でした。

 実は私にとって初めてのヨーロッパ旅行でもあるので、とても新鮮で、時差ボケしないためには寝ておいたほうがいいと思いつつ、しばしば目を開けて眼下に広がる白いロシアの大地を何度も何度もカメラに収めました。

 とりわけ北極海と陸地の境目あたりを飛んでいて、陸地との境目がくっきりわかれて模様になっているところを見ながら、その美しさに感動しました。

しかし、後から気づいてみると、それは北極海に凍っていない部分がたくさんあったということのようで、感動してばかりはいられないことだったようです。

 ヘルシンキ空港に降りてみると、なんと雪はまったくなく、恐れていたような寒さもありません。乗換えでスウェーデンの南部ヨーテボリに向かいましたが、ヨーテボリにも雪はありませんでした。

 聞いてみると、「250年ぶりの雪のない冬」なのだそうです。

 それは、ヨーテボリからストックホルムまでの列車の旅の窓の外の風景もそうでしたし、ストックホルムにも雪はありませんでした。

 ストックホルム港から大きな客船でヘルシンキ港に向かいました。

 バルト海は凍結しておらず、ヘルシンキ港では何隻もの砕氷船が暇そうに停泊していました。

 長年フィンランドにおられる日本人ガイドさんによれば、こんなことは経験したことがないということでした。

 旅行の後半に行った、フィンランドのもっとも北の方、サンタクロース村のあるロバニエミではさすがに雪がありましたが、道の両側に積んである雪は2メートルもありませんでした。

 サンタクロース村では、少し前まで雪がなく様にならなくて困っていたそうです。村は、北極圏の入口にあるのですが。

 さらにロバニエミからスウェーデンの最北部のキルナまで、うっすらという感じに雪のある高速道をバスで何時間も走りました。

 雪をかぶった――包まれたり、埋もれたりではなく――白樺や樅の果てしなく続く美しい道でした。

 途中、運転手さんが、「毎年マイナス30度にもなるのに、今年は寒くてもせいぜいマイナス20度くらいにしか下がらず、寒さでほとんど死んでしまうはずの病害虫の卵が生き延びてしまって、暖かくなってから白樺などのやわらかな葉を食べて森に大きな被害を与えるのではないかととても心配だ」と話していました。

 日程を終えて、ふたたびフィンランド航空で成田にもどりましたが、北風が強くスウェーデンやフィンランドよりよほど寒く感じました。

 ほんとうに異常気象・気候変動です。

 危機はもうごく身近にまで迫っていると感じたことです。マスコミ的話題にはされていますが、日本人はほんとうに適切な行動を取ろうとしているでしょうか。




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環境問題と心の成長 8

2009年07月10日 | 持続可能な社会
   環境問題と心の成長 8



 ばらばらコスモロジーとミーイズム

 すでに述べてきた通り、近代のばらばらコスモロジー的な見方によって、絶対なるものが見失われると、倫理の絶対の根拠が見失なわれます。

 絶対の根拠が見失なわれると、個人の尊厳=個人が大切・自分が大切という考え方は、自分だけが大切という考えに陥る危険があります。「エゴイズム」です。

 しかし、多くの平均的な市民を見ると、「エゴイズム」という言葉が当てはまるほどひどい倫理の崩壊状態には至っていないようです。

 けれどももう一方、あえて自分が、苦労したり大きな犠牲を払ってまで、人のために尽くす、社会のために尽くす、環境のために努力をするという熱意を持った市民が非常に多い、どんどん増えているというふうにも見えません。

 (もちろん一定程度存在することは十分承知していますが、社会の方向そのものを変えるような質・量になってないことも確かです)。

 法律的また倫理的にあまり悪いことはしないけれども、かといってそれほど積極的に良いことをしようという熱意はなく、とりあえず自分や自分の周りの人たちさえよければいいという考え方・姿勢のことを「ミーイズム」と呼んでおけば、日本のかなり多数の市民たちがミーイズムの状態にあるのではないか、と私は見ています。

 西欧の民主主義における「市民(citizen)」とは厳密に言うと、自らの理性を十分に発揮して、自分自身の生活と、それだけでなく自分の属している社会とをよりよいものへと進歩させていくことに、一人の人間として応分の責任を取るような人間を指すのではないかと思います。

 つまり、一定程度の水準に達したヒューマニストが「市民」なのです。

 そういう意味でいえば、現代日本の平均的な市民の多くは正確には、「市民」というよりは「小市民」あるいは「大衆」と呼んだほうがいいのではないか、という気さえしてきます。

 そして、そうした大衆のミーイズムは、程度の軽い、しかしやはりエゴイズムの一種である、と私は捉えています。

 ミーイズムであれエゴイズムであれ、「自分さえよければいい」というのが基本的な姿勢ですから、自分が損をしてまで、他の人や自分ではない次の世代や他のすべての生命のために何かをするということがないのは、当たり前といえば当たり前です。

 日本人の多くが、小市民ないし大衆という状況にあり、その心がミーイズムやエゴイズムという状態にあるかぎり、環境問題への積極的な取り組みは起こりえず、もちろん問題の解決もありえないでしょう。


 ささやかな幸せ――小市民と庶民の違い

 確かにミーイズム状態の小市民は、「エゴイズム」という言葉の印象ほどひどい状態になりませんし、「快楽主義」という言葉の印象ほどひどいことはやりません。

 自分(たち)のささやかな幸福を追及しているだけなのですから、「どこがいけないんだ」と思われるかもしれません。

 「民衆・庶民というものはいつの時代でもそんなものだ」と言う方もあるかもしれません。

 しかし私は、そうではないと思うのです。

 戦前の日本社会、さらには江戸時代の日本社会の民衆・庶民は、自分の所属する地域社会や村に対して非常に強い責任を感じ、また実際に責任を果たしていたのではないかと思われます。

 ささやかな幸福を追求するという点では、確かにかつての民衆・庶民も現代の小市民・大衆も同じといえば同じです。

 しかし、小市民の幸福主義は範囲が自分だけかせいぜいごくわずかの身の回りの人たちに限られているという点で、かつての民衆・庶民のささやかな幸せを願う心とはかなり質が変わってきていると私には見えます。

 「マイホーム・エゴイズム」という言葉もあるとおりです。

 かつての日本の庶民のささやかな幸せの願いは、家族のために朝から晩まで働くことや村の共同作業に汗を流すこと、ご先祖さまの冥福つまり冥土での幸福を心から願い、子孫の繁栄・幸福のために自分を犠牲にすることとつながっていたのではないでしょうか。

 そうしたかつての庶民のささやかな幸せへの願いは、幸せの基盤は豊かな実りであり、豊かな実りの源泉は豊かな自然であることの認識を含んでおり、その豊かな自然を守ろうという強い意志や行動とひとつのものだったと思われます。

 近年、歴史学の世界で江戸時代の見直しが行なわれてきているようですが、江戸時代には、自分が生きている間に切って使うことのない木を山に植え、「百年、二百年後の子孫が切って使えばいい」と考えて、汗水たらし苦労して世話をしてくれた、ご先祖さまらしいご先祖さまがごく普通のようにたくさんいたのです。

 それに関していつも思い出す一つのエピソードがあります。

 兄から聞いた話ですが、夏八月に郷里に帰省した時、暑い日盛りに義理のお父さんが近くの小川の底ざらいをしていたというのです。

 兄が「この暑いのに何をしているのか」と聞くと、「川にガラスがあると、子どもたちが怪我をするといけないから」と答えたそうです。

 そこで兄が、「うちの子どもたちはもう大きいから川で遊んだりしないよ」と言うと、「あの子らの子が遊ぶ時、怪我をしたらいけないからね」と言ったそうです。

 しかしその時、まだひ孫は生まれていなかったのです。

 まだ生まれてきていない子孫のために豊かで安全な自然環境を守らなければと思い、自分の苦労を厭うことなく働くという気持ちをもったお年より・ご先祖さまは、つい最近まで日本にはたくさんいた――今も少しは残っていますが、ほとんどいなくなりつつある――のではないでしょうか。

 自然の大切さを知っており、また実際に自然を大切にするという点について言えば、かつての庶民は現代の小市民よりもはるかに優れていたようです。

 より広く言えば、自然との関係に関しては、近代は必ずしも前近代より優れているとは言えないのではないでしょうか。

 やがてまとめてやや詳しく述べたいと思っていますが、近代についてプラス面とマイナス面を見たのと同様に、近代以前についてもプラス面とマイナス面をしっかりと見た上で、近代以前のプラス面と近代のプラス面を統合するようなかたちを構想することによってのみ環境問題の解決のメドは見えてくるだろう、と私は考えています。


 快楽主義と大量消費社会

 さて、話を少し戻します。

 小市民の幸福主義も含む広い意味での「快楽主義」では、いちばん大事なのは自分の快楽の量ですから、当然ながら快楽をもたらす「物」の大量消費に向かうことになります。

 鶏が先か卵が先かという話に似て、快楽主義が先か大量消費社会が先かを決定することは難しいでしょうが、相互に循環し促進し合う関係にあることは間違いないと思われます。

 近代人が快楽主義的になればなるほど大量消費社会も拡大発展し、大量消費社会が拡大発展すればするほど小市民も快楽主義的になって来たといっていいのではないでしょうか。

 すでに述べたような入り口と出口での限界が顕在化しない間は、快楽主義と大量消費社会の相互促進は非常にいいことであるように見えました。

 たくさん作ってたくさん売り、たくさん買ってたくさん消費すればするほど、経済は活性化するのですから。

 そうした近代人の快楽主義と大量消費社会の相互促進が、資源の大量消費と大量廃棄による自然の汚染という環境問題に深いかかわりがあることは、もはや言うまでもないでしょう。

 これはまさに「悪循環」と言うべき状態であり、この悪循環を断ち切ることなしには、環境問題の解決はありえません。

 しかし、日本では現に大量消費社会というシステムによって日々の生活が回っているのですから、そうとう本気にならないかぎり、変えることはできません。

 そして、快楽主義・幸福主義やエゴイズム・ミーイズムという心の状態では、本気になどなれるわけはありません。

 消費社会をどうするかというのは社会システムの問題であり、快楽主義やエゴイズムをどうするかというのは心の問題です。

 何度も言ってきたことですが、環境問題は、多くの方が考えているのと異なって、単に技術で解決することができないのみならず、社会システムの変更だけでも解決できない、心の問題の解決も必須だ、そもそも心が本気にならないかぎり社会システムの変更もできないのだから、と私は考えています。



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環境問題と心の成長 7

2009年07月08日 | 持続可能な社会

   環境問題と心の成長 7



 ばらばらコスモロジー―無神論―倫理の崩壊

 近代のばらばらコスモロジーの見方からすれば、世界はすべてばらばらの物で出来ていて、心も物の働きにすぎないということになります。

 それだけでも「すべてには絶対の意味はない」というニヒリズムを招きます。

 ところがそれに加えて、すべてを物に還元する見方からすると、物質として実在を検証できないような「神」――日本でそれに当たるのは「神仏・天地自然・祖霊」――という精神的存在は神話や迷信として否定されることになります。

 近代科学に伴う無神論です。

 近代的な無神論には、迷信の否定という意味で一定の妥当性があると思いますが、しかし重要な欠陥もあるのです。

 もし神つまり絶対なる者が存在しないのならば、「絶対なる者が定めた絶対の掟・倫理というものも存在しない」ことになります。

 倫理や法律などの社会的規律はすべて、人間が決めた相対的なものにすぎないということになるからです。

 そうなれば、私ではない誰か他の人間という相対的存在が私の関知しない所でいわば勝手に決めた掟を、私が絶対に守らなければならない理由はなくなります。

 もちろん社会的ルールは、守らなければ、非難されたり処罰されたりするでしょう。

 しかし、「非難されても、処罰されてもかまわない」と居直ってしまえば、守る必要はなくなります。

 ふつう多くの平均的な市民はそこまで思ったりはしませんが、ふてくされ居直ってそう思い実行する犯罪者・「懲りない面々」が現に相当な数いるのではないでしょうか。

 それに、隠れたところをも見ている神(あるいは神仏)がいないとなれば、陰で隠れてやってばれさえしなければ、処罰を受けることもありません。

 隠れてうまいことをやった者の勝ちです。

 現代日本では、遊びで万引きをする青少年から汚職や偽装をする政・官・財界の大人たちまで、無神論と結びついたニヒリズムがもたらすそうした倫理の崩壊(モラル・ハザード)が蔓延しているように見えます。

 さらに、人間は死んだら物に還元して終わりであり、死後の生などないと思うと、死後の報い(地獄に堕ちる等)もないわけですから、「もう生きていたくないから死んでもいい・死にたい」と思った人がひどい犯罪を犯すことを止める内面的な歯止めはどこにもなくなってしまいます。

 実際すでに、「生きていたくないから、社会への仕返しに人を殺して、死刑になってもいい」と考え、実行した、人間が一人二人ではなく何人も現われており、死刑になった人もいます。

 それらは深刻な「ニヒリズムによる犯罪」だ、と私は捉えています。

 もちろん近代だけでなくいつの時代にも、倫理感の崩壊した人間は多かれ少なかれいたようです。

 しかし現代では、ニヒリズムの蔓延によってその数や比率が急速かつ深刻なレベルまで増大しつつあるように思えます。

 そして、人間同士での倫理感さえ崩壊した人物にとって、人間と自然・環境の倫理などまったく心の片隅にさえ浮かんでこないことは言うまでもありません。

 やや結論を先取りして言ってしまうと、環境倫理が守られなければ環境が守られることはありえず、倫理が成り立たなければ環境倫理は成り立ちません。

 そして、ニヒリズムが克服されないかぎり倫理は絶対的な意味では成り立ちませんから、環境倫理も成り立たず、したがって環境も守られないでしょう。

 環境問題の解決には、一見遠い話のように思える、ニヒリズムの克服―倫理の再確立という心の問題の解決も必要・不可欠である、と私は考えています。


 ニヒリズムと自殺・うつ

 さて少し結論を急ぎすぎましたので、話を元にもどします。

 近代的なばらばらコスモロジーでは、人間の心もいのちもすべてが物質であり、かつ神は存在しませんから、突き詰めると必然的にニヒリズムに陥ります。

 ニヒリズムに陥ると、モラルや法律を犯してはいけない理由、人を殺してはいけない絶対的な理由が見えなくなります。

 (連載のもっと後で述べるように、「なくなる」のではなく、「見えなくなる」だけだ、と私は考えていますが)。

 そしてさらに同じわけで、自分という人を殺してはいけない・自殺してはいけない理由も見えなくなります。

 生きていることには絶対の意味はなく絶対の倫理もない(と思う)ということは、「つらくても苦しくても悲しくても、命のある間は生きていなければならない=絶対に死んではいけない」理由がない(ように思える)ということです。

 そうすると、何かつらく苦しく悲しいことがあると、生きていけないという気分になり、簡単に死にたくなり、実際に死んでしまう=自分を殺してしまうという結果になります。

 そういう悲惨な出来事が、現代の日本では現実に日々起こっているのではないでしょうか。

 若者に関しては、これまた「いつの時代でも若者は自己確立の悩みを経るのであって、死にたくなったりしたものだ」といった言い方もできないことはありません。

 確かに、「ニヒリズム自殺」は、最近始まったことではないようです。

 しかし私が大学の現場で若者たちと接触している実感からも、アンケート調査からも、そしてより広範な社会調査からも、若者たちのリストカット、自殺願望、自殺未遂、実際の自殺などに行動表現(アクティングアウト)された「生きている意味がわからない」=「なぜ自殺してはいけないのかわからない」という心の状態は質量ともに深刻化しているように思われます。

 生きる意味がわからない・死にたいという心理状態に陥りながらも「何となくいけないことだと思う」とか、「家族が悲しむから」とか、「やっぱり恐い」といった理由で死なないでいる人のかなりは、「うつ」状態に陥るなど心を病んでいます。

 生理的には生きていても心理的にはかなりの程度死にかかっていると言ってもいいでしょう。

 自殺を考えたりうつに陥ったりしている人が「自分のことで精一杯」になって、環境のことなど考えられないのは当然すぎるほど当然のことです。


 ニヒリズムとエゴイズム・快楽主義

 しかし現代人、特に若い世代の多くは、突き詰めるとニヒリズムに陥りうつになってしまう危険をなかば無意識的に感じ取っていて、いわば「生き延びるための戦略」として、前回あげたエピソードの女子学生の友人のように突き詰めて考えないようにしているのではないでしょうか。

 これも前回述べたことですが、突き詰めて考えなくても、熱心なヒューマニストになるのなら、とりあえずそれはそれでいいのですが、多くの場合そうはなっていないようです。

 では、どうなるのかというと、一方では個人主義的なヒューマニズムを学校などで建前として教わりながら、もう一方では倫理の根拠を見失っているために、「個々の人間にはかけがえのない尊厳・権利がある」といったヒューマニズムの考え方を「個人=自分がいちばん大事」というふうに矮小化して受け取ってしまうようです。

 私は学生へのアンケートに「自分の人生は自分のものだ、と思いますか」と「人間は結局自分がいちばん大事だと思うものだ、と思いますか」という項目を入れていますが、この2つの問いにも80~90パーセントが「そう思う」と答えます。

 ヒューマニズムの倫理ではいちおう「自分が大事なのはみんなそうなのだから、他人も大事にしなければならない」ということになるのですが、そうしなければならない絶対の理由が見あたらないので、「自分がいちばん大事」なのは当然であり、心に余裕のある時は「他人も大事」にできるけれども、余裕がなくなってしまえば大事にできなくなる、それどころか「自分だけが大事」になって自分の利益のためには人を無視したり傷つけたりするという事態を止める根拠は見えなくなります。

 ニヒリズムからは倫理は生まれず、したがって「自分が大事」から「自分がいちばん大事」そして「自分だけが大事」というふうに、個人の尊厳・権利という考え方がエゴイズムへと滑り落ちていくことを止める心理的な歯止め・倫理も生まれてこないのではないでしょうか。

 そして、一方では人生には絶対の意味はないとうすうす感じながら、それでも生きていくために、「人生は自分のものだ」、「自分がいちばん大事だ」、自分が面白く、楽しく、楽に、幸福に、生きがい――広い意味での快楽――を感じながら生きていくことにしか、人生の意味というか生きる理由はない、という考えを採用するようです。

 「夢があれば生きていける」という言葉もありますが、それは裏返すと「夢がなくなれば生きていけない」ということにもなるでしょう。

 多くの現代人が漠然と「考えすぎてうつやニヒリズムにならないためには、エゴイズムと快楽主義で行くほかない」と考えているように私には見えます。

 そういう状態では、「自分のことで精一杯」で、環境のことなど考える心の余裕がないのは当たり前です。




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環境問題と心の成長 6

2009年07月06日 | 持続可能な社会

   環境問題と心の成長 6


 近代のマイナス面④ニヒリズム・エゴイズム・快楽主義

 前回述べた3つの面に加えて、近代のマイナス面には、特に心にかかわる根本的なマイナス面がもう1つある、と私は考えています。

 それは、きわめて多数の近現代人の心に蔓延しているニヒリズム・エゴイズム・快楽主義です。

 前回までのような社会の価値観の問題ならともかく、そうした個人の心の問題と環境問題にどういう関係があるのか、まだ不審に思われている方もあるかもしれません。

 しかし、これも非常に重要な問題だと私は考えていますので、今回だけでなく、この後何回か続けておわかりいただけるようにお話ししていきたいと思います。


 空しい自分のことで精一杯

 大まかに言えば、「人間が生きていることには絶対の意味はなく、またどう生きるべきかという倫理にも絶対の根拠はない」といった考え方を「ニヒリズム」と呼びます。

 そして、近代の科学合理主義―ばらばらコスモロジーを徹底すると、必然的にニヒリズムという結論に到る、と私は捉えています。

 それに関していつも思い出すエピソードがあります。

 7年ほど前、私がある大学に教えに行きはじめた年、前期の授業が始まって間もなくのことでした。
 
 授業後、1人の女子学生が質問に来ました。

 彼女は真剣な面持ちでこう言いました。

 「先生、私は考えれば考えるほど空しくなって死にたくなるんです。それで友達に相談したら、『バカ、考えるから死にたくなるんだ。考えるな』と言われました。やっぱり考えないほうがいいんでしょうか」と。

 それに対し私は、「きみもぼくも含めて戦後教育を受けてきた人間は、教えられたことを元にして自分とか人間というものを深く考えていけばいくほど、空しくなって死にたくなるようなことを教えられてきたんだよ。これからは、考えれば考えるほど死にたくなくなることを教えるから、頑張って前期末まで授業に出ておいで」と答えました。

 そして、やや心配ではあったのですが、毎週熱心に授業に出てきていたので、特に個人的に話すことはしないで静観し、前期末になって授業後呼び止め、

 「どうまだ死にたい?」と聞いたところ、

 「だいぶ死にたくなくなりました」とのことでした。

 そして、年度末にもう一度たずねたところ、

 「教えていただいたような考え方をしたら、生きていけると思うので、そういうふうに考えていこうと思います」と答えてくれました。

 科学合理主義つまり近代のばらばらコスモロジーを元にした戦後教育を受けると、うまくいくと個々人の人権を尊重し、社会の進歩・発展を信じ、そこに希望を感じながら生きることのできる元気なヒューマニスト・人間主義者になります。

 つまり近代のプラス面を受け継ぐのです。

 そして熱心なヒューマニストが、環境問題やエコロジーについてしっかりと学習したら、必然的に熱心なエコロジスト・環境保護主義者になるでしょう。

 環境・エコシステムは、人間を含むすべての生き物が生きていくための基盤です。

 真剣に人間の生存やまして発展を願うならば、必ず環境の保全、エコシステムを維持することを真剣に追求せざるをえないからです。

 しかし、私の教えている学生の範囲で見るかぎり、若者たちは全体としては元気なヒューマニストに育っていないようです。

 それどころか、戦後教育がうまくいかなかった場合、右の学生のケースのような問題――考えれば考えるほど死にたくなる――が起こるのです。

 自分自身が死にたくなるくらい空しいのですから、若者たちがよく言う言葉を使うと、「自分のことでいっぱいいっぱい」です。

 元気がないので、環境問題という深刻なことについて知り、考え、解決のために行動することなどとても「重い」「無理」「引く」に決まっています。

 そして、程度の差はあれそうした状態に陥っているのは、若者だけのことではないようです。

 日本の市民の多くが、環境問題についてあまりにも大きくて重く、解決は無理なのではないかと感じ、そのくせ「そうは言ってもなんとかなるんじゃないか」と甘く考え、積極的に取り組むことから身を引いてしまっているように見えます。

 日本人の多くが「自分のことで精一杯」という気持ち・心理状態に陥っているのではないか、と私には思えます。

 日本人の多くが解決可能になるところまで徹底して環境問題に取り組むには、「自分のことだけで精一杯」にならないくらいに心のエネルギーを取り戻し、さらに環境問題を「他人事」ではなく「自分のこと」と捉えて真剣に取り組むことのできる広い心をもつ必要があるのではないでしょうか。

 いわゆる「環境問題」を本当に解決するには、環境問題とはどういうものかという情報の提供や、どうすれば解決できるかという方法の提示に加えて、誰が本気で解決する気になるかという心のエネルギーの問題を考えることが必須だ、と私は考えているのです。


 いのちも物にすぎない?

 さてでは、若者も含む多くの日本人がなぜ「自分のことで精一杯」になってしまい、解決の目途がつくほどの質と量で環境問題に取り組むことができなくなっている――と私には見えますが――のでしょうか。

 それが、ニヒリズム・エゴイズム・快楽主義の問題なのですが、まずニヒリズムから論じていきます。

 近代のばらばらコスモロジーでは、すべてのものが主体とは分離した研究対象として捉えられるようになり、全体はいったん部分に分析―還元され、その部分の組み合わせとして認識されるようになりました(この傾向は今でも続いています)。

 そしてできるだけ小さな部分に分析されると、結局すべては原子や分子のような「物」から成っていると見なされるようになります。

 すべてを物質に還元して捉えるものの見方は「物質還元主義」または省略して「物質主義」あるいは「唯物主義」と呼ばれますが、近代の合理科学主義はほとんど必然的に物質還元主義に陥る傾向をもっています。

 物質還元主義的な科学によって自然は「物」に還元され、さらに産業によって利用対象と捉えられ「資源」と見なされるようになりました。

 自然を資源と見なすものの見方はプラス面では先進諸国での産業の発展と貧困の克服をもたらしましたが、マイナス面では環境問題を生み出したことは前回述べたとおりです。

 しかしそれだけでなく、物質還元主義的なものの見方が、人間以外の自然ではなく人間自身に向けられた時、もう一つの深刻な問題を生み出します。

 ある一人の人のいのち全体すなわち生体を分析―解剖すると、脳や肺や心臓や胃や腸……という器官の組み合わせと捉えられます。

 さらに器官は細胞に、細胞は高分子に、高分子は分子に、分子は原子に分析―還元されます。

 そして、原子はいうまでもなく「物」です。

 つまり、分析的に突き詰めて考えると、「人間は原子という物の寄せ集めにすぎない」という結論に到るのです。

 そして、いのちももちろん物ということになります。いのち全体・生体をコントロールしている脳も、もちろん物です。

 心も、脳の働きにすぎないと捉えられると結局は物にすぎません(実際、多くの脳科学者が「心も物質の働きにすぎない」と言っているようです)。

 物の複雑な組み合わせとその運動にすぎないいのちや心に、絶対的な意味があると考えられるでしょうか。

 人間の体は原子レベルで見ると、九九パーセントが水素や炭素や酸素や窒素で、後はごく微量の元素で出来ているそうですが、原子という「物」にすぎないものに絶対的な意味や価値があるでしょうか。

 毎年行なっている学生たちへのアンケート調査の中に「死んだらどうなると思っていますか」という質問項目を入れていますが、多くの学生――数年前までは平均80~90パーセント――が「無になる」、「灰になる」、「土に帰る」といった答えを書いてきます。

 戦後の物質還元主義的な科学教育のいわば「目的外の結果」です。

 教えた側の意図にかかわりなく近代のマイナス面が伝わってしまったのではないでしょうか。

 「生きている人間のいのちも心もどんなに複雑とはいっても結局は物の組み合わせと働きにすぎないし、死んだら、元の分子や原子に還元して終わりだ」と考えたら、意味としては「無になる」、「すべてが空しい」と感じられてくるのは、理の当然と言ってもいいのではないでしょうか。

 近代のばらばらコスモロジー―物質還元主義の結論は必然的にニヒリズムだ、と私は思うのですが、読者はどうお考えでしょうか。



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環境問題と心の成長 5

2009年07月05日 | 持続可能な社会

   環境問題と心の成長 5


 近代の自由とばらばらコスモロジー

 前号で述べたような主客分離と分析という方法に基づく理性によって描き出された近代の世界観・価値観を、私は宗教学や民族学の「コスモロジー」という用語を借りてわかりやすく「ばらばらコスモロジー」と呼んでいます。

 ばらばらコスモロジー的な見方で社会を捉えると、当然、社会はばらばらの個人という部分が集まって全体をなしていると見られます。

 そして社会ではなくそのばらばらの個々人こそ理性の担い手であるわけですから、人間の価値・尊厳は個々人にあると考えられるようになります。

 そこから必然的に生まれてきたのが、近代の個人主義的なヒューマニズムだと考えられます。

 さらに、そこから個人の自由な意思決定、信教・思想の自由、政治活動の自由・自由意思での合意に基づいた結社の自由、個人的所有の自由、経済活動の自由・自由な個人の合意に基づいた出資によって私的な利益を追求する経済組織(株式会社など)の設立の自由などなどが「基本的人権」であると考えられるようになります。

 これらは、「自由」というきわめて大切な人権の主張ですから、どう考えても正しいように見えますし、前回も述べたように中世・封建的と呼ばれるような不自由に対して進歩であることは確かです。

 しかし、その自由がばらばらコスモロジーに基づく自由だったところに、近代のマイナス面が生まれる最大の(唯一ではないが)理由があるのではないか、と私は考えています。


 近代のマイナス面①――植民地化

 中世から近代への過渡期としてのいわゆる近世、ヨーロッパでは、理性・科学・技術の発達と対応・並行して商業・産業が発展してきます。

 航海術の発達と地球が丸いのではないかという科学的推測と商業的な意欲があいまって「大航海時代」が始まります。

 ヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マゼランなどの大航海に始まって、ヨーロッパ各国による、アジア、アフリカ、アメリカ大陸などの植民地化が進められていったのです。

 これは、西洋中心主義の「世界史」では、さも希望と冒険に満ちた発展の時代のように語られますが、アジア、アフリカ、ネイティヴ・アメリカの側から見れば、明らかにほとんど一方的に「侵略」され続けた時代です。

 それがある程度平和的な「貿易」であった場合でも不平等な貿易であり、きわめて多数の国々が圧倒的に優勢な軍事技術・軍事力によって強制的に占領・統治やそれに近い状況に追いやられたということは、改めて記憶・確認しておく必要があるでしょう。

 近代ヨーロッパの自由は、自由といっても人類全体の自由ではなく、まず何よりもヨーロッパ人の自由だったのです。

 日本人は明治以降、文明開化=西欧化し「欧米列強に伍す」こと、「追いつき追い越せ」を目指して努力し、第二次大戦の敗戦にもかかわらず、戦後、さらなる欧米化特にアメリカ化を遂げ、経済の面で「追いつき追い越せ」をかなりのレベルまで実現し、欧米で準白人扱いをされるに到っているという事情もあって、日本の教科書的な「世界史」観は気づいてみると驚くほど西洋中心主義的です。

 そのため、西洋の近代もほとんどプラスの面ばかりが語られて、アジア・アフリカ・アメリカ世界の植民地化という暗黒面の歴史には十分な光が当てられていないように見えます。

 念のために言っておくと、私は政治・思想的に、いわゆる右でも左でもありません。

 しかしできるだけ公平に見て、どう考えてもアジア・アフリカ・アメリカ世界の側からすれば近世から近代という時代は、被植民地化というきわめて大きなマイナス面のある時代だった、と評価せざるを得ないと思うのです。

 そういう植民地化の背後にあるのは、西洋(文明)と西洋以外(未開)を分離したものと見なし、西洋以外を利用の対象として見るという「ばらばらコスモロジー」的な思想だ、と私は捉えています。

 自他を分離して自利・私利を追求するために他を抑圧・支配・搾取するという傾向は、歴史が始まって以来洋の東西を問わず人間(文明人)のやってきた業(カルマ)で、近代に始まったことではありません。

 そのもっとも深い源泉は、仏教的視点から言えば、煩悩すなわち分別知と渇愛・貪りにあると考えられます。

 しかし、近代的なばらばらコスモロジーの発達によって、他と分離した私‐私たち‐我が社‐我が国だけが繁栄すれば、他はどうなってもいい、というよりそのために他(民族、国)を「市場」と自然資源の「産地」として利用しようとする傾向もますます肥大したといっていいのではないでしょうか。

 それは、例えばオランダやイギリスの「東インド会社」などの行状を見れば明らかであるように思えます。


 近代のマイナス面②――植民地獲得競争から戦争へ

 科学が発達しその結果技術が発達し、さらにその結果産業がますます発達して経済活動が発達・活性化すると、そこで作り出される商品=製品の原料である自然資源がますます必要になり、作り出された製品=商品の市場がますます必要になってきます。

 そこで起こったのが、富裕な産業家市民・資本家の要請・圧力を背景にした近世・近代国家の植民地獲得競争だと考えられます。

 植民地獲得競争は必然的に、植民地化する側の国とされる側の国・民族の対立、植民地化を進める国同士の対立を生み出しました。

 そして、その対立はしばしば単なる競争や対立を超えて戦争にまで到ったのです。

 近代の技術の発達は軍事技術の発達をもたらしました。

 発達した軍事技術による戦争は、それ以前の戦争とは規模も悲惨さも比較にならないほど拡大していきました。

 近代化がもっとも進んだつい先の世紀・二十世紀、人類は――といっても欧米が主体ですが――世界史史上最大規模と評される戦争、すなわち第一次、第二次世界大戦を行なったのです。これは、戦争のグローバリゼーションといってもいいでしょう。

 そして、戦争の大規模化と軍事技術の発達は、究極の兵器ともいうべき核兵器を生み出し、広島・長崎で実際に使われ、その後、幸いにして使われてはいませんが、ますます発達し生産‐保有され、とうとう人類(先進国)は地球全土を何十回焼け野原にしてもまだ余るといわれるほど大量の核兵器を保有するに到っています。

 そして、それにまだ懲りず生物学兵器などの新しい兵器も開発しているようです。

 戦争と軍事技術の極限的な拡大・発達は、近代の決定的なマイナス面の一つです。


 近代のマイナス面③環境破壊

 そして、この連載のテーマである「環境問題」こそ、もう一つの近代の決定的マイナス面です。

 連載の2回目に指摘したように、いくつもの古代文明が環境を破壊して自滅していますから、環境破壊は戦争同様、近代になって初めて起こったことではありません。

 しかし、経済のグローバル化と対応・並行して環境破壊もグローバル化し、「地球環境問題」というかたちの極限的な危機に到ったのが近代であるという意味で、近代のマイナス面というほかないでしょう。

 近代のばらばらコスモロジー的視点で見ると、自然は人間とは分離して向こうにある科学の「研究対象」であり、さらに研究して仕組みが分かると、科学技術によって人間の都合に合わせて組み換え利用し利益をあげることのできる「自然資源」としか見えなくなります。

 そうなれば、人間の経済‐産業の限りない発展・成長のために無制限に利用していけない理由はなくなってしまいます。

 それに対して、近代以前の人間は、多かれ少なかれ自然に対する畏怖・畏敬の念を持っていたと考えられます。

 また、とりわけアジア、アフリカ、ネイティヴ・アメリカ世界では、自然は神のような存在であり、かつ人間と切っても切れないつながりがあると感じられていました。

 日本の古神道的な感覚でも、山や川、森や巨木や巨岩などは「神」として崇められてきたのです。

 だからといって、近代西欧以外でまったく環境破壊がなされなかったわけではありません。

 しかし、そこに憚りやためらいや畏れといった強い歯止めもあったのではないでしょうか。

 科学‐技術の未発達、産業の未発達とも相まって、環境破壊は一定限度に留まっていたのです。

 近代西洋の科学、政治、経済などの分野の指導的人々の心の中から、自然と人間との本質的なつながりさらには一体性が見失われた時、自然を資源、つまり利用の対象としてのみ捉え、憚りなく大量使用‐大量浪費することも、使い終わって自分に用がなくなると大量廃棄することも可能になったのだと考えられます。

 本連載のテーマに即していうと、「近代的な心のあり方が近・現代の極限的な環境破壊をもたらしている。したがって心のあり方が変わらなければ、環境問題を含めた近代の問題・マイナス面の根本的解決はありえない」と私は考えているのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。

 続けて、ご一緒に考えていきましょう。




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環境問題と心の成長 4

2009年07月04日 | 持続可能な社会


   環境問題と心の成長 4



 近代を公平に評価する
 
 これまで述べてきたとおり、近代の産業文明には環境問題に関わって根本的な限界があると思われます。

 とはいっても、やはり近代にはプラス面があり、私たちは大きな恩恵をこうむっています。

 そのプラス面があまりにも大きいために指導者も市民も近代化という路線を変更することが難しいのだと言っていいかもしれません。

 その点をしっかりと見ておかないと、公平を欠くことになりますし、そもそも路線を変更して先に進むことはできないでしょう。

 本稿で私がお伝えしたいことは、「昔はよかった。昔へ帰ろう」ということではありません。

 近代以前と近代それぞれのプラス面のどちらも失うことなく、それぞれのマイナス面は超えるという困難な課題を解決することによってしか、私たちは前に進めないのではないか、と考えているのです。

 そういう意味で、近代文明のプラス面とマイナス面をできるだけ公平に見ておきたいと思います。


 近代文明のプラス面

 さて、近代のどこが優れているのか、非常に整理された論を展開しておられる富永健一氏の説をお借りしてまとめておきます(『近代化の理論』、『日本の近代化と社会変動』、『マックス・ウェーバーとアジアの近代化』、講談社学術文庫、参照)。

 ①まず、技術的経済的領域の、特に技術面では、人力・畜力から機械力へという動力革命が行なわれました。

 それは、さらに情報革命にまで発展してきています。これは、労働が効率的になる、便利になるという意味では、圧倒的にプラスです。
 
 さらに富永氏は指摘しておられませんが、「医療技術」の発達も挙げる必要があるでしょう。病気の克服は人類の長年の夢だったのですから、これも近代のすばらしい成果です。

 経済では、第一次産業から第二次・第三次産業へと比重が移り、自給自足経済から市場的交換経済(資本主義)へと発展してきました。

 これは、産業化→社会の生産力の飛躍的な向上→貧困の克服という面だけから見るとまちがいなくプラスです。

 しかし、一つの問題は、「貧困の克服」がなされたのはこれまでのところ先進国のみ(しかもある程度まで)だということです。

 さらに繰り返すと、特に根本的に問題なのは、自由主義市場経済=資本主義的生産様式がはたして有限の地球環境と調和するのかという点です。

 ②政治的領域では、法が伝統法から近代法へと発展し、政治では、封建制が近代国民国家へ、専制主義が民主主義へと発展しました。

 おおまかにいえば、「市民革命」の成果です。

 個々人が多くの不合理な制約から自由になったという意味で、これもまた私たちが享受していて、決して後戻りできない、してはならない近代の大成果です。

 ③社会的領域では、社会集団は、家父長制家族から核家族へ、機能的未分化な集団から機能集団(組織)へと変化していきます。

 それと並行して、地域社会は村落共同体から近代都市へと「都市化」を遂げていきます。

 社会階層に関しては、身動きのつかない身分階層から自由・平等で努力しだいで移動が可能な社会階層になっていきます。

 抑圧的で硬直的な身分制から、自由・平等な社会になったことは、誰が考えてもすばらしい「進歩」です。

 私も、この点に関して前近代の身分制がよかったとか、それに帰ろうなどとは考えていません。

 ただ、私は、大家族から核家族へ、村落共同体から都市へという方向には単純に肯定できないものも感じています。

 しかし、私たちが戦後、体験してきたとおり、大家族から核家族へ、村から都市へという流れを通じて、個人が多くのしがらみから解放されて、とても気楽に生きられるようになったという面があるのも確かです。

 ④文化的領域では、まず社会の主流の知識が神学的・形而上学的なものから実証主義的なものへと大変動を遂げます。

 いわゆる「科学革命」です。価値に関する面では、「宗教改革」と「啓蒙主義」によって、非合理主義から合理主義へという大きな変動・進歩がありました。

 もちろんこれも、ある面、確かに大きな進歩・発展です。

 私は、仏教、宗教について論じることが多いので、しばしば印象だけで、実証主義から神学・伝統宗教へ、合理主義から非合理主義へという反動・逆行的なことを主張しているかのように誤解されることがあります。

 しかし、以上まとめた「近代化」の成果の主な部分に関しては大変な成果であり進歩であり、そのプラス面に関しては、「決して後戻りしてはならない、できない。どころか、不十分なところはさらに進めなければならない」と考えています。

 そういう意味で、全面肯定はしていませんが、近代の成果は十分に評価しているつもりです。


 近代の合理主義と科学

 さて、そうした近代のプラス面は、何よりも合理主義と近代科学が生み出したものだといっていいでしょう(以下、簡略のため合理主義と科学をまとめて、「近代科学」と呼んで論じていきます)。

 そして、実はマイナス面もそうだと思われます。

 近代科学の方法の第1のポイントは、「主客分離」です。「主・客」というのは、英語でいえば「subject」と「object」ですが、日本語に訳す場合に、「主体」・「客体」と、「主観」・「客観」と2通りに訳すことができます。

 第1に、自分がどう思っているか、伝統社会がどう考えてきたか、まして私や私たちがどう信じている、どう信じたいかという「主観」を脇において、対象=客体そのものがどうなっているかを「客観」的に観察・研究していくわけです。

 そこが、それまでのキリスト教の教義(つまり信じていること=主観)を前提に体系化された神学・形而上学とまるでちがうところです。

 神学・宗教の教学では、信じていること=主観と事実そのもの=客観を分離せず、信じていることに合うように事実を解釈する傾向がきわめて強かったといっていいでしょう。

 それに対し科学は、正統的な教義がどうであれ、聖典にどう書いてあろうと、それが「客観的な事実かどうか」を問うたのです。

 そのことによって、それまで信仰・教義・主観に覆われて見えなかった客観的な世界のさまざまな姿が見えてきました。

 そこで、「科学と宗教の闘争」がさまざまなかたちで行なわれました(「科学と宗教との闘争』岩波新書、ドレイパー『科学と宗教の闘争史』社会思想社、参照)

 そして、近代の歴史は、「客観」と「主観」を分離するという近代科学の方法が、物事のあり様を研究する上でいかに有効かを実に鮮やか示してきました。

 「科学と宗教の闘争」は、欧米でも完全に終わったとはいえませんが、全体としては科学の圧倒的な優勢(完勝?)という結果になっていることはまちがいありません。

 さて、近代科学の方法のポイントの第2は、「分析」(と「総合」)です。

 観察する主体と分離して向こうに置かれた研究対象=客体の「全体」は、なるべく小さな「部分」へと「分析」されます。ばらばらにして「部分」へ還元するわけです。

 そしてそれぞれの「部分」がどうなっており、それらの「部分」がどう組み合わさっているかを明らかにしていき、最後にばらばらの「部分」を元のかたちに組み立てます。それを「総合」といいます。

 ばらばらにされた「部分」が組み合わされる=総合されると、それで対象・客体の「全体」が分かったことになります。

 この「デカルト的方法」は実に切れ味がよく、この方法を使うと、ほとんど何でも分かるように思えました(しかしこれは仏教の視点からいうと「分別知」です)。

 物事の全体を部分の組み合わせとして捉えれば、組み合わせはどうにでも変えられるようになりましたから、実に便利でした。

 分析という方法が、さまざまなものを人間の都合のいいように組み換える「技術」を驚異的に発達させたのです。

 その極みが、「遺伝子組み換え技術」でしょう。いのちのかたちを生み出す情報を分析し、それを組み換え、今までなかった新しいかたちを作り出すことさえできるようになりました。

 こうした近代科学の基本的な方法は、まず、主体(人間)と客体(研究対象)を分離し、さらに客体も部分へと分離・分析するのですから、これはわかりやすくいえば「ものごとをばらばらにすることを原理にした方法」といってもいいでしょう。

 そういう方法のお陰で、いろいろなことが客観的に分かってきた、そしていろいろに組み換える技術も発達し、産業も発達した……プラスばかりのように見えます。

 どこが悪いというのでしょう?

 続いて考えていきたいと思います。



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環境問題と心の成長 3

2009年07月02日 | 持続可能な社会

   環境問題と心の成長 3


 成長の限界

 前回、「大量生産―大量消費によって豊かな社会を形成するという近代文明のシステムは、実は始めから入口のところで自然資源の有限性、出口のところで自然の浄化能力の有限性という限界を抱えていた」と書きました。

 言うまでもありませんが、これは私の独自あるいは個人的な意見ではありません。よく知られたところでは、すでに1972年、『成長の限界――「人類の危機」レポート』(邦訳はダイヤモンド社)で広く世界に問題提起されています。この本は、財界人、学者、政治家などによる組織「ローマ・クラブ」によって公刊されたものです。

 また、スウェーデンではさらに早く60年代前半から環境問題が深刻であるという気づきは始まっており、68年に政府が国連に環境会議の提案を行ない、72年には首都ストックホルムで第1回国連環境会議が開催されています(しかし、なぜか日本ではこうしたことはよく知られておらず、私も残念ながら最近まで知りませんでした)。

 私は、出版されて四年も経った七六年にようやく『成長の限界』二十八版を買って読み、ショックを受けました。

 そういう意味ではそれほど気づきが早かったほうではありません。

 しかしそれ以来、環境問題は私にとって最重要の思想的課題の1つになっています。

 とはいえ読んだ当時、きわめてシンプルに表現すると、「個々の人間の欲望に限りがないとしたら、社会全体も経済的な成長の限界を認めて抑制することはできないだろう。人間の心の底からの価値観が変わらないかぎり、環境問題は解決しない」と考えました。

 そこで、直接に個々の具体的な環境問題に取り組むというより、どうしたら人間の心がエゴイスティックな欲望――仏教的にいえば「貪」――から自由になりうるかという根本的な問題の探究―解明に向かったのです。

 (現段階で達している私の認識に関心を持っていただける方は、『持続可能な社会の条件』〔サングラハ教育・心理研究所パンフレット、本ブログにもパンフレットの原型を掲載してあります〕をご参照ください。言うまでもありませんが、本連載では、その繰り返しにとどまらず、さらに最新のデータや考察を加えていきます)。

 『成長の限界』に話をもどすと、序論で「われわれの結論はつぎのとおりである」という一節の後に3つのポイントが記されていました。

 環境に関心があり『成長の限界』の名前は知っていても、実際には読んだことがないという方が意外に多く、しかしとても重要なポイントなので、長くなりますが、引用・紹介をさせていただきます。

 ⑴ 世界人口、工業化、汚染、食糧生産、および資源の使用の成長率が不変のまま続くなら、来るべき一〇〇年以内に地球の成長は限界点に到達するであろう。もっとも起こる見込みの強い結末は人口と工業力のかなり突然の、制御不能な減少であろう。

 ⑵ こうした成長の趨勢を変更し、将来長期にわたって持続可能な生態学的ならびに経済的な安定性を打ち立てることは可能である。この全般的な均衡状態は、地球上のすべての人の基本的必要が満たされ、すべての人が個人としての人間的な能力を実現する平等な機会をもつように設計しうるであろう。
 
 ⑶ もし世界中の人々が第1の結末ではなくて第2の結末にいたるために努力することを決意するならば、その達成のために行動を開始するのが早ければ早いほど、それに成功する機会は大きいであろう。

 『成長の限界』が出版され第1回国連環境会議が行なわれた1972年から数えるとすでに35年が過ぎているわけですが、こうした危機の現状と「生態学的(ルビ:エコロジカル)に持続可能な社会」の形成の必要性については、第1回の国連環境会議以来重ねられてきた環境に関する国際会議の公式見解――いわば「建前」――としては、かなりの範囲まで共通認識になりつつあります。

 しかし残念なことに、人類社会全体――の実際の行動に表現された「本音」――としては、危機感も不十分であり、その結果、第2の結末に到るための努力はまったくなされていないわけではありませんが、これまたきわめて不十分だと思われます。

 本格的に実効性があるという意味で「本音」と評価できる行動の開始は、スウェーデンなどの北欧の国々などの例外を別とすれば、まったく遅れていると思われます。


 政府(本音)と環境省(建前)のズレ

 環境問題に関する日本の「建前」を端的に示しているのは、環境庁が省に格上げされる前、平成十二年に出された「環境基本計画」の前文の次のような個所でしょう。

 「第2の環境の危機は、産業公害に象徴される第一の環境の危機と同様に、二〇世紀の人間社会に福祉と成長をもたらした大量生産、大量消費、大量廃棄を前提とした生産と消費の構造に根ざしています。……

 第2の危機は、私たちの社会のあり方そのものを変えない限り解決できない……

 国際社会は、1992年にリオ・デ・ジャネイロで地球サミット(略)を開催し、「持続可能な開発」を国際的な合意とし……わが国の「環境基本法」の制定……これにより、わが国は、持続可能な社会の構築に向けて大きく一歩を踏み出した……

 地球という閉鎖された系の中において無限ということはありません。

 二一世紀を迎えるにあたって、私たちの最重要課題は、地球という枠組みの中において、人類の叡智を結集しながら、環境と社会の健全な関係を築き上げ、人類の持続可能な発展の基盤を整え、将来世代にこれを継承していくことです。」

 続いて環境省になって始めて出された『平成十三年版 環境白書』(四月小泉内閣の成立後5月付けで公刊)掲載の図「問題群としての地球環境問題」では、誤解の余地がないくらい明快に原因―結果の図解がなされています。





 さらに連載のために読み直して改めて驚いたのは、「環境白書の刊行に当って」には、環境大臣名(当時は川口順子氏)でこう書かれていたことです。

 「このような環境問題の原因は、私たちの営む社会経済活動に根ざしたものです。……社会経済のあり方を改めていくことが必要です。」(赤字は筆者)

 これらは、国の機関である環境庁・環境省の公文書ですから、環境に関する国の公式見解だと理解するほかありません。

 文字面だけを追っているとまるで『成長の限界 日本版』です。

 つまり、大量生産・大量消費・大量廃棄をベースにした近代的な社会経済のあり方は限界に来ていることを、政府もはっきり認めているわけです。

 この作文とでも言いたくなるような文章の「建前」は、私も全面的に支持したいくらいです。

 しかしその後の日本政府の「本音」としての社会経済政策は、今日に到るまでどこまでも近代的な、新自由主義経済学をベースにした市場経済の活性化による「景気の回復」「経済成長」を目指し続けてきた・いるのではないでしょうか。

 平成十三年成立の第1次小泉内閣(経済財政担大臣は新自由主義経済学の旗手ともいうべき竹中平蔵氏)から最近の安倍内閣まで、そしてその後の自民党総裁候補も、相変わらず「持続可能な経済成長」と言っています。

 これは、「持続可能」という言葉は使っていても「エコロジカルに持続可能な発展」とは似て非なるコンセプトです。

 そういう意味では、日本の政策決定に関わる人々の「本音」としての危機認識――とそれに必然的に伴うはずの適切で有効な対応――は35年も遅れていると言わざるをえません。

 1997年(これももう10年も前です)、日本・京都で「温暖化防止京都会議」(通称)が行なわれ、日本がいちおうリードして、「京都議定書」が議決されました。

 その際の二酸化炭素の削減に関する日本の数値目標は、2008年から2012年までの間に対90年比6パーセント削減でした。

 しかし実際には、最近の報告によれば約8パーセントの増加になっています。

 この事実一つ取っても(他にもたくさん事例はありますが)、建前と本音のズレが端的に現われていると思われます。

 それに対し、スウェーデンは対90年比4パーセントの増加が認められたにもかかわらず、自ら4パーセントの削減を課し、すでに2002年の時点でも2パーセントの削減を達成し、許容されたプラス4パーセントと併せると6パーセントも削減目標を超過しているそうです。

 これはみごとなまでの「建前と本音の一致」というべきでしょう。

 さて、そこで建前と本音がズレるか(使い分けるか)、建前と本音が一致するか、どちらになるか・するかを最終的に決めるのは政策決定者とそれを支持する国民の心のあり方・思想のあり方だ、と私は考えています。




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