講座「ブッダは何を伝えたかったか?」 参考文献3

2014年02月27日 | 仏教・宗教
 3月2日の高松集中講座のテキストの準備に、一日近く費やしました。

 残りの時間で、参考文献として故玉城康四郎先生(1915-1999)のものを2冊紹介しておきます。

 玉城先生のお書きになったものには、学問的に正確な文献的研究と同時に深い冥想体験の裏づけが感じられ、多くの示唆を得てきました。

 決して理解しやすい、読みやすい文章ではありませんが、そこには確かなことが語られていると感じさせられます。

 その雰囲気のよく感じられる文章を引用しておきます。
 
 
 入息出念定とは何か。それは、呼吸を調えることに専念することではあるが、単にそれだけにとどまらない。肺に出入りする生理的な呼吸が調えられていくにつれて、精神も身体も呼吸に従うようになって、呼吸自体が生命的となり、さらに深まり統一されて、精神も身体も全人格体が一体となり、全人格そのものが息づいていく。そしてついには、呼吸も自己も忘却のうちに融けていくのである。生理的な呼吸から生気的な呼吸へ、生気的な呼吸から全人格的な呼吸へ、そして呼吸も自己も人格体も、すべてが冥想そのものとなっていくのである。/ゴータマは、これこそ解脱の道であると決定したのである。(『仏教の思想1 原始仏教』法蔵館、p.30)

 ゴータマはついに解脱に達したのである。解脱に達したということは、ゴータマからブッダに転換したということである。ゴータマに転換したということは、ダンマが人格体に顕わになり、浸透し、通徹したということである。(p.33)

 ……ここにいうダンマは、もっとも根源的なものであり、ダンマとしかいいようのないものである。経典はこれについて何らの説明もつけていない。つけようがないからである。つまり、自己自身に顕わになって初めて、なるほどとうなずかれうるものだからである。強いて説明をつけるとすれば、まったく形のないいのちの中のいのち、純乎として純なる純粋生命というほかはないだろう。なぜそういうかというならば、それが自己に顕わになるとき、自己そのものが形なき世界へと、そして純乎として純なる境位へと、果てしなく開かれていくからである。(p.32)

 無限の過去から、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりつつ輪廻転生して、いま、ここに現われている存在の統括体にこそ、形なき純粋生命が顕わになるとき、初めて人間自体の根本的転換、すなわち目覚めが実現する (p.43)
 


仏教の思想〈1〉原始仏教 (1985年)
クリエーター情報なし
法蔵館



新しい仏教の探求―ダンマに生きる
クリエーター情報なし
大蔵出版

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滝宮天満宮の梅 2

2014年02月26日 | Weblog

 梅一輪一輪程のあたたかさ

 という、江戸時代の俳人服部嵐雪のよく知られた句の感じの季節になってきました。

 (もっとも、梅が一輪ずつ開いてくるごとに春が近づいているのを感じる、という解釈は間違っているという説もあるようです。しかし、この解釈だからこその名句だ、と筆者は思います。)

 昨日行ってみると、我が家の近くの滝宮天満宮の梅は下の写真のように六分咲き(?)という感じでした。

 今日、道の駅に行く途中にまた寄ってみると、さらに開いていました(今日はカメラを持参せず。やや残念)。

 ほんとうに日に日に春が近づいてきていることを感じます。

 せっかくののどかな春にpm2.5 は困ったものですが。













 
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講座「ブッダは何を伝えたかったか?」 参考文献2

2014年02月26日 | 仏教・宗教
 日本における、それだけなく世界における、インド学仏教学的なブッダ研究の代表的な存在が故中村元先生(1912-1999)であったことは言うまでもありません。

 したがって、ブッダを論じる上では、中村先生のものは必ず参照すべきでしょう。

 きわめて多数ある著書の中でも、一般読書人が気軽に読めるものは『釈尊の生涯』(平凡社ライブラリー)です。

 本格的に読むとなったら、何と言っても著作集の中に入っている大著『ゴータマ・ブッダ』(春秋社)です。

 ただ、肝腎のブッダは何を覚ったかという点についての中村先生のお考えは、以下の引用のとおりで(一行空きは筆者)、どの本を読んでも、正直もう少しご自分の覚りについての解釈をちゃんと言葉で説明できるところまでは説明してほしいという思いが残ります。

 その点、羽矢氏のものと、中村先生に近い世代の仏教学者としては故玉城康四郎先生のものは(これも時間があったら次にご紹介しますが)、ご自分の理解でちゃんと説明しておられて、なるほどと思わされます。

 といってももちろん、文献学・歴史学的に正確に理解しようとするのなら、やはり中村先生の業績を踏まえるところから出発する必要があると思います。



 …悟りの内容に関して経典自体の伝えているところが非常に相違している。いったいどれがほんとうなのであろうか。経典作者によって誤り伝えられるほどに、ゴータマのえた悟りは、不安定、曖昧模糊たるものであろうか? 仏教の教えは確立していなかったのだろうか?

 まさにそのとおりである。釈尊の悟りの内容、仏教の出発点が種々に異なって伝えられているという点に、われわれは重大な問題と特性を見出すのである。

 まず第一に仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことをせず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした。だから彼の悟りの内容を推し量る人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。

 第二に、特定の教義がないということは、決して無思想ということではない。このように悟りの内容が種々異なって伝えられているにもかかわら、帰するところは同一である。既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとするのである。それは実践的存在としての人間の理法(ダルマ)を体得しようとする。前掲の長々しい四禅の説明も結局はここに帰着する。説明が現代人から見ていかに長たらしく冗長なものとして映ずるにしても、成心を離れて人間のすがたをあるがままに見ようとした最初期の仏教の立場は尊重されるべきである。

 第3人間の理法(ダルマ)なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に即して展開するものであるということを認める。実践哲学としてのこの立場は、思想的には無限な発展を可能ならしめる。後世になって仏教のうちに多種多様な思想の成立した理由を、われわれはここに見出すのである。過去の人類の思想史において、宗教はしばしば進歩を阻害するものとなった。しかし右の立場は進歩を阻害することがない。仏教諸国において宗教と合理主義、あるいは宗教と科学との対立衝突がほとんど見られなかったのは、最初期の右の立場に由来するのであると考えられる。(『釈尊の生涯』p.126-7)




釈尊の生涯 (平凡社ライブラリー)
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平凡社



ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I 決定版 中村元選集 第11巻
クリエーター情報なし
春秋社

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講座「ブッダは何を伝えたかったか?」 参考文献1

2014年02月25日 | 仏教・宗教

 3月2日(日)13時半~16時半、高松の集中講座で、「ブッダは何を伝えたかったか?」という話をします。

 〈唯識心理学〉は、大乗仏教の唯識思想の核と西欧の心理学と(そして現代科学のコスモロジー)の統合を目指す、サングラハ教育・心理研究所独自のプログラムです。

 大乗仏教の思想を核としているわけですから、本格的に学ぶためには、さらに基礎の基礎として、仏教の原点であるゴータマ・ブッダが何を覚りそれをどう語ったのかを知っておくといいということは、言うまでもありません。

 そういうわけで、東京ではすでにお話ししてきましたが、高松の講座はまだ始まって間もないので、唯識入門の前に、3月にブッダ入門のお話をすることにしました(5月には続いて空思想入門です)。

 筆者はブッダ研究の専門家ではありませんので、自分の解釈がインド学仏教学の専門的な目から見てまちがっていないかどうか、ゴータマ・ブッダ研究の専門家で友人の青森公立大学の羽矢辰夫氏に確認を取ってきました。

 その結果、羽矢氏の専門的な研究による解釈と私の解釈は非常によく一致していることを確認しています。

 したがって、ブッダの教えについて知識として専門家から正確に学ぶという意味では、以下の羽矢氏の著作をすべて読んでいただければ十分とも言えます。

 ただ、読んで学ぶのと聞いて学ぶのでは、心の深いところ・アーラヤ識に染み込む・熏習されるものが違うということがあります。

 心の深いところにまで染み込ませ、自分のものの見方を変えていくためには、読むだけでなく、聞いて読む、読んで聞くという作業・修行を並行していただくといいのです。

 また、もちろん筆者のブッダの話には〈唯識心理学〉を本格的に学んで自分のものにしていただくための前提・基礎という別の意味があるわけです。

 ブッダ理解の参考にさせていただいた文献は他にもたくさんありますが、研究の信頼度、理解の深さ、にもかかわらず明快で読みやすい文体という点で、まず第一には羽矢氏のものをお勧めします。

 以後、時間があったら、もう若干ご紹介したいと思っています。


ゴータマ・ブッダ
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春秋社



ゴータマ・ブッダの仏教
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春秋社



ゴータマ・ブッダのメッセージ―『スッタニパータ』私抄
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大蔵出版



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国際セミナー:自然といのちの尊さについて考える 報告

2014年02月22日 | 持続可能な社会
 今日は、先週のサングラハの講座に続き、また東京に来ました。

 東洋大学と茨城大学共催のセミナーで、コメンテーターとしての参加で自分の発言時間はごくわずかなのと、手違いでポスターも届かなかったのとで、周りの方やこのブログではあえて広報・お誘いをしなかったのですが、ちょっと後悔しています。

 今回は、若手の研究者ばかりの研究発表で、どれもが持続可能な社会の構築に向けた真摯で質の高いものでした。

 聞いていて、こういう次世代の真摯で優秀な知識人が育っているのなら、日本の未来にも希望がありそうだ、という気がしてきました。

 これまでになく次世代に希望を感じることができたという意味で、予想外に来た甲斐のある集いでした。

 中でも、ウィルバー、特に『万物の理論』(拙訳、トランスビュー)などをしっかりこなした上で、ただ知的理解にとどまらず、アフリカなどでそれを活かす――4象限をカヴァーした本当の持続可能な開発の――ためのフィールドもやっているという若くて優秀な研究者に会えたのは喜びでした。

 長年かかって蒔いてきた種が、ようやく芽を出し実を結び始めているようです。


 さて、再来週の日曜日は高松の集中講座、まだ少人数ですが、真剣に学んでくださる方が集まってきつつあります。

 あきらめることなく、根気強く種蒔きを持続していくつもりです。


万物の理論-ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで-
クリエーター情報なし
トランスビュー


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『サングラハ』第133号が出ました

2014年02月18日 | 仏教・宗教

 予定よりやや遅れてしまいましたが、『サングラハ』第133号が出ました。

 会員のみなさん、お待たせしました。明日発送しますので、もう少しだけお待ちください。

 ブログ読者で、まだ会員でないみなさん、よろしければご入会ください。ちょうど2014年の最初の号からということになります。

 今回は、唯識心理学の入門の特集号のパンフレットで、単独でもお求めいただけます(研究所HP参照)。

 もちろん広告コピーですが、「とてもコンパクト、これ一冊であの難しい唯識のアウトラインがすっとわかります」。





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神田神保町の古本屋街で

2014年02月17日 | Weblog

 今朝、ホテルで目を覚ますと、土日連続の集中講義をした後のわりには元気だったので、帰りの新幹線に乗る前の時間、少しだけ神田の古本屋街に行くことにした。

 若い頃のように一日中歩く体力も時間もないのがちょっと残念なのだが、ともかく行くと思いがけない本との出会いがあったりして楽しい。

 これまですでに買い溜めた本の量を冷静に考えると、健康でかなり長生きができたとしても、残りの人生で全部読むことは物理的に不可能なので、もうあまり買わないようにしようと思っている……が、行くと少しは買ってしまう。

 今日は、荷物も重いのでぐっとこらえて、A・ヴィディヤーランカール『ギーター・サール バガヴァット・ギーターの神髄・インド思想入門』(東方出版、バガヴァット・ギーターのエッセンスの詩句をサンスクリット原典しかもローマナイズではなく元のデーヴァナーガリーで読めるのが魅力)1冊にとどめた。

 買うのはそれだけにして、いろいろ見てまわりながら、あれも読みたい、これも欲しいと心がさわさわ動いて楽しかった。

 古本のウィンドー・ショッピングである。

 だが、驚いたのは、ある店の前に、岩波の『西田幾多郎全集』が6000円、河出の『ドストエフスキー全集』が6500円という貼り紙があったことだ。

 一瞬、60000円、65000円の見間違いではないかと、しっかり見直したが、やはりそう表示してあった。

 貼り紙だけで現物を見ていないから、本がよほどひどい状態なのかもしれない。

 しかしそれにしても……この二人の全集がこの値段とは。

 これは、今どき西田哲学やドストエフスキーの思想に取り組もうという読者、特に新しい・若い読者がほとんどいないということを意味しているのだと思った。

 自分は貧乏学生で、当時、どちらの全集もとても欲しかったにもかかわらず高すぎて手が届かず、行く度に指をくわえて棚を見たものだ。

 その悔しさ・恨みがずっと残っていて、一人前の収入が得られるようになってから、ここで恨みを晴らしてやるといった気分でぱっと買い揃えたことを思うと――そういう同世代の元貧乏学生がたくさんいたに違いない――何と時代は変わってしまったのだろう。

 昔に比べるととてもすっきりと都会的にキレイになった明治大学の通りを御茶ノ水に向って登っていきながら、これは、どう考えても、とんでもなくまずい方向に変わっているのではないか、と私には思えた……が、どうなのだろうか。


ギーター・サール バガヴァッドギーターの神髄 インド思想入門
クリエーター情報なし
東方出版

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東京集中講座の帰り

2014年02月17日 | 仏教・宗教
土日の講座が終わりました。今回も充実していました。

記録的な大雪だったので、土曜日の唯識講座はごく少人数だろうと思っていましたが、嬉しい誤算で、ほとんど出席でした。

皆さんの熱意に脱帽でした。
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