高松での「ブッダは何を伝えたかったか?」の講座は終了したのですが、さらに学んでいただくための参考文献として、もう一冊ぜひ挙げておきたいものがあります。
それは、1968年に開始された「仏教の思想」というシリーズの第一巻、増谷文雄・梅原猛『智慧と慈悲〈ブッダ〉』(角川書店、現在は角川文庫になっている)です。
そのはしがきで、梅原猛氏は次のように言っておられました。
今、世界を救う思想ありや否や。ヨーロッパ思想の中で、そのまま戦争を避け、平和を守り、人類を物質的にも精神的にも、幸福に暮らさせる思想ありや否や。この問いをまじめに問うとき、悲観的な答えが返ってくる。ヨーロッパには、少なくとも現代そのような思想はない。しかしそのような思想がなかったら、世界は破滅し、人類は滅びるかもしれない。そういう思想の創造に、非ヨーロッパ世界の思想、特にその中でもヨーロッパ思想とともに、もっとも洗練された思想である仏教は、寄与することができはしないか。
このような問いは、今わられ東洋人が人類のために問われねばならぬもっとも重い問いである。このような問いに、われらが全面的に答えるには、われらの力はあまりに弱い。他日この問いが深まり、その答えが生まれてくるための思想的準備に、この全集が役立てば望外の幸せだ。このヘラクレス的仕事を、われらは分業により成就しようとした。仏教学者と哲学者の分業である。仏教学者は、その精密正確なる知識を生かし、哲学者はその奔放大胆なる思弁を働かし、対話を通じて、仏教の思想を明らかにしようとしたのである。
この第一巻は釈迦の思想である。……
仏教の思想が、かつてのように全国民のものになるべきときが今ふたたび来ているのである。
筆者がこのシリーズの存在を知ったのは、12巻のシリーズが完結してしばらくして、友人の本棚に揃っているのを見た時でした。
ちょうど中心的な関心がキリスト教から仏教へと移っている時でしたから、私も欲しいと思いました。
しかし、当時、貧乏学生だった私には自分で揃えるのはきついので、少し無理やりに1冊、2冊と借りて読み始めたものです。
その友人は、本棚を全集本できれいに揃えるのが好きな愛書家で、本棚に空きができるのを嫌がっていたのはよく知っていたのですが(いまさらながら申し訳ない)。
当時、鈴木大拙先生や西谷啓治先生の著作の影響が強く、ややいわば〈禅原理主義〉的な傾向があった筆者には、「体験に基づいた覚りに関する叙述が不十分だ」などと生意気にも物足りないという感じがしました。今からすると、まったくの若気の至りです。
読み返してみると、梅原猛氏の意気込みと読み込み、増谷文雄氏の単なる文献研究にとどまらない実存的解釈は、今でも読まれるに価するものです。
第三部の「仏教の現代的意義」で梅原氏の言っておられた以下の言葉は、まだそのまま日本の思想・文化状況に当てはまるものだと思います。
…今や仏教は重要な思想的意味をになっているのに、まだ仏教は、わが国の多くのひとびとに、あまりにも知られていない。仏教の思想の中には、多くの宝が隠されているのに、その宝について、わが国のひとびとは、まったく無知なのであります。もしも、この全集に執筆していられる多くの先生方が、未発掘の宝石を見いだす真理の坑夫であるならば、その宝石を、日本の多くのひとびとに伝える宝石の展覧人が必要なのではないでしょうか。
高松の講座参加者のみなさんには、「羽矢先生のものに続いてもう一冊だけ読むとしたら、これです」とご推薦申し上げました。